【福島県】消えた超ローカル線「日中線」

喜多方ラーメンなどが有名な福島県の西方の喜多方市には、JR東日本の磐越西線(ばんえつさいせん)という鉄道路線が通っています。
磐越西線は福島県郡山市の郡山駅から、会津若松市の会津若松駅を経て、新潟県新潟市の新津駅までを結ぶ路線です。
福島県の中通りと会津、そして新潟市を相互に結ぶ役割を果たしていて、新津駅と会津若松駅を結ぶSL列車の「SLばんえつ物語」や、郡山駅と喜多方駅を結ぶ観光列車の「あいづSATONO」が、休日には運行されることもあります。

喜多方市の中心駅である喜多方駅には、現在は磐越西線の列車だけが発着していますが、JRがまだ前身の国鉄だった時代の1984年までは、別の路線も通っていました。
その名も「日中(にっちゅう)線」です。


日中線とは?

日中線は、喜多方駅から、その北の方にあった熱塩加納村(あつしおかのうむら)の熱塩駅までを結んでいた、全長11.6kmの国鉄の路線でした(熱塩加納村は2006年に喜多方市となりました)。
途中の駅は3つあり、喜多方駅から順に、会津村松、上三宮(かみさんみや)、会津加納という名前でした。
日中線という路線の名前は、熱塩駅の北方にある日中温泉に由来します。

日中線が既に廃止された路線でありながらしばしば話題にあがるのは、何といってもあまりにも閑散としたローカル線であり、そして古き時代の鉄道の姿を伝えてきた路線だからです。

1938年に日中線が開業した当初の列車の本数は1日6往復だったといいます。
しかし列車の本数は、主に減る方向で変わっていき、1958年頃には1日わずか3往復に落ち着きました。
自家用車の爆発的普及はまだこれからという時代なのに、既にこのような運行本数だったことには驚きを禁じえません。

そして、1日3往復のまま1984年4月1日の廃止を迎えます。
筆者の手元にある時刻表は一番古い物でも1964年9月号なので、どの時刻表を見ても1日3往復で、列車の運転される時刻も大して変わりません。
例えば1982年11月の時刻表を見ると下記の6本の列車が記されています。

  • 621列車 5:17会津若松発・5:40喜多方着 6:12喜多方発・6:41熱塩着
    (この列車のみ会津若松駅が始発で、喜多方駅で磐越西線から日中線に乗り入れていました)
  • 623列車 16:10喜多方発・16:38熱塩着
  • 625列車 18:25喜多方発・18:53熱塩着
  • 622列車 7:06熱塩発・7:35喜多方着
  • 624列車 17:01熱塩発・17:37喜多方着
  • 626列車 19:08熱塩発・19:36喜多方着

時刻を見るとわかるように、熱塩駅に到着した列車が、20分ほどで折り返して喜多方駅へ戻っていき、それが朝・夕・夜の1日3回繰り返されるという、非常にわかりやすい運行形態でした。
日中線という名前に反して、日中は全く列車が走らないことは語り草にされました。
日中線の利用者は主に地元の高校生で、1日1kmあたりの利用者は260人程度だったといいます。

また、熱塩加納村ではかつては石膏や銀・銅鉱石がとれたこともあり、1983年10月までは日中線で貨物輸送も行われていました。
輸送量が少ないこの路線では、乗客の乗る客車に貨車を積載する貨車が連結されて、機関車がまとめてけん引して走っていました。
このような列車を混合列車といいます。
日中線の列車はどれも11.6kmの路線を走破するのに30分近くかかっていて、かなりのんびりとしている印象を受けますが、これはそもそもの列車の運転速度が低いことに加えて、途中で貨物の積み下ろしの時間を設けていたことも要因です。

列車をけん引する機関車には1974年まで蒸気機関車が使われており、本州のお客が乗る定期列車としては、最後の蒸気機関車がけん引する列車でした。
蒸気機関車の運転が終了する頃には多くの鉄道ファンが詰めかけることとなりました。
本州最後のSLとして走った機関車の内の1両は、後述する日中線の廃線跡を利用した「日中線記念自転車歩行者道」で静態保存されています。

日中線記念自転車歩行者道
日中線記念自転車歩行者道で保存されているC11形蒸気機関車63号機

蒸気機関車での運行が終了した後も、日中線の列車はDE10形ディーゼル機関車がけん引する形で運行されました。
気動車(軽油を燃料にして自走する旅客車)は最後まで導入されませんでした。

鉄道ファンの話題にはよくあがる日中線でしたが、ここまで閑散としたローカル線が国鉄時代末期を生き残る方法はありませんでした。
1980年の日本国有鉄道経営再建促進特別法、通称:国鉄再建法により、日中線は第1次特定地方交通線に指定されました。
特定地方交通線とは、利用者が少なく、バスへの転換などが適当とされた国鉄の路線のことです。
第1次から第3次にわたって路線の指定が行われて、日中線は「営業キロが30km以下の行き止まりの路線、かつ1日1kmあたりの旅客が2,000人未満」という第1次の選定基準(第2次、第3次よりも大幅にゆるい基準でした)を十分に満たしてしまい、容赦なく廃止の対象とされました
1984年3月31日が最終日となり、翌4月1日をもって廃止されました。
路線バスが日中線の代わりに運行を開始したものの、その路線バスでさえも2012年に廃止されていて、現在は公共交通で移動するならばデマンドタクシーを利用することになります。


