【岩手県花巻市】深さ1.4m!日本一の立ち湯。ノスタルジックな木造3階建ての温泉旅館「藤三旅館」
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『藤三旅館(ふじさんりょかん)』は、1786年、240年ほど前に創業した鉛(なまり)温泉の一軒宿です。
鉛温泉(なまりおんせん)は、東北新幹線新花巻駅から約27km、東北自動車道花巻南ICから14kmほど、豊沢川沿いの深い緑に囲まれた山里にあります。温泉は600年ほど前に白い猿が木の根元から出る泉で手足の傷を癒やしている姿を見て、藤三旅館の創業者である藤井家の祖先が発見したと伝わっています。
その後1443年頃に藤井家の一族が仮小屋を建てて温泉として使い始め、1786年に温泉旅館として創業しました。
重厚な木造3階建て。南部藩の湯治場だった「藤三旅館」
『藤三旅館』は、豊沢川が作る崖上から少し下った位置にあります。建物は1941年(昭和16年)に完成した総ケヤキ造りの木造3階建ての本館があり、それに続くのが鉄筋コンクリート造りの別館と湯治部です。建物を正面から見ると玄関前の曲線で造られた屋根が建物の格調の高さを感じさせてくれます。中央に燦然と輝くのは○に十の字の家紋です。○に十の字といえば、旧薩摩藩(鹿児島県)の島津家の家紋ですが、なぜ岩手県にある『藤三旅館』の家紋なのでしょうか。
そのわけは、『南部藩主の湯治場として長きにわたり藩主御一行にお泊まりいただきました。その痕跡として当館の家紋は一般的には「下がり藤」ですが、南部藩と薩摩藩の親睦から薩摩藩の家紋「〇十」を頂戴し、現在も正面玄関の家紋も「〇十」になっております』とご当主のブログに書かれています。
完全かけ流しの温泉に心身とも癒やされる
『藤三旅館』の魅力はなんといっても温泉です。温泉は敷地内から湧き出していて、すべての湯船に源泉そのままでかけ流されています。源泉は5本あり、源泉温度は平均57℃、泉質はアルカリ性単純温泉で、数多くのミネラルを含み、神経痛や皮膚病、糖尿病、病後回復、健康増進などに効果がある効能豊かな温泉です。弱アルカリ性の湯は美肌の湯ともいわれています。
地下1階、足もとから温泉が湧き出る立ち湯「白猿の湯」
特に、全国に『藤三旅館』を知らしめた「白猿(しろざる)の湯」は、地下1階にあり、湯船の深さが平均で1.25m、最大1.4mもあります。そのためすべて立ったまま入る立ち湯形式になっていて、慣れないとちょっと落ち着かない感じです。しばらく入っていると、全身に均等にかかる水圧がだんだん心地よくなってきます。自噴式温泉の湯船では深さ日本一だそうです。
湯船のまわりには何もありません。湯船と床の段差もありません。温泉は一体どこから注がれているかというと、湯船の底、足もとから自然に湧いてくるのです。一般的な温泉は、泉源から湯を引き湯船に流し込むので、その間に空気に触れてしまいますが、「白猿の湯」では地下から湧き出る温泉が空気に触れることなく、源泉そのものを楽しめるのです。そして、温泉はどんどん湧き出てきますので、湯船いっぱいになるとそのまま捨てられています。これが“ほんものの源泉かけ流し”といわれる所以なのです。
温泉がよく出るように掘り進んだら今の深さに
しかし、宿にとってはこの“源泉かけ流し”がひと仕事なのです。湯はどんどん新しくなっているのですが、湯船はどうしても汚れます。日を決めて清掃しますが、浴槽は大きな岩をくりぬいたもので、排水設備など作れません。上から業務用の排水ポンプを入れ、湯を吸い出してから湯船の中に入って岩肌をきれいに清掃しています。
では、どうして立ち湯なのか。これは不思議ですね。その答えはなんともユニークです。
