【福島県福島市】愛猫家ならにゃんとも見逃せない?「信夫山ねこ稲荷」から辿る地域振興の歴史

皆さんはねこが好きですか?

ねこをかたどったグッズやモチーフ、ねこカフェをはじめとしたねこスポット…世の中には、いたるところに人々の「ねこ愛」があふれています。普段がどんなに強面でも、ねこを目の当たりにすると「ふにゃり」と顔を緩ませてしまう人もいますよね。

一方で、福島県福島市には「ねこ稲荷」と呼ばれる神社があります。「福島人は古来からのねこ好き?!」と思うかもしれません。しかし、ねこ稲荷の設立には、実用的な理由がありました。

今回はねこ稲荷を起点に、福島県で栄えた産業の歴史をたどってみようと思います。


愛猫家の聖地?福島市の「ねこ稲荷」とは

ねこカフェは全国にあふれていますが、福島市にはなんと、ねこの幸せを祈願する神社「信夫山ねこ稲荷」があります。信夫山ねこ稲荷とは、果たしてどんな場所にある、どんなスポットなのでしょうか。

福島市の信夫山に「ねこ稲荷」あり

福島県福島市の中央部に座する、「信夫山」。福島駅や福島県庁から3km、福島市役所から2km強とほど近い場所にあります。周囲を市街地に囲まれ、こんもりとたたずむ姿は、小さな島のようです。公園や複数の展望台からは市街地を一望でき、春になると桜スポットとしてたくさんのお花見客でにぎわいます。

またパワースポットとしての面もあり、古くから山岳信仰の対象となった山でもありました。羽黒山・羽山・熊野山・立石山という峰があり、それぞれの山頂には神仏がまつられています。羽黒神社に向かう旧参道「御神坂」の中腹あたりに、ひっそりとたたずむ建屋があります。「古民家西坂家」です。

古民家西坂家とは、覇権争いに負けてしまった皇族が落ちのびる際、お供をした家臣が使った家屋とされています。現在は建屋はリノベーションされ、休憩所として利用されています。そして、古民家西坂家と同じ敷地内の鳥居の先には、「信夫山ねこ稲荷」と呼ばれる西坂稲荷があります。

「信夫山ねこ稲荷(西坂稲荷)」では愛猫の幸せ祈願も可能

古民家西坂家と同敷地内にある朱色の鳥居をくぐると…その先には小さな社と、掲示板のようなボードが見えてきます。

ボードを見ると、ねこたちの写真がずらり…。

実はこのボードは、愛猫の健康や幸せを祈願したい方向けに設置されたもの。ねこの名を冠するパワースポットなだけに、にゃんとも粋な計らいですね。掲示を希望する場合は、愛猫の映ったLサイズの写真を持参し、古民家西坂家にて専用の写真ケース・クリップを購入する流れになります。写真の掲示は原則1年間となり、掲示期間が終了した写真は別途ファイリングされ保管さるそうです。また、参拝の記念には、ねこの描かれた御朱印もおすすめです。

<Information>信夫山ねこ稲荷

Google MAP


稲荷なのに、なぜ「ねこ」なのか?

稲荷というと、「」が祀られているのが一般的です。それは農業の神様である稲荷大神は、狐を使いとすることに由来するからとされています。

一方で信夫山ねこ稲荷はなぜ、ねこという名前を冠しているのでしょうか?実は、信夫山ねこ稲荷に祀られているのは狐であり、「ご坊狐(ごんぼきつね)」という伝承が残されています。

