調整池(右側)と西部承水路(左側)をほぼ遮断している南部排水機場。中央の長い水路は中央幹線排水路 ©男鹿半島・大潟ジオパーク

【秋田県大潟村】海水面より低い大地、八郎潟干拓地の生命線は水の管理-八郎潟干拓の歴史③

1963年(昭和38年)11月12日に51.5kmにも及ぶ堤防が完成し、いよいよ水を抜く作業に取りかかります。

八郎潟干拓は、約2万2,000ヘクタールあった旧八郎潟の水面のうち約73%、1万6,000ヘクタールを大地として利用しようとするもので、まず旧八郎潟を堤防で囲んで大きな島を造ります。そして堤防の内側にある水を外に排出し、出現した湖底を農地などに使うのです。

排水機場
湖水は北部排水機場(右側中央)と南部排水機場(下)の2か所から排水 ©秋田県秋田地域振興局農林部

堤防に囲まれた7億トンにもなる干拓地の水を大型ポンプで外に排出

南部排水機場
建設工事が始まった南部排水機場。現在は改築されている ©大潟村干拓博物館

排水する方法として、干拓地東側の東部承水路に排水する北部排水機場と、調整池に排水する南部排水機場が設けられました。強力な排水ポンプ複数台で排水をしたため、計算値では半年ですべて排水できるのですが、さまざまな安全面を考慮しながらだったので、完了するまでは2年半かかっています。排水した量は約7億トンといわれています。

南部排水機場
新しく建てられた南部排水機場。西部承水路との水量調整や干拓地内の余った水を調整池に排出 ©男鹿半島・大潟ジオパーク

八郎潟と外海を結ぶ船越水道に防潮水門を建設し海と遮断

排水工事と同時進行で八郎潟と外海をつなげていた開口部を締め切る工事が始まりました。八郎潟と外海は4kmほどの船越水道という水路でつながっていました。この船越水道に防潮水門を造ることによって、海水の流入とともに、潮の満ち引きによる水面の上下も防ぐことができます。

防潮水門は10門造られ、そのうち1門は干拓工事用の船舶が通れるようになっていました。また、水門とは別に外海や調整池で漁をする漁船のための閘門(こうもん)ゲートや魚のための魚道などが設置されています。閘門ゲートとは有名なパナマ運河のように、入り口と出口で水位が違う場合に、2つの水門で水位の上下を調整して船が通れるようにした水門です。

また、干拓地は農地なので、塩水は農業用水としては使えません。そのために水門で海水の流入を止めれば、水の供給源である八郎湖を真水にすることができるのです。

防潮水門
船越水道に建設中の防潮水門。これにより八郎湖は真水に変化した ©大潟村干拓博物館

この防潮水門は、平成に入ってから水門数が14門になるなど最新施設へ改修され、現在も使用されています。

防潮水門工事の際には、それまで蛇行して流量が少なかった船越水道の拡幅直線化および川底の浚渫(しゅんせつ)工事(川底のヘドロを除き深くする工事)も行われています。

防潮水門
10門だった水門が14門に拡張され大潟村を守っている現在の防潮水門 ©男鹿半島・大潟ジオパーク

堤防建設中に排水路の基礎工事を同時進行

干拓では、干拓地全体の排水完了後も干拓地内部にたまる雨や農業用水、生活排水などの余分な水を外へ排出する必要があります。排水は排水機場から行うので、干拓地内に排水機場までの排水路を作る必要があります。排水路工事は堤防工事中から計画的に行われていました。

堤防造りのため湖底の土砂を浚渫して利用したのですが、同時に排水路の位置を設計し、堤防工事で使用した浚渫船を使って設計図通りに溝を掘り、排水路の基礎工事を完了したのです。浚渫して出た土砂は排水路の護岸工事用に使われています。