米沢と喜多方を結ぶ路線になれなかった日中線

日中線は、閑散としていて長さも短いローカル線となることを、計画された時点から運命づけられていたわけではありませんでした。
戦前の計画では、山形県の米沢から福島県の喜多方に至る鉄道の建設が予定されており、日中線はその一部として1938年に開業したものだったのです。

米沢と喜多方を結ぶ鉄道を、現在の野岩(やがん)鉄道会津鬼怒川線、会津鉄道会津線に相当する路線などと結び、栃木県の現・JR日光線の今市駅から、会津若松を経て米沢までを結ぶ構想すらありました。
もしも計画が実現していたなら、例えば東京の上野駅を出て、宇都宮、今市、会津若松、喜多方、米沢、山形、新庄といった駅を経由して、秋田駅に至る急行列車や特急列車が設定されていたかもしれません。
東北地方を縦断する東北本線のバイパス機能を、日中線(に相当する路線)が担っていた可能性があったのです。

また、会津若松と米沢が短い距離で結ばれているというのは、日本史的な観点で見ても面白いことかもしれません。
どちらも、かの上杉景勝が治めたことのある地です。
2009年に放送されたNHK大河ドラマ「天地人」は、上杉景勝に仕えた直江兼続を主人公としたドラマでしたので、この年にはドラマにちなんだ臨時列車が、会津若松駅~米沢駅間で運転されていたかもしれません。

現実の話に戻ると、戦争の影響で、熱塩から米沢までの建設工事は中断してしまいました。
戦後も福島県と山形県の県境にまたがる大峠を越える工事が難航することが予想されたようで、鉄道の建設が再開されることはありませんでした。
結果的に喜多方と米沢を結ぶ交通網は、現在国道121号の一部区間という形で存在していますが、この道路を通る路線バスも、利用客でにぎわうことはありませんでした。
先ほどは日中線が東北本線のバイパスとなっていた姿を想像しましたが、バイパス路線としての重要性はおそらく1982年の東北新幹線の開業時か、1992年の山形新幹線の開業時のどちらかのタイミングで失われていたはずです。
そうなれば、史実の路線バスと同様に、大峠を越える鉄道の利用者がまばらになってしまうことはほぼ確実です。
利用の低迷を理由として廃止されるか、あるいは存続していたとしても今頃廃止が議論されていたかもしれません。


日中線記念館

日中線記念館

日中線の終点だった熱塩駅の駅舎は、日中線開業の1938年から使われてきたノスタルジックなものでしたが、廃止間近の時期には、現役の駅であるにもかかわらず無残に荒廃していました。
しかし日中線の廃止後に、きれいに整備されて「日中線記念館」として駅舎が保存されています。
館内では日中線に関する資料などが展示されています。

また、駅舎の外には、ラッセル車(雪かき車)や客車が静態保存されています。
蒸気機関車の方向転換に使われた転車台の跡も残っています。
(ただし、実際には転車台はほとんど使われることはなく、蒸気機関車は片道をバックで運転することが通常でした)。

Information<日中線記念館>

  • 名称 日中線記念館
  • 所在地 福島県喜多方市熱塩加納町熱塩字前田丁602-2
  • 開館時刻 9:00~16:00(外観見学は常時可)
  • 休館日 月曜日、12月29日~翌年1月3日(外観見学は常時可)
  • お問い合わせ番号 0241-24-5323(喜多方市文化課)
  • Web 文化課所管の施設を紹介します – 喜多方市ホームページ

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日中線記念自転車歩行者道のしだれ桜

日中線記念自転車歩行者道

旧喜多方市内の日中線の廃線跡は、サイクリングロード「日中線記念自転車歩行者道」として整備されています。
喜多方駅から隣の駅だった会津村松駅までの部分では、沿道に約1,000本のしだれ桜が植えられています。
しだれ桜の例年の見ごろは4月中旬から下旬で、日中線しだれ桜として、福島県内有数の桜の名所の1つとなっています。
花見の時期に限り付近に駐車場が開設されますが、喜多方駅で列車を降りて歩いて行くのもまた趣があることでしょう。

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まとめ

日中線は第二次世界大戦前に開業したものの、その後列車の本数や運行形態などがほとんど変わらないまま、昭和の末期に廃止されました。
鉄道が陸上交通の主役だった戦前の時代の鉄道の姿を(良くも悪くも)46年にわたってとどめてきた鉄道でした。
お伝えしたように、幸いにもその遺構がわずかながら残っており、昭和時代の鉄道の姿を今に伝える存在となっています。
もしも、福島県の会津地方を旅することがあるならば、喜多方を、そして日中線の遺構を旅先に加えてみるのはいかがでしょうか。

なお、喜多方の観光については、下記の記事も参考にしてください。


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