【岩手県奥州市】2024年を最後に1000年以上の歴史の幕を下ろした黒石寺蘇民祭|現地レポ
目次
今年を最後に1000年以上の歴史の幕を閉じる黒石寺蘇民祭。早くから各所で話題になっていましたが、一度も見たことがないまま最後を見過ごすわけにはいかない!ということで目に焼き付けるべく、現地に赴いてきました!
蘇民祭(そみんさい)とは?
主に岩手県の南部を中心に五穀豊穣や無病息災を祈願して行われる「蘇民祭(そみんさい)」は「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」として平成7年に文化庁の選択を受けた、岩手県を代表する伝統文化の一つです。
その中でも奥州市水沢にある妙見山黒石寺にて旧正月7日から夜を徹して行われる「黒石寺蘇民祭」は1,000年以上の歴史を有するお祭で、もっとも有名な蘇民祭といっても過言ではありません。
詳細は以下の記事にまとめています。
2024年の黒石寺蘇民祭
最後の蘇民祭が行われたのは令和6年2月17日の土曜日(旧正月8日)で、時間帯は18:00~23:00と、夜を徹して行われる本来の姿を大幅に変更して開催されました。最後ということもあり多くの来場者が予想されていたからかもしれません。本来の時間帯(22:00~明け方まで)で行った場合は見る側もかなりの覚悟が必要になりますからね。
早めに現地入りし、日中の黒石寺を散策
臨時の駐車場は200台程度のキャパシティしかないとのことだったので、当日は午後一時頃には現地入りをして祭りの時間まで待機することに。
この時間帯にはすでに多くのメディア関係者が境内各所であわただしく準備をしていました。1000年以上の歴史を持つ祭りの「最後の一夜」という注目度の高さを改めて実感します!
祭りの最初に行われる「裸参り」の行列が水垢離を行う山内川。水垢離の際に不足がないように、川をせき止め深さを作ってありました。対岸には既にカメラの場所取りが見えます。
祭りのクライマックスである「蘇民袋争奪戦」が行われる黒石寺の本堂。力強く荘厳な雰囲気が漂います。ここがあんなことになるなんてこの時はまだ想像もしていませんでした。
当日の行事内容も掲示されていました。くみ上げられた焚き火(柴燈護摩)の上に登って火の粉をあびながら気勢をあげて祈願する「紫燈登(ひたきのぼり)」は行われないようでした。
境内の至る所に設けられている参加者の着替え・休憩のためのわら小屋。なんとも簡素な小屋ですが、ここにも長い間受け継がれてきた歴史と伝統を感じます。
境内を散策していると地元の方から「薬湯を振舞っているから飲んでいきなさい」とお声がけいただき頂戴することに。本堂脇の庫裡?と思われる場所で薬草を煎じたお湯を煮込んでいました。ほぼ無味でしたがご利益を感じる一杯。
午後六時、いよいよ蘇民祭が開幕!
日中の散策を終えて一度車に戻り時間まで待機。午後六時の少し前を見計らって再度境内へ移動し裸参りのハイライトである山内川の水垢離が行われる場所の近辺に陣取ることに。
時間になりしばらくすると本堂の方から一斉に叫ぶ声が響き渡ります。
「ジャッソー!」と叫ぶ声はどんどん近くなり、程なくすると角燈を持った裸参りの行列が川へと向かって階段を下りてきます。
延々と連なってくる角燈の明かりに見とれていると先頭集団がおもむろに水垢離を開始。見ているだけで凍えそうですが寒がっている人は一人も目につきませんでした。むしろみんな笑顔で心から楽しんでいる様子。
水垢離会場の引き画像。向こう岸にはとんでもない人数のメディア関係者とカメラが。
裸参りの参加者は薬師堂、妙見堂のお堂参りと水垢離を複数回繰り返します。その間中、境内には「ジャッソー!」の掛け声が響き渡っています。
午後七時過ぎ、鐘が鳴り響き別当登(べっとうのぼり)が始まる。
鐘が鳴るのを合図に別当並びに蘇民袋を捧げもった総代が守護役、祓人に守られ、ホラ貝・太鼓等を従えて薬師堂内陣に登り、護摩焚き供養を行う行事。
別当とは黒石寺の住職のことを指すそうです。
疲労に耐えかねて食事と休憩をとることに
この辺りで待機時間も含めて黒石寺滞在6~7時間が経過。夕食をとりつつ少し休憩をとることに。
黒石寺境内、参道の途中に設けられていたその名も「蘇民食堂」。簡単な軽食や飲み物を販売していました。
粗末なつくり…と言っては失礼ですが内部は天井がかなり低く地面も起伏があり列に並ぶのも大変な空間。
ただし雰囲気は格別で、煌々と照らす裸電球の明かりに、楽しそうに談笑する地元の方々の会話や笑い声、祭りの高揚した空気が相まって何とも言えない良い空間を作り出していました。
注文の順番を待っているとわら壁の隙間から柴燈護摩と思われる焚き火が見えます。
注文したのは天ぷらそば。かなり薄味でしたが、蘇民祭参加者は肉・卵や匂いの強い野菜を食べないなどの精進するらしいのでそういった意味合いがあるのかもしれません。
少しの休憩をはさみ再度本堂に戻ろうとするも…
最後の祭りだけあってとんでもない来場者の数。「想定以上の人出だ」と食堂で地元の長老方が話しているほどでした。
すこし現場を離れると今何が行われているかも全くわからず同じ場所にも戻れない状況。子供たちがお参りをする鬼子登(おにごのぼり)は役目を終えて走り去る姿しか見ることができずでした…。
そして休憩を終えて蘇民袋争奪戦の時間に合わせて、再度本堂を訪れたときには以下の様子。
もはや本堂に近づくのは困難な状況…。
それでも、あの人ごみの向こう側で繰り広げられているであろう争奪戦の雰囲気は伝わってきます。今年の覇者が決まるのを粛々と見守ることに。
そしてクライマックスは蘇民袋を奪い合う男たちが本堂から境内になだれ落ちてきます。参道の階段の手前まで人が溢れている危険な状況でしたが、何とか事故もなく終えることができたようです。
まとめ
今年をもって1000年以上の歴史に一端の区切りをつけた黒石寺蘇民祭。長い歴史の一幕を直接目に焼き付けることができたのはいい経験でした。
しかしながら地元には早くも祭り復活の動きもあるようです。担い手不足、後継者不足の問題を解決することは容易ではないでしょうが、いつか「黒石寺蘇民祭復活!」の朗報を聞けることを期待したいものです。
岩手県ではその他の地域でも長く受け継がれている蘇民祭、近年復活した蘇民祭があるようなので興味がある方はぜひ調べてみてください!
黒石寺<Information>
- 名 称:天台宗 妙見山 黒石寺
- 住 所:〒023-0101 岩手県奥州市水沢黒石町山内17
- 電話番号:0197-26-4168
- 公式URL:https://www.kokusekiji.jp/