【福島県】行き先が3つあった急行「いなわしろ」、職員すら悩む難解列車をご紹介
現在の鉄道では、中長距離を走る列車の行き先はたいていシンプルなものです。
列車に乗った結果、思いもよらないところに連れていかれるということは、全くないとは言いませんが滅多にありません。また、乗客が意図しない駅に連れていかれかねない列車、例えば2つの列車が連結して運行される新幹線の「はやぶさ」と「こまち」や「やまびこ」と「つばさ」といった列車では、駅や車内で乗客に対して十分な案内がなされることが一般的です。
ところが、名前上は1本の列車なのに行き先が3つもあり、利用する乗客どころか、案内する職員にとっても難解な列車が、今から40年程前までは存在しました。
それが今回紹介する急行「いなわしろ」です。
急行「いなわしろ」の誕生
急行「いなわしろ」の前身となったのは、1959年に設定された準急「あいづ」です。
仙台駅から、東北本線を南下して福島駅、郡山駅を経由し、磐越西線に入って会津若松駅を経由し、喜多方駅まで、というルートで運行されました。
1965年以降は「①仙台駅と喜多方駅を結ぶ列車」に加えて「②仙台駅と会津川口駅または只見駅(いずれも現在はJR只見線の駅)を結ぶ列車」と「③仙台駅と会津田島駅(現:会津鉄道会津線の駅)を結ぶ列車」も設定され、3つの列車が仙台駅~会津若松駅間では連結して走る形態がとられました。
なお、只見線についてはこちらの記事で紹介しておりますのでぜひご覧ください。
1966年に「あいづ」は準急列車から急行列車に昇格、そして1968年に「いなわしろ」と改称されました。猪苗代湖などで知られる、磐越西線の沿線の地名が名前の由来だと思われます。
時期によっては、仙台駅~喜多方駅間を結ぶ車両が連結されず、その代わりに仙台駅~新潟駅間を結ぶ急行「あがの」が「いなわしろ」に連結される列車もありました。
本当に複雑な運行形態の列車だったのです。
急行「いなわしろ」の運行形態
それでは1978年10月のダイヤ改正時の時刻表に基づき、改めて「いなわしろ」とそれに関連する列車の運行形態を紹介します。
まずは16時15分仙台駅始発の「いなわしろ4号」を例にあげます。
先に図を出してしまうと急行「いなわしろ」と、これに連結される列車である急行「いわき」の運行経路はこのようになっています。
仙台駅を出発する時点で「いなわしろ4号」は、喜多方行きの車両、只見行きの車両、会津田島行きの車両が連結されている状態です
(グリーン車は喜多方行きの車両のみに連結)。
会津若松駅よりも奥の駅まで行きたい人は、正しい号車に乗らなければ、意図していない駅へ連れていかれてしまうのです。
そして、話はここで終わりません。
「いなわしろ4号」には「いわき6号」という全く行き先の異なる急行列車も連結されているのです。いわき6号は、仙台駅から郡山駅を経て、磐越東線に入って平(現:いわき)駅を経由し、常磐線を南下して茨城県の水戸駅に至る列車です。
したがって仙台駅を出発する時点で「いなわしろ4号+いわき6号」は、1本の列車の中に、喜多方、只見、会津田島、水戸という4つの行き先が存在するという状態です。
「いなわしろ4号」と「いわき6号」は、仙台駅から福島駅では急行ではなく普通列車(一部の駅を通過するので現在のイメージで言えば快速列車です)として東北本線を南下し、17時50分に福島駅へ到着すると、いわき6号にグリーン車などが増結されます。
さらに南下して18時42分に郡山駅に到着すると「いわき6号」は「いなわしろ4号」から切り離され、磐越東線に入り水戸駅へ向かいます(水戸駅には22時52分到着)。
「いなわしろ4号」は19時15分に郡山駅を出発し、磐越西線を西に進んで、20時33分に会津若松駅に到着。
ここで「いなわしろ4号」の編成は3つに分割され、まずは20時39分に喜多方行きの編成が出発して、20時54分に終点の喜多方駅へ到着します。
続いて21時8分に只見行きの編成が会津若松駅を出発し、23時23分に只見駅に到着。
21時16分に会津田島行きの編成が会津若松駅を出発して、22時20分に会津田島駅に到着します。
仙台行きの「いなわしろ1号」の運行はおおむねこの逆の手順となります。
