【秋田県大仙市】古四王神社とは?秋田県大仙市に密かに佇む重要文化財を詳しくご紹介

古四王神社は秋田県大仙市にある国指定有形重要文化財の1つですが、2021年1月に強風で鳥居が根本から折れて倒壊したのがニュースとなりました。

この記事では基礎を強化して再建し、2021年7月27日に竣工したばかりの古四王神社について詳しく解説します。

参考:秋田魁新報電子版「大仙・古四王神社鳥居、基礎強化し再建へ 1月の強風で倒壊」


古四王神社とは?

古四王神社は室町時代末期の1570年に、孔雀城主である冨樫左衛門太郎勝家が、岐阜県飛騨市の名工甚兵衛に造らせた建物だと言われています。

古四王神社は次のような構造形式で建てられており、規模は桁行2.545m、梁行2.545mです。

構造形式の名称

内容

一間社入母屋造(いっけんしゃいりもやづくり)

切妻造(2つの屋根面が山形に組まれ頂に大棟が通る)の四方に庇をつけ、母屋正面の柱間が1つ

妻入(つまいり)

建物の四面のうち大棟と直角になる面を妻と称し、妻に入口がある

向拝一間(こうはいひとま)

社殿の正面中ほどに突出して設けられた吹放しの部分で参拝者の礼拝のための空間

唐破風造(からはふづくり)

中央部が起こり両端部が反転してほぼ水平となる形の破風(入母屋造の屋根の妻側部分)を持つ屋根の形式

こけら葺

厚さ3~6mm程度の杉かサワラの手割り板を3cm前後の間隔で上下にずらし(葺足)重ね、竹釘を打って葺く方法で木羽葺とも言う

杉、松、桧、栗などを用いて和様・禅宗様(唐様)・大仏様(天竺様)などの各様式を採り入れた折衷様の建物で、向拝正面の水引虹梁の菊唐草や、側面手挟の藤唐草の絵様繰、桟唐戸を含め四方に施した結界を意味する襷桟、大型の蟇股や擬宝珠など他の神社ではあまり見かけることのない意匠が施されているのが特徴的だと言えるでしょう。

このような繊細で優美な彫刻が施されている反面、粗削りな太い材木の土台などを用いており、豪快さも兼ね備えています。

神社に行くならお参りだけではなく、建築物としても見学して楽しみたい人におすすめです。


古四王神社の行事について

秋田県神社庁のホームページに記載があるのは、9月7日の例祭ですが、他にもつぎのような行事が行われています。

行事の種類

日時

内容

戸開

5月8日

例祭

9月7日

・神楽、獅子舞、刀舞、梵天の奉納

・本殿の御開帳やライトアップ

正月行事

12月31日~1月1日

古四王神社文化財防火デー・古四王堂火消しもちまつり


1月26日の文化財防火デーに近い日付


・東大曲小学校の児童が参加しての防災訓練

・雪中田植え、天筆焼、もちつき

戸閉

12月8日

古四王神社文化財防火デー・古四王堂火消しもちまつりには現在1991年に第二小学校から改称した東大曲小学校が行事に参加していますが、第二小学校の時代から消火訓練を見学し、もちつき行事後はついたおもちをいただいて帰るのが児童にとっての楽しみだったそうです。

古四王神社の伝説

行事への参加で古四王神社と関わりの深い東大曲小学校のホームページには、古四王神社にまつわる伝説が2つ掲載されています。

1つめの伝説は次の通りです。

昔古四王神社周辺の里の道辺にあった大きな石で、輝く白いひげを生やした見るからに気高い老人が休憩を取っていました。

後にその白髪の老翁が大彦命であったことがわかり、里人たちがおそれ多いことだと祠を作って祀ったのが古四王神社の始まりとなったというものです。

2つめの伝説は古四王堂縁起という古文書に記載されていたものです。

782年に東方から一人の老翁が来臨し、そこにあった光輝く不思議な一尺四面(30cm四方)の石を打ち砕くと、中から瑠璃の薬壺が出てきました。

これこそ古四王大権限のお出ましだと、草堂を建てて祀ったのが古四王神社の始まりになったというものです。

参考:東大曲小学校公式ホームページ「古四王神社の伝説」


まとめ

古四王神社は室町時代末期の1570年に、孔雀城主である冨樫左衛門太郎勝家が、岐阜県飛騨市の名工甚兵衛に造らせた神社ですが、産土神として土地を守ってくださるご利益があるだけではなく、建造物としても価値の高い神社であることがわかりました。

古式ゆかしい趣を感じてみたい方は、ぜひ参拝してみてください。

古四王神社<Information>

Google Map


その他の記事