金比羅樽流し

金比羅樽流し|最上川の水難除けを祈願する伝統的な民俗行事【山形県】

古くから最上川によって多くの恵みがもたらされていた山形県。

しかし「自然」は恵みとともに避けがたい災いをもたらす存在でもありました。そんな山形県には、最上川流域に住む人々が古くから行ってきた「金比羅樽流し」という習俗が存在します。

現在では山形県東村山郡中山町の川向地区に唯一残るのみとなってしまいましたが、今回はそんな金毘羅信仰に繋がる祭事を取材させていただきました。


金毘羅信仰とは?

金毘羅信仰(こんぴらしんこう)とは、香川県琴平町の象頭山松尾寺の堂宇の一つ金刀比羅宮(ことひらぐう)に祀られる山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神「金毘羅権現(こんぴらごんげん)」を信仰するものです。

松尾寺では飛鳥時代の呪術者で、修験道の開祖ともいわれる役小角(えんのおづぬ)が象頭山に登った際に、天竺(インド)のクンビーラの神験に遭ったのが開山の縁起とされています。

金刀比羅宮の本殿(香川県)
金刀比羅宮の本殿(香川県)

クンビーラとはガンジス川に棲む(わに)を神格化した水神で、ガンジス川を司る女神ガンガーの乗り物でもあることから古くから海上交通の守り神として、特に舟運等に関わる人々の信仰を集めていました。

こうして「クンビーラ=金毘羅権現」として日本に伝わりますが、日本にはワニが生息していません。

そこで日本の記紀神話(古事記・日本書紀)に登場し、蛇の化身とされる大物主神(おおものぬしのかみ)と同一視されるようになり、金毘羅権現は「水を司る蛇神」として信仰されるようになったとされています。


金比羅樽流しとは?

山形県は古くから最上川の舟運によって繫栄してきました。

北前船の寄港地だった酒田港を拠点として、内陸からは「紅花・青苧・米」等の産品を上方に輸送し、逆に上方からは「雛人形や陶磁器」を始めとする上方文化の象徴となる品々が、最上川を利用し内陸部まで運ばれていました。

産品を販売し、現地では手に入らないものを手に入れる…そんな経済活動の要として「最上川の舟運」は山形の人々にとってなくてはならないものだったといえます。

それと同時に「日本三大急流」といわれる最上川流域では水難事故が絶えませんでした。航海や舟運の安全にご利益があるとされる「金比羅様」の信仰が拡がるのは、ごく自然な流れだったと考えられます。

金比羅樽流しに使われる旗を立てた樽
金比羅樽流しに使われる旗を立てた樽

「樽流し」とは最上川流域に拡がった「代参」の習俗で、遠方であることから金刀比羅宮を直接参拝できない人々が、誰か見ず知らずの人々の手を渡って、奉納品である御神酒や賽銭を詰めた樽が金刀比羅宮まで届くことを願ったものだとされています。

かつては山形県の各地で行われていた樽流し

現在では中山町川向地区にしか残っていないとされる「樽流し」ですが、かつては山形県内各地で行われていたようです。

県内唯一となってしまった中山町川向地区の金比羅樽流し
県内唯一となってしまった中山町川向地区の金比羅樽流し

川向地区の金比羅樽流し会場で配布されていた野口一雄氏著の資料には、

  • 酒田市
  • 庄内赤川上流の朝日村本郷
  • 赤川支流大鳥川上流の大鳥地区
  • 最上町
  • 新庄市
  • 南陽市の南部大橋地区

等で文献に残る記載や証言を収集できたと記されています。

流れてきた樽の取り扱いも、

  • 拾い上げて村の社に納めてしまう場所
  • 中の酒を飲んでしまう場所
  • 酒を飲んで新たな酒を詰めなおして再度流す場所

など…土地によってかなり様々なようで、実際にどれくらいの樽が無事に金刀比羅宮まで辿り着けたのかも気になりました。


2026年6月1日に行われた「金比羅樽流し」の様子

金比羅樽流しの習俗は現在、保存会が設立され中山町の無形民俗文化財に指定されています。

山形県中山町川向地区の金比羅堂
山形県中山町川向地区の金比羅堂

2026年は6月1日の午前9時より、川向地区の金比羅堂にて執り行われました。

金比羅堂に奉納される樽や酒
金比羅堂に奉納される樽や酒

堂内には実際に流す樽の他にも多くの酒樽や日本酒などが奉納され、祭事には中山町の町長さんも足を運ばれていました。

法螺貝が吹かれ祭事がはじまる
法螺貝が吹かれ祭事がはじまる

羽黒山・月山・湯殿山で構成される「出羽三山」を擁する山形県には山岳信仰や修験道の文化が色濃く残っており、この樽流しの祭事にもその要素が端々に垣間見えます。

配布資料によると、祭事を執り行う住職は修験者(山伏)の尊称である「法印さん」と呼ばれることに加え、要所要所で吹かれる法螺貝も、修験道の流れを汲む祭事であることを想像させます。

現在は樽にテグスが付けられ都度回収されます。
現在は樽にテグスが付けられ都度回収されます。

お堂での祈祷・奉納が一通り終わると場所を最上川に移し、いよいよ樽流しが行われます。

この日はしめ縄と三つの樽が最上川へ投入されました。
この日はしめ縄と三つの樽が最上川へ投入されました。

この日は「しめ縄」と三つの「樽」が最上川に投げ込まれ、開始から約一時間ほどで祭事の一切が終了しました。

現在は樽がカヌーで回収される
現在は樽がカヌーで回収される

現在は時勢からか、樽にテグス(釣り糸)が取り付けられ、投げ込んだものは全て後にカヌーで回収されます。


最後に

時の流れとともに、現在では物流としての最上川舟運の文化はほぼ消滅してしまいました。金比羅樽流しの習俗が徐々に失われていってしまったのも必然の流れといえるのかもしれません。

しかしだからこそ、過去の文化を現在に伝える川向地区の習俗は貴重なものだといえます。今後も末永く続いていってほしいものです。

参考資料

  • 「なかやま探訪 No`93」中山町郷土研究会報 令和7年3月号
  • 「川向金比羅樽流し」町文化財に指定(広報なかやま 2014.06.15発行)
  • 県内各地にあった金毘羅(金刀比羅)樽流し 野口 一雄 氏著

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