メドツが馬を川に引き込む

八戸に伝わる恐怖の水妖「メドツ」とは? 〜河童とは一味違うローカル伝説〜

青森県八戸市の一部地域には、古くから「メドツ」または「メドチ」と呼ばれる不気味な妖怪の伝承が語り継がれています。全国的に知られる「河童」にも似ていますが、その性質はより凶暴で、人を化かす恐ろしい能力もあるとされ、地域固有の水辺信仰や安全意識と深く結びついています。

この記事では、その正体や由来、現代にも残る形跡までを、史料に基づいて詳しく紹介します。


メドツとは?その恐ろしき姿と能力

川から顔を出して獲物を探すメドツ

「メドツ」は八戸市の尻内町を中心に伝わる妖怪で、見た目は猿のような顔をした小柄な黒い子ども。時には少女の姿で現れることもあるといいます。主に川辺や用水路など水辺に出没し、人を水に引きずり込んで溺れさせるとされる、水難事故と直結する存在です。

その凶悪さは河童を上回るともいわれ、メドツに取り憑かれた人の親戚や友人に化けて再び襲いかかるという伝説も残されています。

この伝承は、津軽弘前藩の記録『谷の響』にも似た記述があり、水死体の肛門から何かが飛び出したという恐怖談が書き残されています(※『谷の響』/弘前図書館蔵)。


左甚五郎と櫛引八幡宮にまつわる由来伝説

櫛引八幡宮

メドツには、全国的にも名の知れた江戸時代の彫刻師・左甚五郎が関わる逸話も存在します。これは、八戸市にある名社「櫛引八幡宮」の建立時に遡る話です。

甚五郎が建築作業の過程で不要となった木屑や木偶(からくり人形)を川に投げ捨てた際、「尻でも食らえ」と暴言を吐いたとされます。するとその木屑に魂が宿り、川の中で妖怪へと変貌。それが「メドツ」となったというのです。

さらに、村人の祈りにより八幡様が神の使いである鷹を遣わし、メドツの頭部を突かせた結果、頭がへこんだとも伝えられています。この禿げた頭は後述する彫刻にも描かれており、旧暦7月1日から16日の間だけ、人と馬を襲うことが許されたともいわれています。

この伝承の一部は、櫛引八幡宮本殿の彫刻にも表現されており、「鷹に抑えられるメドツ」の姿が今も確認できます。


「メドツが出るぞ」—看板に残された教訓

八戸市の「メドツが出るぞ」と記載された看板

この伝説は単なる昔話にとどまらず、1976年(昭和51年)頃には実際に地元で用水路への転落事故を防ぐ目的で「メドツが出るぞ」と記された看板が設置されました。

看板には「きけんだ! よるな 近づくな メドツが出るぞ」との警告文が赤字で書かれており、ユーモアを交えながらも子どもたちの水難事故を未然に防ぐ意図があったことがうかがえます。

この看板はその後、役目を終えた後に八戸市博物館に寄贈され、2016年には特別展示「かっぱ展」でも展示されるなど、現在でも地域文化の一部として大切にされています(※八戸市博物館所蔵・展示記録)。


地名に残る“証拠”と伝承の重み

八戸市尻内町の一部には「メドツ河原」と呼ばれる地名が今も残っており、伝承が単なる言い伝えで終わらず、地域の地理感覚や生活の中に根付いてきたことがわかります。

また、遠野の河童や座敷童のルーツが実はこの八戸の「メドツ」だったという説もあり、妖怪文化の広がりと変容を示す好例でもあります。東北地方における妖怪伝承の接続性を考えるうえでも、非常に貴重な地域民俗資料と言えるでしょう。

Google Map – メドツ河原


まとめ:メドツが語りかける教訓とは?

「メドツ」は、単なる妖怪話ではありません。それは水難事故の防止、安全啓発、そして人々の恐れと想像力が生んだ“地域の知恵”の結晶とも言える存在です。

現代の目で見ると風変わりに思えるかもしれませんが、そこには水辺の危険を子どもたちに伝えるリアルな工夫が詰まっていました。看板となって現代に語り継がれることで、メドツは今も地域の文化遺産として息づいています。

もし八戸を訪れることがあれば、櫛引八幡宮や博物館を巡りながら、この不思議な妖怪の面影をたどってみてはいかがでしょうか。


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