もち本膳03

【後編】一関・平泉の「もち本膳」とは?|その他の本膳料理ともち本膳の二大流派

本膳料理の遺風を伝える例

もち本膳そのものの話題とは少し離れますが、同じく本膳料理の遺風を伝える3つの例をご紹介します。

いずれも儀礼や格式を大切にする伝統文化としての側面も強く、その比較を通じてもち本膳の古式ゆかしい位置づけに改めて思いを馳せてみましょう。

茶懐石

一汁一菜の茶懐石のイメージ
一汁一菜の茶懐石のイメージ

「茶懐石」とは茶道において出される食事の一種で、濃茶をいただく前に軽く空腹を満たすことを目的に用意されるものです。

最初に膳ではなくトレーやお盆のような「折敷(おしき)」でご飯・汁・向付(むこうづけ:お造りなど)の一汁一菜が供されるのが特徴で、これも本膳料理をさらに簡略化させたスタイルの一種とされています。

箸をつける順や所作などに細かい作法はありますが、一汁一菜の後に「椀盛」や「焼物」、「預鉢(あずけばち)」強肴(しいざかな)」といった煮物または和え物などのお菜が盛り合わせで出され、正客から順に取り回します。

茶懐石では最初に折敷で出されるご飯・汁・向付に、その後の椀盛と焼物を加えて「一汁三菜」と数えることが多く、もち本膳もなますと香の物とを含めると一汁三菜で構成されているとも考えられるでしょう。

そして淡い吸い物の「箸洗い」を挟み、山海の肴を盛った「八寸」を持って亭主(ホスト)が現れ、客と盃を交わしていきます。

途中で「飯器(はんき)」や「汁替え」といってご飯や汁をおかわりするタイミングも設けつつ、最後は白湯にご飯のおこげなどを加えた「湯桶(ゆとう)」を飯椀と汁椀に注ぎ、香の物で拭いながらすべていただき、清めて食事を終えます。

茶懐石ではその後の茶事がメインではありますが、最後にお湯と香の物で器を清める作法はもち本膳でも行われており、もてなしを受ける側もきれいに料理をいただくという最大限の礼を尽くすものです。

また、茶懐石では初めのご飯は蒸らす前のやわらかい状態で少量を出し、空腹であろう来客に何はともあれまずは炊きたてを振る舞うという意味を込めているといわれます。

もち本膳でもご飯と汁の位置に相当する「あんこもち」と「汁もち(雑煮)」がおかわり自由であることは、茶懐石での飯器や汁替えといった心遣いに通じる部分が大でしょう。

このように、本膳料理を源流とするもち本膳は茶道における食事とも多くの部分で共通していることがわかります。

お食い初めの膳

お食い初めの膳
お食い初めの膳

「お食い初め」といえば赤ちゃんの生後100日を目処に、丈夫な歯が生えることや生涯食べものに困らないことなどを祈ってお膳の料理を食べさせる真似をする儀式のことです。

各地で細かい違いはありますが別名を「歯固め」ともいうように、産土神社などの石(地域によっては栗やタコ)をお膳に載せてこれを赤ちゃんの口につけたり、あるいは石を当てた箸を口につけたりします。

こうしたお食い初めで用いられる膳は本膳と同じ形式であり、左手前にご飯(赤飯)、右手前に汁、左奥に温かい料理、右奥に冷たい料理、そして真ん中に石と長寿を願う縁起物の梅干しを配置するのが一つのパターンとなっています。

