
秋保温泉に伝わる磐次郎・磐三郎兄弟の鬼退治伝説【宮城県】
目次
宮城県仙台市にある秋保温泉は、紅葉が美しい温泉街として古くから人々に愛されてきました。
そんな秋保を中心に、北は岩手県や秋田県の県境、南は栃木県の奥羽山脈に至るまで、各地に様々な伝説・伝承をもたらしてきた磐司磐三郎の言い伝えが有名です。
本記事では、磐次郎磐三郎という二人の兄弟の昔話について解説していきます。
秋保に伝わる磐次郎・磐三郎兄弟とは?
小東峠と呼ばれる秋保の近隣の山脈をお供の乳母を連れて旅していたとあるところの姫が、ある時突然腹痛を訴えて休憩することになるところから話は始まります。
乳母は助けを求めて集落に戻りますが、姫は休憩していた場所から忽然と姿を消してしまいました。
謎の怪人との出会い
姫は腹痛を訴えている最中、奇妙な怪人と出会います。殺されてしまうと感じ失神した姫ですが、気が付くと怪人に介抱され、痛みも傷なども全て治っていました。
警戒心を解いてみると、怪人は姫に食べ物を与えてくれたり良くしてくれます。怪人の正体は白銀の猿でした。
言葉は通じませんが、心で通じ合った二人の間にはやがて二人の子が設けられます。それが伝説にもなっている磐次郎・磐三郎です。

現在、姫と怪人と扱われていた猿の間に出来た二人の子ども、磐次郎と磐三郎は山の神様として山麓に祭られているといいます。
磐次郎・磐三郎兄弟の伝説とは
磐次郎と磐三郎にはいくつもの伝説があります。ここからは兄弟たちが行ったとされている伝説の数々についてご紹介します。
鬼退治と石ケ森逆さ竹
秋保近辺は山麓が多く人里からも少し離れていることもあり、物取りや鬼が出るといううわさが絶えませんでした。
磐次郎・磐三郎兄弟が大きくなり山々を飛ぶように渡るようになってから、並木(長袋)という地域に鬼が出る噂が出始めます。旅人を甘い言葉で誘い屋敷に招き入れたあとに殺し、身ぐるみを剝いでしまうということでした。
今までは磐次郎・磐三郎兄弟も同じような事をしていましたが、改心したこともあり二人は鬼を倒そうと意気込みました。得意の体術や剣の技を駆使して鬼を退けた後、逃げる鬼を追って投擲した竹が、鬼の屋敷があった場所に深く突き刺さったといいます。

後から見に来た人々は、あまりにも深く竹が刺さって抜けない事から、そのまま感謝のしるしとしてそこに竹をまつることにしました。竹はやがて地面に根付き、竹藪に変わったと言われてます。
竹藪は今現在もあり、磐次郎・磐三郎兄弟の逆さ竹として秋保に言い伝えられています。
秋保で行われる流鏑馬の際も、竹を奉納し、竹から矢を作り、無病息災を祝う習わしもできました。磐次郎・磐三郎兄弟は逸話を残すことで秋保の文化の礎にもなったことが分かります。
慈覚大師 円仁との出会い

慈覚大師 円仁とは、秋保をはじめ東北各地に伝説を残す高僧で、山形にある立石寺、松島の瑞巌寺、平泉の中尊寺などの名刹を開いたと言われ、その他にも円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は東北各地に331寺余あるとされています。
磐次郎・磐三郎伝説では、まさに山寺に円仁が立石寺を建立する際の出来事が残されています。
天皇の命で東北各地に寺社を建立するための東北行脚を行っていた円仁は山寺の地に寺を建立しようと考えていました。そして近隣を動物の殺生を禁ずる聖地にしようと考え、二口の猟師の頭だった磐次郎・磐三郎兄弟に面会します。
円仁の考えに感銘を受けた磐次郎・磐三郎兄弟は近隣での狩猟をやめ、寺院建立の手伝いを熱心に行ったといわれています。
毎年八月に立石寺の山寺磐司祭で奉納されるしし踊りは、この時に狩猟を禁じられたことを喜んだ動物たちの踊りを再現したものだといわれています。
まとめ
秋保の地域を中心として、岩手・秋田・栃木に至るまで広域な山脈を渡り歩いたと言われている磐次郎・磐三郎兄弟についてご紹介しました。
道路が整備されたとはいえ、秋保はまだまだ自然が多くあふれる地域です。秋になると紅葉が見ごろを迎えます。森林や竹藪を見ると、在りし日の磐次郎・磐三郎兄弟に思いを馳せることができるでしょう。気になった方は、ぜひ一度足を運んでみてください。
Information
- 秋保温泉旅館組合公式サイト:http://www.akiuonsenkumiai.com/
- 宝珠山・立石寺:https://www.rissyakuji.jp/