信夫山の三狐」といわれた「信夫山のご坊狐」「一盃森の長次郎」「石が森の鴨左衛門」は、イタズラ好きの狐たちです。中でもご坊狐は人を化かすことに長けていて、悪さばかりをしていました。ある日、鴨左衛門は「尻尾で魚を釣ると面白いほどたくさん釣れるぞ」とご坊狐に嘘をつきます。だまされたご坊狐が、沼に尻尾を垂らして魚釣りをしていると…寒い寒い真冬の沼はカチコチに凍り付き、尻尾が抜けなくなってしまいました。力任せに尻尾を引き抜こうとすると、尻尾は根元からプツリと切れてしまい、ご坊狐は化ける力を失ってしまったのです。失望したご坊狐を見かねて、信夫山の和尚さんが慰めの言葉をかけます。改心したご坊狐は、人々に恩返しをしようと思い、その地方で盛んだった養蚕業の害獣だったネズミを退治することにしました。感謝した人々は、ご坊狐をネズミを退治した「ねこ稲荷」として信仰するようになり、さらに時代を経て、ねこの幸せを願う神社となったとされています。

信夫山ねこ稲荷が「ねこ」を名前に冠していた理由は、昔々この地域ではネズミを駆除してくれるねこが重要な存在だったから。さらに、ネズミを駆除したかった理由が、養蚕業が栄えていたからだという事情が見えてきました。


福島県では養蚕文化が栄えた

福島市をはじめ、福島県は江戸時代より養蚕業ににぎわう地域でした。生糸を生産するだけでなく、質の高い蚕の卵(蚕種)を生み出していたことも有名です。優れた品種の蚕を選抜し、交配させ、餌となる桑も選りすぐって与える試行錯誤も行いました。その結果、明治時代には蚕の卵を出荷する蚕種業も盛んになったそうです。

福島にとって長い間、養蚕は身近な産業でした。蚕を育てていたという家は、決して珍しくありません。地域のお年寄りと話をすると、「昔は家にお蚕様がいて…」と話す方はわりと多くいるものです。蚕を育て、糸を紡ぎ、できあがった生糸を東北・全国・国外へ出荷する。地域の財源を賄う、重要な産業だったのです。

風向きが変わったのは、昭和時代です。化学繊維が徐々に普及したことで、養蚕の需要は徐々に縮小していきました。蚕を育てなくなると、桑畑が必要なくなります。そこで、あいた桑畑を活用するために、多くの家では果樹を植えられました。そして現在のフルーツ王国ふくしまが生まれるきっかけになった歴史があります。


絹の文化を色濃く残す川俣町

かつて栄えた養蚕が下火となった今も、当時の産業の影は未だ残っています。

福島県北部に位置する川俣町は、平安時代から1300年間、絹産業が続いている町です。「絹の里」を名乗っており、養蚕を伝えて広めたとされる「小手姫伝説」をモチーフとしたイメージキャラクターを町のシンボルとしています。

川俣町で生産する絹織物は「川俣シルク」と呼ばれます。細い絹糸を広い幅で織る特殊な技法を用いて生産されます。今も複数メーカーが川俣シルクの生産に取り組んでおり、織機がずらりと並び一斉にパタリパタリと音を鳴らす工場内の様子は壮観です。

伝統技法を守りながら、時代に合わせた製品開発も行っています。ファッション性が高く、軽くてしなやかなストールは、母の日のプレゼントなどにも人気です。絹織物として世界一の薄さを誇る「フェアリー・フェザー」も、世界で注目を集めている素材です。

伝統的な文化を、現代のニーズに合わせて進化させる、川俣シルクの発展を今後も見逃せません。


まとめ

今回は愛猫の幸せ祈願ができる不思議スポット「信夫山ねこ稲荷」から、福島の養蚕・絹織物産業の歴史に話を広げてお伝えしました。

今は愛玩動物としてのカラーが色濃いねこですが、かつての日本では、ネズミを退治してくれる生活のパートナーでした。理由は異なるかもしれませんが、当時からねこは人々にとって「尊い」存在だったわけです。今は下火になってしまった養蚕業ですが、当時の文化の影は現代も県内各所に残り、川俣シルクの高い品質・生産技術は世界から注目を受けています。

福島を旅する時、ふと思い出していただけるお話になれば幸いです。


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