【秋田県】猿酒とは?菅江真澄が「雪出羽道」で紹介した薬酒を詳しく解説
江戸時代後期の国学者で紀行家の菅江真澄は、「雪出羽道」の中で田代村(現山内村)に代々住む嶋田源助の家で猿酒を造っており、腹痛に効果があると記しています。
この記事では秋田に伝わる幻のお酒、猿酒について詳しく解説します。
参考:国立国会図書館デジタルコレクション「秋田叢書第7巻 雪出羽道」
猿酒の作り方とは?
猿酒とは1051年~1062年の間に起きた前九年の役で、清原家の総大将として活躍した清原武則の時代に造られたお酒です。
「雪出羽道」には、猿酒の作り方は次のように記されています。
- 猿を3頭捕まえて皮と筋肉を取り除く
- 肝と背中の肉を30日間冷水にさらす
- 天日干しにして美酒に漬け6月の炎天下で再度干す
- 塩水に浸して甕(かめ)に入れ、ふたをして3年間密封して完成
猿酒が完成した後は、1さじ分を飲んだら同量の水と塩を入れて補充すれば1000年間変わらずに病を治すことができるとされているのです。
猿酒を入れる甕について
猿酒の作り方には甕に入れて密閉するとの記載がありますが、この甕はどのようなものなのでしょうか。
「雪出羽道」には「猿酒醸甕」というタイトルで猿酒用の甕の絵が、菅江真澄によって描かれています。
寸法は高さ1尺8寸5分(70.1cm)、口径7寸(26.5cm)、周囲3尺8寸5分(145.8cm)とあるため、そこそこ大きな甕であることがわかるでしょう。
絵では甕の表面が少し汚れている様子や、口を縛っている縄がすこしほつれてきている様子が見て取れ、菅江真澄が見た時点でも相当古い甕だったのではないかと予想できます。
秋田魁新報に掲載された猿酒
1933年5月30日付けの秋田魁新報には、「菅江真澄時代の猿酒現存する」という見出しで猿酒についての記事が掲載されています。
記事では雪出羽道に菅江真澄が霊薬として記した猿酒が、平鹿郡田代村の嶋田源助の子孫が住む農家で家宝として大切に保管されていると記されているのです。
猿酒の甕は嶋田源助の子孫が厳重に保管しており、猿酒を汲み出すための四つ椀を添えて丁寧に木箱に収められていたのですが、甕の寸法が高さ1尺8寸5分、口径7寸、周囲3尺8寸5分と「雪出羽道」に記載されていたものとぴったり同じだったことが記事に書かれています。
また添えられた四つ椀についても解説があり、大小四つを重ねた木椀で一番大きいのは口径が五寸(18.9cm)の2合5勺(0.45l)入りで、口径7寸の甕から猿酒を汲み出すには親指と中指、薬指の3本で木椀の端をつかんで上げなければならないため、なかなか難しい作業を強いられると記載されているのです。
記事の最後の方には猿酒を甕から汲み出す時に、液体であるはずなのに金属的な不気味な音をたてることから、女性はこの甕を物の怪のように感じて恐れているとも書かれています。
嶋田源助の子孫の方々は、どれだけ先祖代々大切に保管してきたものであるといっても、猿3匹分の肉を使って作ったといわれのある古い甕が家の中にあるというのは、相当怖い思いをしてきたことでしょう。
しかしその中に代々の人たちが手を入れて猿酒を汲み、水と塩を入れて補充してきたからこそ猿酒がどのようなものであるのかが記事によって伝わり、菅江真澄の貴重な記録と寸法が合致していることも確認できたのです。
今も猿酒の甕が現存しているかはわかりませんが、秋田県のどこかで大切にされていてほしいと願う人も少なくないのではないでしょうか。
まとめ
猿酒とは1051年~1062年の間に起きた前九年の役で、清原家の総大将として活躍した清原武則の時代に造られた、病気を治す力のある薬酒です。
菅江真澄の雪出羽道に目を通した際は、ぜひ猿酒についての記事も読んでみてください。