高倉神社(大内宿)

【福島県南会津郡下郷町】大内宿の隠れたパワースポット「高倉神社」

福島県南会津郡下郷町にある「大内宿」。茅葺屋根の古民家が道沿いに建ち並ぶ様子を見ることができることから福島の観光名所の一つとして有名です。

そんな大内宿の本通りから脇道にそれて少し歩くと、観光地の喧騒とはかけ離れた、静寂に包まれる美しい神社が鎮座しています。


大内宿と高倉神社

大内宿は江戸時代の寛永20年(1643年)頃に整備された会津西街道の宿場町で、奥羽山脈の山々に囲まれた標高658m前後にある小規模な盆地の東端に位置します。

大内宿
大内宿

明治時代に鉄道が普及したことで徐々に宿場としての地位を失っていきましたが、茅葺屋根の古民家が建ち並ぶ伝統的な宿場町の風景は代々受け継がれ、1981年に重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。

以降たくさんの観光客が訪れる観光地へと発展し現在に至ります。

以仁王を祀る「高倉神社」

高倉神社は大内宿を含む近隣7郷の総鎮守で、後白河天皇の第3皇子である以仁王(もちひとおう)を祀る神社であるとされています。

以仁王像(模本)
以仁王像(模本) 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

正確な由来は不明ですが、その創建は源平合戦の時代まで遡ります。

平清盛(たいらのきよもり)がクーデターを起こし後白河法皇(ごしらかわほうおう)を幽閉したことに端を発する治承三年(1179年)の政変をうけて、平家によって朝廷が支配されるのを危惧した以仁王は、1180年に平家打倒を画策し「以仁王の令旨」を発令。

自身も「最勝親王」と称して挙兵を試みますが早い段階で平家側に計画が露呈し、派兵された追討軍との戦いで敗北を喫します。

一般的に知られる史実では以仁王はここで命を落とすのですが、大内宿に伝わる伝承では密かに戦場から脱出し、東山道を抜けて落ち延び大内宿に辿り着いたとされています。

その後以仁王は暫くこの地に逗留しますが、生存を知った平家が追手を差し向けます。

そして以仁王が正に追手の手にかかろうかというその瞬間、突如として雷が近くに落ちた事から追手は怯み、これを以仁王を殺してはいけないという神の御告げであるととらえ、密かに越後に逃がし、この地に以仁王を祭る高倉神社を創建したといわれています。

ちなみに以仁王は、その邸宅が京都の三条高倉にあったことから、三条宮、高倉宮とも呼ばれていました。高倉神社の名前はここに由来しているものと考えられます。


静寂に包まれた神秘的な雰囲気を味わえる高倉神社

ちなみに大内宿はこの高倉神社も含めて重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

高倉神社の一之鳥居
高倉神社の一之鳥居

この地を訪れたことがある人ならば必ず目にしているであろう大鳥居。これが高倉神社の一之鳥居になります。この鳥居をくぐり、ひたすら目の前の山のほうに向けて歩いていきます。

高倉神社の二之鳥居
高倉神社の二之鳥居

大体五分ほど歩くと右手に見えてくるのが高倉神社の二之鳥居。この鳥居をくぐり、今度は若干山道を登ります。

高倉神社の参道
高倉神社の参道

石造りのきれいに整備された参道。この小川を手水舎として手を清めるのだとか。

高倉神社の三之鳥居
高倉神社の三之鳥居

高倉神社の三之鳥居。ここをくぐれば拝殿はもう目の前です。

高倉神社の拝殿
高倉神社の拝殿

存在感のある重厚な作りの拝殿に、自然の音が聞こえるだけの空間。さらに夕方近かったこともあって木々の間から夕陽の光が差し込んで、なんとも神秘的な空間でした。

高倉の大杉
高倉の大杉

裏手には樹齢約800年ともいわれる樹高56m、胸高周囲4.3mの大スギがあります。この時はスズメバチの巣ができたらしく立ち入り禁止となっていました…。

一大観光地となり観光客が絶えることない大内宿にあって、その喧騒から離れて神秘的な雰囲気を味わえるパワースポットといえる高倉神社。大内宿を訪れた際はぜひ一緒に訪れてみてください。

高倉神社<Information>

  • 名  称:高倉神社
  • 住  所:〒969-5207 福島県南会津郡下郷町大内
  • 電話番号:ー
  • 公式URL:ー

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