専称寺の本堂正面右側(南東)の力士像

【山形県山形市】夜泣きする力士の彫像がある?最上義光の娘の菩提寺「専称寺」に伝わる伝説

不思議な伝説というものは全国各地に存在しますが、そんなお話が山形市の中心部にあるここ専称寺(せんしょうじ)にも存在します。

今回は専称寺に伝わる「夜泣き力士像伝説」の紹介です。


最上義光の次女駒姫の菩提寺「専称寺」

専称寺(正門)

専称寺(せんしょうじ)は山形市緑町にある浄土真宗大谷派の寺院で、もともとは山形市の北に位置する天童市に存在しましたが、1595年に起きた事件がきっかけで山形市へと移設されます。

当時、出羽国の大名だった最上義光(もがみ よしあき)の次女 駒姫(こまひめ)は美人と評判で、1595年に時の関白 豊臣秀次(とよとみ ひでつぐ)の侍女として京都の聚楽第に召されます。

しかし、同年七月に秀次は太閤 豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)に謀反の疑いをかけられ高野山にて切腹します。そして駒姫を含む子女妻妾も、秀次に連座し京都 三条河原にて処刑されます。

この時駒姫はまだ15歳でした。

専称寺(旧寺町の碑)
旧寺町の碑

この出来事に深く悲しんだ最上義光は駒姫の生母が浄土真宗に帰依していたことから天童の専称寺を山形に移設。1598年には寺領を寄進して現在の場所に再移転。壮大な伽羅を建立し、駒姫を弔いました。

専称寺(黒髪塚)
駒姫の遺髪を収めた黒髪塚(現在は黒髪塚跡地に供養塔が建立されています)

夜泣きをしたり抜け出して相撲を取る?夜泣き力士伝説

専称寺(本堂)

現存している専称寺の本堂は1703年に建立されたもので、江戸時代中期の木造建築物としては東北随一の大きさを誇ります。

専称寺(正面)
本堂正面には象と思われる立派な彫刻も。

そんな本堂の四隅には屋根を支えているかのように四人の力士の彫像が配されています。

江戸時代の伝説的彫刻職人である左甚五郎(ひだり じんごろう)の作と伝わるこの力士像には、その素晴らしい出来栄えから魂が宿ったと考えられ、以下のような伝説が伝わっているそうです。

伝説①屋根の重さに耐えかねて夜泣きする力士像

専称寺の本堂正面右側(南東)の力士像
専称寺の本堂正面右側(南東)の力士像

屋根を支える四人の力士は、魂が宿ったことで意思を持ちます。屋根を支えながらも、日中はなんとか重さに耐えているが、夜になると「重い…重い…」と愚痴をこぼしながら夜泣きをするようになります。

毎夜のように続くその夜泣きに耐えきれなくなった住職はある日、猟師に頼み力士の足元付近に鉄砲を打ち込み脅しをかけてもらいました。すると夜泣きはぴったりと収まったそうです。

伝説②夜中に抜け出して相撲を取ったり酒を買いに行く力士像

専称寺の本堂正面左側(南西)の力士像
専称寺の本堂正面左側(南西)の力士像

もう一節では、この力士像が夜毎に軒下から飛び出して相撲を取って遊んだり、酒を買いに出て行ってしまうのをけしからんとした住職が力士像の足を釘で打ち付けたことで、自由に出歩けなくなった像たちが夜泣きをするようになった…というものです。

こちらの話でも最終的に鉄砲を打ち込んだことで夜泣きが収まったそうです。

専称寺の駐車場側(北西)の力士像
専称寺の駐車場側(北西)の力士像

ちなみに北東側の力士像は隣接する幼稚園の敷地となり立ち入り禁止となっています!なのでそちらの力士は未確認です。専称寺の公式サイトには北東の力士像も写真が掲載されています。


まとめ

この話を知ったときに最初に思ったのは「住職きびしいなー」でした笑

屋根が傾いたりと、実害がないなら相撲を取ったり酒を買いに行くぐらいは許してあげてもいいんじゃないでしょうかね。釘を足に打ち込まれたら、そりゃ夜泣きもしますよね。

専称寺(大イチョウ)
市指定天然記念物でもある専称寺の大イチョウ。別名「雪降り銀杏」とも呼ばれる。

ちなみに専称寺は普通に檀家さんのお墓もあり、幼稚園も併設されていたりと、立ち入り禁止の部分もあります。観光目的の方はマナーを守って観光することを心がけましょう!

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