
【前編】東北伝統の女性シャーマン「イタコ」の世界|イタコの行使する巫術とは?
はじめに
「祈り」や「信仰」といった目に見えないものへの敬虔な気持ちは現代でも大切にされていますが、かつての日本ではそれらがさらに日常の近くにありました。

その一例として、神仏に仕える神職や僧侶ではない、民間の祈祷やまじないを生業とする職能者たちの存在が挙げられます。
いまや希少になったとされるもののその系譜は脈々と続いており、なかでも青森の恐山で知られる「イタコ」は特に有名ではないでしょうか。
イタコといえば魂を降ろして亡くなった方との対話を行う「口寄せ」が殊に有名ですが、実際にはどのような職能者であるのか詳細はあまり知られていません。
そこで本記事では、イタコの概要をはじめとして駆使する術の具体例や、専門職として使用する道具などについてみていきましょう。
あわせて東北各地に存在する、イタコと類似した呪術的職能者についてもご紹介します。
イタコとは
イタコとは青森県・秋田県・岩手県(南部地方)などを中心に活動した、盲目や弱視など何らかの視覚障がいを有する女性シャーマンのことを指しています。

シャーマンとは神々と人との媒介となって、さまざまな呪術や祭祀を行う宗教的職能者のことです。
なぜ視覚障がいのある女性に限られるのかという点には諸説ありますが、肉眼を補うため感覚が鋭敏となって高い霊力をもつとも考えられることや、特定の職能集団を組織することで社会福祉として機能する側面などが挙げられます。
イタコの起源についてはこれも詳らかではありませんが、江戸時代に山伏の妻たちが自ら呪術を習得し、視覚障がいのある女性シャーマンの組織が形成されていったともいわれています。
現在ではイタコの多くは岩手県一関市に所在する、聖徳山大乗寺の「大和宗(だいわしゅう)」に所属しているといいます。
大乗寺は宮城県北部~岩手県南部の巫女による東北特有の「オシラサマ信仰」の組織で、国内唯一の盲人による宗教団体です。
「寺」と名がつくように天台宗の系譜を引いていますが、イタコ自体は僧侶や神職ではなく巫女の一種と説明されることが多いようです。
ただしその位置付けは独特のものであり、後述する祭儀や呪術の内容・スタイルは密教や神道、古い祭祀の方法が習合していることを感じさせます。
ちなみに恐山の寺である「菩提寺」の開基は天台僧・慈覚大師円仁ですが、現在は曹洞宗の寺院となっておりイタコたちを統括しているわけではありません。
イタコが行使する呪術の例
では、イタコは具体的にどういった呪術を行うのかその代表的な例をみていきましょう。
この場合の呪術とは「ノロイ」ではなく「マジナイ」を意味する言葉です。
祭祀や信仰に基づいた宗教的行為とも言い換えられ、より身近な精神世界との接点という役割はイタコの民間巫覡(ふげき)としての真骨頂といえるのではないでしょうか。
以下、3例を挙げました。
口寄せ(仏降ろし)
「口寄せ」といえばイタコの代名詞ともいえる有名な術で、亡くなった方の魂を自らに憑依させて会話するという能力は恐山のイメージとともに思い浮かべられるでしょう。

あの世とこの世をコミュニケートするという特殊な技は、まさしくシャーマンに求められる超自然的な力の発現と考えられます。
口寄せには「新口(しんくち)」「古口(ふるくち)」「生口(いきくち)」の三種類があり、新口は死後間もない人物、古口は概ね死後100日以降の人物、生口はまだ存命している人物の魂をそれぞれ降ろすものです。
生口は現在ではほぼ行われることはないといいますが、かつては例えば行方知れずとなって生死不明の人物がどこかで健在であるのかなどを探る意味でも行われたといいます。
新口は元々喪に服している家で行われるもので、地域によっては埋葬の直後であったり四十九日の際であったり、さまざまなタイミングで実施されました。
その大まかな流れは以下の通りです。
- 仏壇の前で経文や祝詞を詠唱し、諸々の神仏を降臨させる。
- 死者の年齢・命日・性別を聞き、新仏の霊を呼び寄せる呪文を唱える。
- イタコ自身に霊を憑依させ、その口を借りて語りだす。
- 霊が別れの辞を述べて去り、降臨させた神仏を送り返す。
以上が一般的な口寄せの流れですが、さらに霊の語る内容には一定のパターンがあるといいます。
これをまとめると以下のような形式となります。
- 呼び寄せてくれたことへの感謝の言葉
- 亡くなったときの気持ちやあの世での様子
- 生前の交流などについての述懐
- 遺された人たちへの願い
- 家族や友人への吉凶の予言
なお、死者の霊が対話するのは両親→兄弟姉妹→親族→知友人と血縁の濃い順であることが基本であり、これは焼香を行う順序と合致するという指摘もあります。
また、霊が去り際に家族や友人に吉兆や凶兆を知らせて注意を促すことも特徴的で、ある種の「託宣」としての役割をイタコの口寄せが担っているとも考えられています。
神おろし
次に「神おろし」、いわゆる託宣もイタコの術の一つとして挙げられます。