排水がほぼ完了してから本格的な排水路の建設が始まりました。干拓地内には総延長600kmにも及ぶ排水路網が造られたのですが、湖底はもともと柔らかいヘドロが堆積していたので、排水路工事もかなりの難工事でした。それも、工事条件にあう掘削機械などを新たに開発するなどして克服、現在でも干拓地を守っている排水路網ができあがったのです。


排水開始から10か月後、一部水の引いた湖底で干陸式を開催

1963年(昭和38年)11月から始まった排水作業ですが、翌1964年9月には6,500ヘクタールの湖底が出現しました。この広さは干拓地の35%ほどでしたが、水は全体の90%が排出されたといいます。まだ完全に陸地化したわけではありませんが、この時点で政府主催の盛大な干陸式が行われています。その10月には大潟村も発足しました。

大潟村
酸性の畑に石灰まいて中和。作物に適した弱酸性から中性くらいの土壌に改良 ©大潟村干拓博物館

八郎潟は汽水湖だったので干拓された大地は塩分を含んでいます。そのままでは塩害になる可能性があり、農地として利用できません。しかも八郎潟の湖底は水分を多く含んだヘドロになっています。ヘドロは乾燥すると強い酸性を示す性質があり、そのままでは多くの作物は育ちません。農業用に適した弱酸性から中性くらいの土壌に改良する必要がありました。

塩分は、真水の農業用水や雨などにより薄まっていきます。ヘドロ乾燥による酸性化はアルカリ性の石灰をまくことによって対処しました。


サイフォンの原理を利用して取水する農業用水

取水管
水面の方が地面より高い位置にあることを利用してサイフォンの原理を応用した取水管 ©大潟村干拓博物館

八郎潟は農業をするために干拓されたので、干陸後は真水の農業用水を供給する必要があります。水は干拓地の周囲を真水化された調整池と2つの承水路で囲んでいますので、そこから取り込むように計画されました。そのため、干拓地を囲む堤防上に19か所の取水設備が設けられています。

八郎潟の堤防は軟弱なヘドロ上に造られているので、補強されているとはいえ堤防自体に取水管を通すのは安全上問題があるとのことで、東部承水路と調整池側の12か所については堤防をまたぐように取水管が設置されています。この方式は、堤防の強度は維持しながら、しかも水面が地面より高い位置にある干拓地では、サイフォンの原理で動力を使わなくて水を汲み上げられるという非常に理にかなった方法でした。西部承水路側の堤防は、地盤が良いところに造られているため堤防の中に取水管を通す方式が採用され、7か所の取水口が設けられています。


独立した水域として管理されている西部承水路

八郎湖は、干拓地の南にある大きな調整池と東側の東部承水路、西側の西部承水路で構成されています。調整池と東部承水路は水の出入りは自由になっていますが、西部承水路は北部の東部承水路とは土手で仕切られていて、東部承水路とは地中の細い土管でつながっているだけです。また、南部分も調整池とは細い水路はありますが、ほぼ独立した水域となっています。

この構造は干拓当時からのもので、目的があってそう設計されました。八郎湖は干拓地の排水の受け湖であると同時に、農業用水の供給源です。広大な干拓地をまかなう農業用水は膨大で、真水の供給源がなければすぐ干上がってしまいます。幸いにも八郎湖に流入する川は20本近くあり、年間にすると八郎湖の半分の量に相当します。ただ、流入する川は東岸に偏っていて西岸には1本もありません。


東部と西部では海抜が違っても構わないように設計された承水路

干拓地縦断断面図
干拓地縦断断面図。干拓地(大潟村)が海抜0mより低いことが分かる。また、農繁期など東部承水路と西部承水路で水面の高さが違う場合があるので、それを排水機場で調整している ©秋田県秋田地域振興局農林部

八郎湖は、防潮水門の内側を海抜(標高)35cmに保つように調整されています。川の水は基本的には35cmを越える部分は外海に通じる船越水道を通って防潮水門から放出されます。しかし大量の水を必要とする農繁期には八郎湖に水をためなければなりません。そのため水面を海抜1mにかさ上げして、毎日一定量を干拓地内に供給するように決められたのです。