ただしこれは絶対的な決まりではなく、中心にお造りなど別の料理を盛り、別皿や紙に歯固め用の石、あるいは梅干しを用意するケースも見られます。

大同小異はあるものの、いずれにせよ伝統的な本膳の形式が赤ちゃんの食という重要な儀礼に用いられる伝統は注目に値するといってよいでしょう。

実際にお食い初めの儀式に立ち会ったり見たりした経験のある人は、もち本膳の基本的な配置もイメージしやすいのではないでしょうか。

高野山「振舞(ふれまい)料理」

高野山の精進料理
高野山の精進料理

もち本膳の源流となった本膳料理は、寺院における僧侶の食事である精進料理にも大きな影響を与えました。

そのなかでも、空海が開いた真言密教の聖地である高野山の「振舞(ふれまい)」と呼ばれるスタイルについてご紹介しましょう。

これは重要な法会などの際に僧侶が僧侶をもてなすために供されるもので、もちろん肉や魚、卵や乳製品など一切の動物性たんぱく質を用いない精進の膳です。

それでも内容は非常に豪華で、二の膳や三の膳にまでおよぶ中世の本来的な意味での本膳料理の系譜を引くスタイルといえるものです。

ただしご飯と汁物、水気の多い料理などその場で食べられる皿は限定されており、多くは自身の寺に持ち帰るのが作法です。そのため「盛干(もりほし)」といって果物やお菓子、いなりずしや海苔巻きといったお土産専用の膳が用意されているのも特徴で、お弟子や小僧さんたちに分けることが前提の献立でもあります。

これは中世の本来的な本膳料理でも同様で、与(四)の膳や五の膳として例えば尾頭付きの焼き魚などが出された場合、これらは折詰にして持ち帰るのが作法です。

高野山では一般客でも宿坊や専門店で精進料理を食べることができ、なかには振舞料理に準じたスタイルの豪華なお膳もあります。

もち本膳は一の膳という意味での「本膳」と呼ばれるため二の膳以降はつかず、その場で食べきってお土産に持ち帰ることはありません。

しかしその源流である本膳料理の風格を高野山の精進料理を通して味わうこともできるため、もち本膳と比較してみると興味深い共通点に気が付くのではないでしょうか。


もち本膳の源流となった「小笠原流」と「四條流」とは?

もち本膳が伝統と格式に則り、歴史ある本膳料理の系譜を引いていることはこれまでに見てきたとおりです。

特に先述した進行役のおとりもち様の「お膳立ては小笠原流、献立は四條流」という口上からも正式な儀礼の流派における作法がベースになっていることをうかがえます。

そこでこれら「小笠原流」と「四條流」とはいったいどのようなものであるのか、概要を見ていくことにしましょう。

小笠原流

「小笠原流」と聞くと、日本文化における礼儀作法の一流派をイメージされる方も多いのではないでしょうか。

元来は弓馬の術とそれらにも関わる礼法を司る流派で、平安時代末期から鎌倉時代前期を生きた甲斐国の武士・小笠原長清を始祖とする小笠原家に代々伝えられてきたものです。

流鏑馬などを行う古流武術の流派として現在も活動しており、著名な礼儀作法の流派としては昭和期に普及しました。

もち本膳における小笠原流のお膳立てというのは、東洋思想における「五行(ごぎょう)」の理論を反映させたもので、それゆえこれを「五行伝」といいます。

五行とは木・火・土・金・水の世界を構成すると考えられた五つのエレメントのことで、森羅万象さまざまなものがこれら五行の属性に当てはめて捉えられます。

料理においては酸(すっぱい)・苦(にがい)・甘(あまい)・辛(からい)・鹹(しおからい)の「五味」、人として守るべき道徳としては仁・義・礼・智・信の「五常」、色合いでは青・白・赤・黒・黄の「五色」等々、五行のバランスが歴史上も重視され文化に大きな影響を与えてきました。

もち本膳もこの考え方を継承し、あんこもち・汁もち・料理もち・なます・香の物の五品の組み立てに活かしています。

五行伝においてはそれぞれの料理に方角も割り振られており、

  • なます…東
  • あんこもち…西
  • 料理もち…南
  • 汁もち…北
  • 香の物…中央

とされているといいます。

こうした五行にまつわる事柄は「陰と陽」の性質と絡めて陰陽道の基礎理論ともなっており、料理だけではなく建築や芸術、日々の行動規範に至るまで広範な影響力を及ぼしています。

