【山形県】山形県置賜地方は機織りが盛ん。織物の町で機織り体験してみた!

山形県の内陸部南部に位置する置賜地方は『米沢市』『高畠町』『南陽市』『白鷹町』『長井市』『川西町』『飯豊町』『小国町』の3市5町に分かれています。その中の米沢市、白鷹町、長井市で古くから織物が盛んにおこなわれていました。

青苧栽培から始まり、養蚕も盛んになり織物文化が深く根付き今に至ります。後に置賜紬と総称され国の伝統工芸に指定されています。

リンク:日本伝統文化振興機構HP – 置賜紬

途中化学繊維に押され衰退しそうになりましたが、織元たちの努力により現在まで伝承され着物愛好家から現在も大変人気があります。

伝統工芸ともいわれる機織りにスポットを当ててご紹介したいと思います。機織り体験もしてみましたので、そのようすも併せてご紹介していきます。


機織って?少し詳しく知りたい!

photo by ikoke

日本全国には各地方で、その土地に合う特色のある織物が発展してきました。ここ置賜地方でも色々な織物がありますが、中でも「米沢織(よねおり)」「白鷹紬」「長井紬」が現在でも有名です。

それぞれの特色は後ほどご説明します。

機織りは、農業の傍ら養蚕を行い繭を造り絹織物を収入源としていました。絹織物は貴族などの上流階級の人たちだけに許されていた時代もあります。庶民は麻や綿の織物しか使えませんでした。

現在では麻も高級になってきていますけれども、時が変われば……ということでしょうか。

織物文化は縄文時代からあったとされています。江戸時代には技術の向上もあり養蚕も盛んになったことで絹織物が盛んになりました。

明治に入って織機も大型化され、機械化により織物は工業化して現在に至ります。工業化が進んだことにより機織り職人は減ってしまいました。

現在でも少なくなってしまいましたが、手織り職人が機織りを続けて伝統を絶やさないよう努力しています。


手織り機織りとは?

photo by ikoke

手機と言われる機織り機があります。経糸と横糸を織機にかけて一本一本交差させて織ります。

両手両足を使いパタンパタンとリズミカルに織進めていきますが、実際は何往復も糸を交差させて織進んでも数センチと気の遠くなるような作業です。

機織り体験してみた!

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画像を見ていただけると分かると思いますが、この細い糸を交差させて織っていくのですから、進まないですよね。赤い糸の部分を折るのにかかった時間は30分!早々にギブアップしてしまいました。

織糸はどんな糸?

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青苧などの植物から紡がれた糸や、蚕から紡いだ絹糸を機織り機にかけ、職人により織られていきます。

染色前の生糸です。手前は絹糸ですがすでに光沢があり綺麗ですね。

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ガラスケース越しなので見えにくいですが、美しい色の糸が揃っています。染料は全て植物の根や木の皮などを利用した草木染です。

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染め上がった糸を上の画像の「シャトル」に巻き付けて横糸となります。このシャトルを織機に張った糸の間をすべらせ織っていくのです。


置賜地方の織物それぞれの特色

置賜地方を代表する織物『米沢織(よねおり)』『白鷹紬』『長井紬』の特色をそれぞれに分けて探ってみました。


米沢織(よねおり)

米沢織の始まりは、江戸後期に財政を立て直すために米沢藩に入った上杉鷹山が、産業振興に養蚕を推奨し、内職として機織りをすすめ、広がったのが始まりです。

京都から織物師を招い研究開発努力を続け、生糸を紅花や紫紺など草木を用いて染めてから織る「先染め」の技術が確立されてことで、全国的に米沢織(よねおり)は知られるようになりました。

こちらは、青苧という植物からできている糸を使い織られています。


白鷹紬

白鷹紬は、米沢織物と同じで先染め織です。150年の歴史があり、1880年に日本で唯一の板締絣(いたじめかすり)を継承し、絣織の北限と言われています。


長井紬

明治時代に長井市の織物問屋が、新潟から紬などの織物の指導者を招き、長井紬の代名詞『米流紬』が誕生しました。米流の名は元々米沢藩だったことと、琉球紬に似ていたことから付けられた名です。

最近では、動物柄も人気があり積極的に取り入れられているようです。


まとめ

気の遠くなるような工程を経て出来上がる反物、和裁師により仕立てられた優美な着物を眺めていると、着たいという気持ちが湧いてきました。

機織り体験は、日本文化に触れるいい機会かもしれません。米沢の米織会館では、随時機織り体験を無料でさせてくれますので、お出かけの際はぜひ体験してみてはいかかでしょうか。


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