
【福島県】会津の歴史と景観が息づく宿場町「大内宿」
福島県南会津郡下郷町に位置する「大内宿(おおうちじゅく)」は、江戸時代の面影を色濃く残す重要伝統的建造物群保存地区の一つです。
かつては会津若松と日光今市を結ぶ下野街道(会津西街道)の宿場町として栄え、現代においても茅葺(かやぶき)屋根の民家が軒を連ねる景観が保たれています。
年間を通して国内外の観光客が訪れる人気の観光地となっています。
大内宿とはどんな場所?
大内宿が整備されたのは江戸時代初期、特に徳川幕府の参勤交代制度に関連して発展しました。会津藩主や江戸と奥州の往来者が利用する交通の要所として、宿場町(しゅくばまち)の役割を果たしていました。

当時の大内宿には、旅籠(はたご)や茶屋、商家などが立ち並び、現在でも当時の町並みを模した建物が保存・復元されており、宿場町の姿をそのまま体感することができます。
特に特徴的なのが茅葺屋根の建築で、江戸期から明治にかけての民家の様式が再現されており、保存状態の良さから歴史学的にも高く評価されています。
地元の努力による復興と景観保全
1960年代から70年代にかけて、地方の過疎化が進み、大内宿も一時は衰退の危機にありました。しかし、地元住民や自治体の努力によって観光資源としての再評価が進み、1981年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

この保存活動により、電線の地中化、外観の統一、茅葺屋根の補修制度などが整備され、現在の美しい景観が維持されています。現在も約30軒の茅葺民家が立ち並び、それぞれが土産物店、蕎麦屋、民宿などとして営業しています。
観光の見どころと体験
集落の南端に位置する高台「見晴台」からは、茅葺き屋根の街並みを一望でき、四季折々の絶景スポットとして人気があります。冬季は雪景色の中に浮かぶ宿場町の幻想的な光景が広がり、写真愛好家にとっては格好の被写体です。

さらに、宿場内の建物の多くは実際に生活されている家屋であると同時に、店舗や民宿としても機能しており、昔ながらの暮らしと観光が共存していることも大内宿の魅力の一つです。
名物「ねぎそば」の由来と歴史的背景

大内宿の名物料理といえば、「ねぎそば」。このそばの最大の特徴は、箸の代わりに一本の長ネギを用い、薬味としても使いながら食べるというユニークなスタイルです。この風変わりな食べ方は観光客の目を引き、テレビ番組やSNSなどで紹介される機会も多く、大内宿の名を全国に知らしめる存在となっています。
実はこの「ねぎそば」、元をたどると信州(現在の長野県)高遠藩から伝わった「高遠そば(たかとおそば)」にルーツがあるとされています。
江戸時代、高遠藩(信州)出身の保科正之が会津藩主として移封されたことにより、信州文化が会津地方へと持ち込まれました。その中には、大根おろしやネギなどを薬味として用いた辛味そば文化も含まれていたと考えられています。高遠そばでは、細く切った大根や刻みねぎをそば汁に入れる「からつゆ」が特徴で、これが会津の風土と融合し、現在の「ねぎそば」の形に変化したものと見られています。

また、大内宿周辺では、そばは地元の寒冷地農業に適した作物として古くから栽培されてきました。そうした風土と結びつきながら、「ねぎを使って食べる」という遊び心のある提供方法が観光資源として定着していったといわれています。
まとめ
大内宿は「江戸の会津」を体感できる貴重な歴史空間です。その町並みは数百年にわたり人々の暮らしとともに育まれ、今なお新たな観光の形を模索し続けています。
また日本の歴史的町並み保存運動の先駆例としても知られており、住民が「住みながら守る」形で保存されているこの町は、今後の町並み保全のモデルケースとしても注目されています。

歴史を学び、文化を味わい、そして四季折々の自然を堪能する。そのすべてが一体となって、訪れた人々に「懐かしさと驚き」を与えてくれる場所。それが「大内宿」の真価です。
大内宿<Information>
- 名 称:大内宿(国重要伝統的建造物群保存地区)
- 住 所:〒969-5207 福島県南会津郡下郷町大内
- 電話番号:0241-68-3611(大内宿観光協会)
- 公式URL:https://ouchi-juku.com/