神紋「会津三ツ葵」

【福島県会津若松市】樹齢1000年以上の桜がある養蚕守護の総本社「蚕養国神社」

JR会津若松駅から南西方向に約1kmの付近にある蚕養町。ここに樹齢1000年以上の御神木「峰張桜」がある養蚕守護の総本社「蚕養国神社(こがいくにじんじゃ)」が鎮座しています。


かつては日本でここだけの「日本一社」だった蚕養国神社

811年創建といわれる由緒ある神社で、927年にまとめられた「延喜式神名帳」という当時の神社一覧では全国で2861社の「式内社」の一社に名を連ねており、当時の会津郡内で式内社に数えられたのは現在の会津美里町にある伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)と合わせて二社のみでした。

さらに「蚕養国」という名を冠する神社は他になく、当時、蚕養国神社は日本で唯一ここにしかなかったことになります。

蚕養国神社の鳥居
蚕養国神社の鳥居

その名前から養蚕業が関係すると考えられていますが、

平安時代初期に編纂された勅撰史書「日本後紀」の中に「伊勢・三河・相模・近江・丹波・但馬等の国の婦女2人ずつを陸奥国に遣わして2年間養蚕技術を教えさせた」という記載があることから、会津で養蚕業を興そうという当時の中央政府の目論みのために祀られるようになったとする説もあるようですが定かではありません。

御祭神と御神徳

蚕養国神社の拝殿
蚕養国神社の拝殿

御祭神は

  • 保食大神 (うけもちのおおかみ)
  • 稚産霊大神 (わくむすびのおおかみ)
  • 天照大御神 (あまてらすおおみかみ)

の三柱で、養蚕守護の神様として知られることから、農業、工業、商業の諸業繁栄と交通安全の守神として信仰されています。

拝殿に掲げられた繭額
拝殿に掲げられた繭額

拝殿には蚕の繭で社章をかたどったと思われる製糸会社の繭額等が奉納されているのが確認できます。


社殿の焼失で一時衰退するも会津藩の庇護により復興

1011年に県令の石部少将道秀らによって創設されたと伝わる社殿が火災により焼失し神社は一時衰退します。しかしその後、会津藩初代藩主の保科正之によって復興され、社殿造営と社領20石の安堵を得ました。

1807年に火災により再度社殿が焼失してしまいますが、1819年に会津藩8代藩主の松平容敬によって再度復興されたといわれています。

神紋「会津三ツ葵」
神紋「会津三ツ葵」

このことがあってか蚕養国神社の神紋は会津松平家の家紋である「会津三ツ葵」が使用されています。

明治維新後の1876年に近代社格制度(現在は廃止)において県社に列せられました。


樹齢1000年以上といわれる蚕養国神社の峰張桜

蚕養国神社の境内にある「峰張桜」と呼ばれる桜の老木は、1011年に県令の石部少将道秀らによって神社が創設された際に一緒に植えられたといわれており、推定樹齢は1000年以上で神社の御神木となっています。

峰張桜
峰張桜

案内板には「会津五桜の一」となっていますが、一般的に会津五桜に数えられるのは石部桜(会津若松市)、虎の尾桜(会津美里町)、薄墨桜(会津美里町)、杉の糸桜(会津坂下町)、大鹿桜(猪苗代町)…となっているので、もしかするとその次点?なのかもしれません。

蚕養国神社<Information>

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