大崎八幡宮の鳥居

【宮城県仙台市】どんと祭の裸参りで有名な仙台総鎮守にして国宝の「大崎八幡宮」

大崎八幡宮は、宮城県仙台市青葉区の西寄りに鎮座する神社で、政令指定都市である仙台市青葉区八幡の県道31号線(仙台村田線)に沿った場所にあります。

旧社格は村社であり、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后を御祭神としていて、大崎八幡宮の松焚祭(どんと祭)で有名な神社でもあります。


国宝に指定される桃山建築の社殿

大崎八幡宮は、たしかな創建年代は不明ながら、平安時代に東北地方の蝦夷征討を朝廷より託された坂上田村麻呂が、現在の大分県にある宇佐神宮から武神である八幡神を勧請し、蝦夷政党の前線基地となっていた鎮守府のある胆沢城のなかに祀ったことがはじまりであるとされています。

このため、もとの名称は鎮守府八幡宮と呼ばれていたということです。

大崎氏によって遷座されたことから大崎八幡宮に

その後室町時代には、将軍家である足利氏の一門であり、奥州管領として東北地方で支配的な地位を獲得していた大崎氏が、みずからの領地にこの鎮守府八幡宮を遷座させたことから、以後は大崎八幡宮という呼び名で呼ばれるようになったとされています。

この大崎氏については、戦国時代に地元の国人層と覇権を争ってしだいに勢力を失い、豊臣秀吉が天下を支配するようになると、小田原の北条攻めに参陣しなかったとして改易を申し渡されてしまいます。

伊達政宗の手で大崎より仙台へ

つづいてこの地域を支配するようになった伊達政宗は、いまの宮城県大崎市にあった岩出山城から、仙台市の仙台城(通称:青葉城)に拠点をうつすにあたって、仙台城の乾方向にあたる現在地に、大崎八幡宮の社殿を新たに造営します。

この時伊達政宗が寄進した社殿は、権現造りで全体に黒漆塗りとしたもので、金色にかがやく装飾金具をちりばめており、桃山建築の粋をなすものとして、現在では国宝に指定されているところです。

大崎八幡宮本殿
例大祭時の大崎八幡宮本殿

戌年と亥年生まれの守り本尊

大崎八幡宮ではさまざまな祭事が行われていますが、特に9月の例大祭は、宮城県の無形民俗文化財に指定されている能神楽や、仙台藩のあったころから続いている流鏑馬などが行われるにぎやかなものです。

また、仙台城の乾方向にあるということから、戌年、亥年の生まれの人たちから広く信仰を集めており、これは現在にも続いています。

大崎八幡宮<Information>

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