『「白猿の湯」は、源泉を発見した約600年前は豊沢川の岸辺から自噴しておりましたが、いつの時代からか定かではありませんが、だんだんお湯の出が悪くなり、当家祖先が単純にもう少し掘ればお湯の出が良くなるのではないかと考えで、繰り返し掘っているうちに現在の深さ(平均1.25m)になったものです。けっこう単純ですよね!』(ご当主ブログより)
「白猿の湯」は混浴。でも女性専用時間もあるので安心
「白猿の湯」のある湯殿は、地下1階が湯船で、天井は地上3階くらいの高さです。そして広い! 床の真ん中にポツンと立ち湯があり、なんとも不思議な空間です。24時間入浴可なので、夜中など1人で入っているとなんとも神秘的。開放感たっぷりな時間を過ごせます。しかしながら混浴なことはお忘れなく。女性専用に時間が設けられていますが、それ以外は混浴です。水着などの着用は禁止されていますので気をつけて。
「白猿の湯」には、大きな湯船のとなりに小さな湯船があります。これは後から設けられたもので、少しぬるめの湯が入れられていて、かけ湯かクールダウンに利用するように造られたものです。正式名称はないのですが、誰が付けたか“小猿の湯”といわれています。
趣向の違う4つの温泉で湯巡りを楽しむ
『藤三旅館』には「白猿の湯」のほか、豊沢川河畔の男女別露天風呂「桂の湯」、窓から豊沢川に注ぐ白糸の滝が望める男女交代制の半露天風呂がつく大浴場「白糸の湯」、貸し切りもできるこぢんまりとした内湯「銀(しろがねの)湯」があり、湯巡りが楽しめます。「白猿の湯」以外の風呂は、5つの源泉を混合して、ちょうど良い温度に調整した湯が注がれていて、加水、加温は一切していません。温泉は湯治部に宿泊しても自由に利用できます。
湯治は農閑期や病後などに長く温泉に逗留して、自炊しながら体を癒やし体力をつける昔ながらの温泉の使い方で、非常に安い価格で利用できます。『藤三旅館』には、共同の炊事場やコンビニのような売店が用意されています。
宮沢賢治や田宮虎彦も愛した「藤三旅館」
『藤三旅館』のある鉛温泉までは、1969年(昭和44年)まで花巻駅からの鉄道がありました。花巻電鉄といって、東北本線の花巻駅から鉛温泉のひとつ先、新鉛温泉(駅名西鉛温泉)までを約1時間で結んでいます。1921年(大正10年)創業で、沿線には松倉温泉、志戸平(しどたいら)温泉、渡り温泉、大沢温泉、山の神温泉、鉛温泉、新鉛温泉の8湯があり、各温泉への湯治客で大変賑わっていたといいます。『藤三旅館』にも多くの湯治客が押しかけ、その中には『風の又三郎』で」知られる宮沢賢治や『藤三旅館』を舞台にした小説で映画化もされた『銀心中(しろがねしんじゅう)』を執筆した田宮虎彦(たみやとらひこ)もいました。
車幅が極端に狭い“馬面電車”が走っていた花巻電鉄
花巻電鉄は線路幅が762mmしかなく、そのため車両幅が約1.6mと極端に幅の狭い通称“うま面電車”が走っていました。日本の一般鉄道は線路幅1067mm(狭軌/新幹線は標準軌1435mm)で、JR東日本山手線E235系電車の車両幅2950mmですからいかに狭いか分かります。なにしろ両側に座ると膝がぶつかるほどだったそうです。花巻電鉄は自動車などの発達で1969年に廃止になりましたが、廃線後に馬面電車の1両が花巻市の材木町公園に静態保存されているので、一見の価値があります。
岩手ならではの味覚が堪能できる「藤三旅館」
『藤三旅館』本館の部屋はすべてケヤキ造りの純和風な造りで、とても落ち着ける空間です。食事は半個室になっている食事処で、地元の食材を中心に、三陸から直送される海の幸も揃えられた会席料理。岩手県ならではの味を堪能できます。岩手県の地酒などのアルコール類も豊富です。
『藤三旅館』は、日本一の“立ち湯”と自然の中にたたずむ木造3階建ての建物がなんとも魅力的な、一度は訪れたい温泉旅館です。
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