5時13分に只見駅を出発した列車と、6時20分に会津田島駅を出発した列車は、西若松駅で連結して、7時28分に出発、7時35分に会津若松駅に到着します。
7時25分に喜多方駅を出発した列車も7時35分に会津若松駅に到着し、只見駅始発および会津田島駅始発の列車と連結。
7時45分に会津若松駅を出発すると、磐越西線を東へ向かい、9時4分に郡山駅へ到着。
水戸からやってきた「いわき1号」が9時8分に郡山駅に到着して「いなわしろ1号」と連結し、共に福島・仙台方面へ向かいます。
10時4分に福島駅に到着すると「いわき1号」のグリーン車など一部の車両が切り離されて、普通列車としてさらに北上し、11時54分に仙台駅へ到着します。
ここまで「いなわしろ4号・1号」を例に解説しましたが「いなわしろ2号・3号」はまた異なる運行形態でした。
「いなわしろ2号」は福島発・会津川口行きの車両だけで構成されており、福島駅から会津若松駅までは、仙台発・新潟行きの「あがの4号」と連結して運行されていました。
会津川口発・福島行きの「いなわしろ3号」についても同様で、会津若松駅から福島駅までは、新潟発・仙台行きの「あがの1号」と連結していました。
この図はあくまで1978年10月時点のもので、時期によっては「いなわしろ」「あがの」「いわき」の3種の列車が、郡山駅以北(東北本線内)では連結して運行されたこともあります。
「いなわしろ」は、1本の列車の中に複数の行き先が混在していた列車である上に「いわき」「あがの」との連結を行っていたり、福島駅で一部の車両の連結・切り離しが行われていたりしたため、乗客への案内は困難を極めました。
乗客の方でも、自分の乗っている号車が目的地に果たしてたどり着くのか確認することに、不安を覚えていたといいます。
国鉄時代にはほかにも運行経路が複雑だったり、連結する相手が多かったりする列車が存在しました。
こちらの記事もぜひご覧ください。
急行「いなわしろ」に使用された車両
急行「いなわしろ」の喜多方駅を発着する車両には、キハ58形やキハ55形といった、国鉄(JRの前身)の急行・準急列車用の気動車が使われていて、グリーン車も含まれていました。
一方、会津田島駅発着の車両や、只見駅または会津川口駅発着の車両は1両ずつしか連結されておらず、急行用気動車は1両での運転には適していないので、普通列車にも使われるキハ52形という気動車が使われていました。
1両で走る急行列車は全国的にも珍しく、鉄道ファンから珍重されることもありましたが、一方で普通列車にも使用される車両なのに乗車には急行料金が必要ということで、遜色(そんしょく)急行と呼ばれることもあったようです。
なお、急行「いなわしろ」に使われていた車両は全て、軽油を燃料として走る気動車でした。
その一方で、磐越西線の郡山駅~喜多方駅間は、1967年に電化(車両に電気を供給するための設備の整備)が完了していました。したがって、喜多方発着の車両は、仙台駅~喜多方駅間の全運行区間が電化されているにもかかわらず軽油で走るという、少しもったいないことをしていたことになります。
「いなわしろ」の廃止とその後
急行「いなわしろ」が活躍した時代は、冬季の道路の除雪もままならないような時代だったので、当時は重宝した列車だったと言われています。
しかし1982年に東北新幹線が開業することに伴って東北地方の急行列車が整理されることとなったため、1982年11月のダイヤ改正で急行「いなわしろ」は廃止されました。
後身といえる快速列車が、仙台駅~喜多方駅間に設定されましたが、これもすぐに廃止されたようで、1985年3月のダイヤ改正の時点で既に、仙台駅・福島駅から磐越西線へ直通する列車は一切なくなり、急行「いなわしろ」の直接的な後継と呼べる列車は現存しません。
2024年現在の会津地域では、郡山駅と会津若松駅を結ぶ快速「あいづ」や、郡山駅と喜多方駅を結ぶ観光列車「あいづSATONO」といった列車や、栃木県日光市にある東武鉄道・鬼怒川温泉駅と会津若松駅・喜多方駅を会津鉄道会津線経由で結ぶ快速「AIZUマウントエクスプレス」といった列車が、会津と他の地域を結ぶ役割を果たしています。