しかし水面を海抜1mにすると干拓側だけでなく、堤防がない対岸にも堤防を造らないと安全上問題が生じます。しかし、対岸に堤防を築くとなると八郎潟一周分約82kmもの堤防が必要です。その材料、労力、期間、費用など膨大なものになってしまいます。

八郎湖に流入する川は東岸部分だけで、西岸にはありません。そこで、西部承水路にほからの水が流れ込まないようにすれば、西部承水路の水は自然に増えることはほとんどなく、必要な時だけ水を入れればいいのです。入れた水はすぐ農業用水として使われるので、水面の海抜は低く保たれ、対岸の堤防が必要ありません。堤防を造ると費用がかさむため、あえて西部承水路は独立した造りになったのです。

現在排水等を行うポンプ場は4か所あります。調整池には排水用ポンプが4基と、西部承水路調整用1基の「南部排水機場」、東部承水路には排水ポンプ4基の「北部排水機場」と同3基の「方口(かたぐち)排水機場」。西部承水路には「浜口機場」(ポンプ2基)が稼働して水位の調整を行っています。


大潟村の農地面積は、神奈川県の農地面積に匹敵

八郎潟干拓事業は、1957年(昭和32年)の事業開始から約20年をかけて1977年(昭和52年)に完了しました。干拓地を利用した大潟村の農地は、現在では神奈川県全体の水田に匹敵する広さを誇っています。

  • 大潟村 新農村建設事業(八郎潟新農村建設事業団)
  • 農地整備 11,202ha
  • 集落用地整備 宅地造成687ha
  • 防災林 492ha
  • 住区内道路 19.3km
  • 公共用施設 役場、公民館、診療所、幼稚園、小学校、中学校、上水道、下水道、塵芥処理場、墓苑、街路等
  • 農業用施設 農家住宅580戸、カントリーエレベーター6基、ドライストア2基、機械格納庫104棟
  • その他 入植予定者の指導訓練、入植者の営農指導、営農機械の購入および譲渡等
  • 出典:農業農村整備情報総合センター「水土の礎」

八郎湖では漁業も復活

八郎潟の干拓は、その一部には旧八郎潟の20%ほどの湖が残りました。残存湖(八郎湖)は、海水の混ざった汽水から真水に変わってしまいましたが、干拓事業が終了後には一部漁業も復活しました。漁獲高は干拓前の1,900トン前後から250トンほどに減っていますが、現在でも170人ほどがワカサギ漁を中心に漁業を続けています。


八郎潟の過去、現在が分かる「大潟村干拓博物館」

「大潟村干拓博物館」の展示。干拓当初の苦労した農地造りの様子 ©秋田県

日本第2位の広さだった八郎潟を干拓した歴史的な事業の足跡を、後世に残すために設立された博物館です。八郎潟干拓の歴史、意義、大潟村存立、干拓技術などの資料を収集し、映像やパネルで展示してあります。

©大潟村干拓博物館

大潟村干拓博物館<Information>

  • 施設名称:大潟村干拓博物館
  • 所在地:秋田県南秋田郡大潟村字西5-2
  • 電話番号:0185-22-4113
  • 開館時間:9:00~16:30(※入館は16:00まで)
  • 休館日
    • 4月~9月:第2・第4火曜日
    • 10月~3月:火曜日、年末年始(12月31日~1月3日)
    • ※火曜日が祝日の場合は翌日が休館
  • 入館料:一般・大学生 300円、小中学生・高校生 100円、
    • ※障害者手帳・療育手帳をお持ちのお客様は付添人も含めて無料
  • URL:大潟村干拓博物館
  • アクセス
    • 公共交通機関/JR奥羽本線八郎潟駅からタクシーで約20分
    • 車/秋田自動車道琴丘森岳ICから約15分

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大潟村<Information>

大潟村

  • 所在地:秋田市南秋田郡大潟村
  • 電話番号:0185-45-2111

参照


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