【青森県】「戸来」=「ヘブライ」? 新郷村にあるキリストの墓を見に行こう!
目次
「青森にキリストが来ていた?」にわかには信じがたいそんな「キリストの墓」は、青森県三戸郡新郷村のキリストの里公園内、キリストの里伝承館に隣接しています。
キリストの墓の発見の経緯
キリストの墓の伝承は、昭和3年に平群真鳥の子孫であるとされる竹内家に養子に入ったと自称する竹内巨麿(たけうち きよまろ)が公開した、竹内家に代々伝わる古文書「竹内文書」の内容に由来します。(昭和10年代以降に加筆されたという説もあり)
巨麿が古文書の内容を解読し青森県戸来村(現:新郷村大字戸来)を訪れた際、古文書に記されていたキリストの墓の説明と同様のものを発見し、これを「キリストの墓」としたことが始まりといわれています。
そして翌年の昭和11年には真偽は不明ですが「キリストの遺書」が発見され、更にその翌年、昭和12年には考古学・地質学者の山根キク氏の著書「光は東方より」で取り上げられたことで、新郷村は「神秘の村」として一躍脚光を浴びるようになりました。
新郷村とキリストを結びつけるミステリーの数々
「竹内文書」の内容によると、ゴルゴタの丘で処刑されたのは、キリストの弟の「イスキリ」が身代わりになったもので、キリストは日本に、しかも青森県を訪れ余生を過ごしたと記されています。また、キリストは「ユミ子」という女性との間に三女をもうけたとの記載も。これが本当ならば、現在までキリストの血が受け継がれている可能性も考えられます。
そして現地には「十来塚(とらいづか)」とよばれるキリストの墓と、「十代墓(じゅうだいぼ)」と呼ばれる弟のイスキリの墓と伝えられる2つの土盛りが存在します。キリストの身代わりとなったイスキリの墓には、キリストが持ち込んだイスキリの遺髪と耳が埋葬されているそうです。
新郷村にはその他にもキリストと結びつけるミステリーが幾つか存在します。
新郷村の大字「戸来」は「ヘブライ」が訛ったもの?
昭和30年に、当時存在した野沢村と戸来村が合併して誕生した新郷村。そして現在は新郷村の大字となっている地名「戸来」。これは「へらい」と読み、古代イスラエルの民族、文化、言語などを総称する「ヘブライ」が訛ったものだともいわれています。
新郷村の家々に伝わる謎の風習
- 父親をアヤまたはダダ、母親をアパまたはガガという。
- 子供を初めて野外に出すとき額に墨で十字を書く。
- 足がしびれたとき額に十字を書く。
- ダビデの星を代々家紋とする家がある。
謎の盆踊り「ナニャドヤラ」
ナニャドヤラは、青森県南部から岩手県北部、さらに秋田県鹿角一帯の南部地方と呼ばれる一帯に伝わる祭唄で、「節回しの意味は誰もわからないが昔から子々孫々と受け継がれている」という謎だらけの祭唄です。
明治時代から昭和時代にかけて多くの研究者によって「長慶天皇梵語説」、「古代ヘブライ語説」、「念仏説」等々、さまざまな説が提唱されてきましたが確証には至らず、現在に至っても謎のままです。
キリスト祭り
新郷村(旧戸来村)では、「キリスト祭り」が毎年6月の第一日曜日に開催され、立派な行事になっています。
伝承館前にあるスペースで神事が行われ、その後にキリストの墓とされる「十来塚(とらいづか)」を囲み、前述の「ナニャドヤラ踊り」が奉納されます。
キリストの里伝承館
「キリストの墓」に隣接する「キリストの里伝承館」。
館内には、キリストがいたとされる当時の服を着たマネキンの展示などの郷土史資料や、真偽のほどはさておき、「キリストの遺言」など様々な文書も展示されています。
まとめ
ことの発端である「竹内文書」には定説とは違う日本の歴史などが記載されてあったりと、謎は深まるばかり…。ちなみに「竹内文書」の原典は、東京大空襲の際に焼失してしまい、写本のみが現存しているそうです。
さらに新郷村にはもう一つの謎スポット「大石神ピラミッド」も存在します。
多くの謎が残る青森県新郷村(旧戸来村)。嘘か本当か?はさておき、たまにはこんなミステリーに触れる旅行も楽しいのでは?
キリストの里伝承館<Information>
- 名 称:キリストの里伝承館(キリストの里公園内)
- 住 所:青森県三戸郡新郷村大字戸来字野月33-1
- 電話番号:0178-78-3741
- 開館時間:09:00〜17:00
- 料 金:大人200円
- 休 館:水曜日(夏休み期間中は無休)