神のお告げを聞いて人々に伝えるという役割は実にシャーマンらしいものであるといえ、イタコや日本の例に限らず汎世界的といっても過言ではない巫覡の技能と考えられます。
東北地方にはイタコ以外にも「行者」「ゴミソ」「カミサマ」などと呼ばれるシャーマンがおり、視覚障がいをもたないこれらの職能者が神おろしを主に担うという報告もあります(石津照璽「東北の巫俗覚え書(2):津軽地方のこと」『慶応義塾大学大学院社会学研究科紀要 №10』1970)。
しかしイタコのなかにも神おろしによって神託を伝える技をもつ者がおり、緩やかな役割分担はあったと考えられるものの両社の間に明確な線引きがあるわけではないようです。
ここで興味深いのは、神おろしについての「神」というのはいわゆる神道的な文脈における神々だけでなく、仏尊を含む神仏習合の儀式によって行われることです。
イタコやその他の巫覡において統一的な祭儀方式が決められているわけではなく、それぞれの師から相伝されたスタイルに個人差はありますが神おろしの大まかな流れの一例をみてみましょう。
- 錫杖を振りながら祝詞や経文を詠唱し、八百万の神々やあらゆる仏尊を降臨させる
- その土地の鎮守神やその家の氏神を降臨させ、術者が神がかりとなって託宣を行う(家の吉凶や作物の豊作・不作、家族の健康に関すること等々)
- 託宣が終わると降臨させた神仏を元の世界へと送り還すための祝詞や経文を詠唱する。
こうした神託は春と秋の彼岸の際など、特定の日に依頼者の家で行われることが多かったといいます。かつてイタコたちはこうした季節的な祭儀のために巡業してきたといいますが、現代では不幸があったり病を得たりしたときに依頼者が直接訪問して神おろしをしてもらうスタイルが一般的だそうです。
また、後述するようにイタコは守り本尊の掛け軸を収めた筒を常に背負っているのが特徴ですが、恐山で聞き取りされた例では神おろしの際には丸い筒、仏降ろしの際には角型の筒を背負うというパターンも確認されます。
神と仏が両立するのは日本の古い信仰形態における特筆すべき点ですが、イタコの巫術においてもそれぞれの目的や役割に応じて神仏の区分けをしているのは興味深い作法であるといえるでしょう。
オシラ遊ばせ
イタコには「オシラ遊ばせ」という、神おろしに類似する術があることも重要です。
オシラサマといえば東北地方に特有の土着神で、イタコの多くが所属するという大和宗の大乗寺がその信仰を担う拠点の一つであることは既に述べたとおりです。

オシラサマとは30㎝程度の桑の木でつくった男女一対の養蚕・農業・馬の神とされ、布製の衣を幾重にも着せられていることが特徴です。青森県・岩手県・宮城県北部を中心に濃密に分布し、福島県・山形県・北海道南西部・茨城県の一部などにも事例が見られます。
各家庭で極めてクローズドな環境下で代々祭祀されてきた謎多き屋敷神であり、その全容はいまだ詳らかではありません。しかし当該地域では非常に大切にされてきた基層信仰の一つであり、現在進行形で祭祀が継承されている民俗文化でもあります。
一月十五日の小正月前後に女性たちの手によってオシラサマに新しい衣を着せたり白粉を塗ったりし、イタコが呼ばれてオシラサマを手に持ち遊ばせるのがオシラ遊ばせです。
この時、イタコは「オシラ祭文」という物語調の唱えごとを行い、オシラサマを祀ります。イタコが手に持ったオシラサマのご神体で体を撫でられると病が癒えるとも伝わり、いわば強力な祓の効果を発揮することも特筆すべき点です。
オシラサマは念入りに祭祀される大切な神である一方で付随する禁忌事項も多く、重要な儀式を執り行う際にはイタコのような呪術の専門的職能者の存在が不可欠だったことを感じさせます。


