もち本膳の五品には、このように深遠な意味付けがなされているのです。

四條(条)流

もう一点、おとりもち様の口上に出てくるのが「四條流」という流派の名です。

これは日本料理そのものの流派であり、「包丁道(ほうちょうどう)」の名で現在も脈々と守り伝えられています。

四條流の始祖は平安時代初めの公卿・藤原山蔭で、時の光孝天皇の命により新たな料理作法を定めたことによるといいます。

四條流が伝える技や作法には膨大な体系があり、調理道具の寸法まで定められていますが、なかでも「包丁式」と呼ばれる儀式化した調理工程が有名です。

端的にいうと包丁と箸を用いて素材に直接手を触れることなく、一定の「形(かた)」通りに捌く技を指しています。

烏帽子に直垂(ひたたれ)という姿で鯉や鯛を調理しますが、流派には鳥類の捌き方も伝わっていることをうかがえます。

現在でも包丁式は神社などで奉納されることがあり、実見できる機会は比較的多いかもしれません。

この技は中世以降武家の間にも取り入れられ、室町時代には四條流の分派である「大草流」や「進士流」が創始されました。また、四條流を学び徳川家康の一族である松平氏に仕えていた園部和泉守を始祖とする「四条園部流」は、徳川幕府の料理番となりました。

もち本膳の献立が具体的にどのような形で四條流を反映しているかは定かではありませんが、古式かつ正統な料理流派の考え方を受け継ぐものであるという表明とも考えられるのではないでしょうか。

岩手県南地方を統治していた仙台藩の初代・伊達政宗も自ら包丁を振るって料理を工夫したといわれることから、おもてなしの膳に対する当地での強い思い入れがうかがえます。


最後にたくあんで食器を拭う理由は? 禅宗などの食事作法にも残る「洗鉢」

もち本膳では食事が終わると椀に白湯を差し、一切れ残しておいたたくあんで器を拭いながらきれいに食べきるのが作法であることはすでに述べたとおりです。

これは茶懐石でも同様であり、禅宗をはじめとした寺院での食事においても普遍的な作法であることが認められます。

では、なぜこのような手順を踏むのでしょうか。

これは「洗鉢(せんぱつ)」と呼ばれる作法で、器を清めて食事を終えることによって洗いものの手間を削減し、もてなしてくれた方々への感謝と礼を示すものといいます。

たくあんで食器を拭う作法「洗鉢」
たくあんで食器を拭う作法「洗鉢」

昔は現在のように食器洗剤があるわけではなく、洗いものといえばわらなどでこすったり水ですすいだりするのが基本でした。

そのため、食後すぐに洗浄しないと食べものの残りが器にこびりついて取れにくくなってしまうことが容易に想像できます。

特に米やもちといった粘性が高く乾燥すると硬化するものは、椀に残さぬよう十分に注意したのでしょう。

湯を注してたくあんで拭うというのはそれを徹底するための知恵であり、一粒一滴も残さずすべていただくことで食材やもてなしてくれた人への感謝を示す具体的な行動ともなりました。

こうすることでホスト側は後の片づけが楽になるばかりでなく、もてなしに用いた椀などの器も傷みにくく長持ちにつながったと考えられます。

このように、もてなす側ともてなされる側が互いに礼を尽くして気持ちのよい時間を過ごすことが作法の主眼であり、もち本膳でもそんな一座建立の奥ゆかしい伝統を今に伝えているといえるでしょう。


まとめ

岩手県南部の一関・平泉地方に伝わる、おもちで拵えた「もち本膳」についてご紹介しました。

来客につきたてのもちを心ゆくまで楽しんでもらおうという素朴であたたかなおもてなしの心と、伝統に則った古式ゆかしい礼法が伝わる貴重な食文化といえるでしょう。

当地ではもちを慶事でも弔事でも重宝しますが、正月祝いで食べることの多い雑煮も不祝儀の際には肉や魚介を使わず昆布で出汁をとり、いわば精進料理として用いることも特筆すべき工夫です。

もちを潤沢に用意できることは豊穣の証であり、生活文化に根差したごちそうとして今ももち本膳をはじめとしたさまざまなもち料理が大切に受け継がれています。


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