【宮城県仙台市】重要無形文化財『精好仙台平』は袴地の最高級ブランド
宮城県における庶民に愛される伝統工芸品と言えば、こけし。
では、武士階級に愛されてきた伝統工芸と言えば?
100万都市仙台は、江戸時代には仙台藩という名前で東北地方の政治経済の中心として繁栄してきました。
派手好きで知られる伊達政宗が拓いた土地仙台ですから、当然武士に愛される工芸品も数多く存在します。
今回は、そんな工芸品のひとつ、『仙台平』をご紹介します。
和服の最高級ブランド!仙台平とは?
仙台平は「せんだいひら」と読む織物のひとつ。
仙臺平とも書かれますが、これは合資会社仙台平の登録商標。
この記事では区別するため仙台平と記載します。
仙台平は、非常に堅牢でシワが付きづらいため、江戸時代から明治時代まで最高級の袴地として知られてきました。灰色系の縞模様の袴が多いのですが、財布など小物に利用されることもあります。
誕生は、17世紀後半から18世紀初頭。
仙台藩4代藩主伊達綱村は、郷土産業の振興のため、お抱え織物師である小松弥右衛門に藩御用の織物の製作を命じました。
5代藩主吉村時代には、金華山生糸を用いて改良を加え、最高技術の袴地として大成。
幕府や他藩へだけでなく、皇室への贈物としても珍重されることになりました。
仙台平の魅力とは?
こうして生まれた仙台平ですが、なぜこのように当時の人々を夢中にさせたのでしょうか?
仙台平の魅力とはいったいどのようなものなのでしょうか。
仙台平の特徴は、その独特の光沢、高級感にあふれる触り心地、そして堅牢さにあると言っていいでしょう。
これらの特徴を持った仙台平は、堅牢でありながら座れば優雅なふくらみを保つ上に、起ち上がると端然と形が整い、折り目立つため、格式高い場で使用する袴に使用するのに最適と言われています。
そのため、位の高い武士たちに好んで着用されてきました。
独特の光沢を生み出すのは、生糸の性質をそのまま引き出す製法にあります。
縦糸は『練糸(撚りをかけた糸)』、横糸は撚りを掛けない生糸を水に濡らして使用します。
こうすることで生地の密度を高くし、堅牢な生地を作り出すのです。
より堅牢なものになると、縦糸も水で濡らして何度も打込ながら織っていきます。
こうして織られたものの中でも特に丈夫で地質が堅いものが、「精好仙台平」と呼ばれています。
重要無形文化財となった「仙台平」
「仙台平」は親子2代にわたり「重要無形文化財(工芸技術)」として登録されています。
1902年7月10日宮城県仙台市生まれの甲田栄佑(こうだ えいすけ)氏は1956年に「分野 : 染織」で重要無形文化財「精好仙台平」の保持者として認定。
1929年1月4日宮城県仙台市生まれの息子、甲田 綏郎(こうだ よしお)氏は2002年に同じく「分野 : 染織」で重要無形文化財「精好仙台平」の保持者として認定されています。
「重要無形文化財」とは日本の文化財保護法第71条第2項に基づき同国の文部科学大臣が指定した重要無形文化財の保持者として各個認定された人物を指す通称であり、通称「人間国宝」と呼称されることもあります。
ちなみに宮城県内での「重要無形文化財」、通称「人間国宝」として認定されたのは過去にも現在にも甲田 栄佑氏、甲田 綏郎氏の2名のみとなります。
現在の仙台平
精密に美しく織り継がれてきた仙台平。
しかし、時代の流れには逆らうことができませんでした。
第二次世界大戦の企業整備や贅沢品の製造禁止の令が敷かれ、一時は年間3万反以上生産されてきた仙台平はごく少数の生産になってしまいます。
戦後の日本では和服自体の需要が減少。
袴地として愛されてきた仙台平は、さらに窮地に立たされることになります。
袴の需要が減少すると共に、生産量は減り、現在では合資会社仙台平で製造するのみ。
仙台平を製作する技法は、2002年7月には国の重要無形文化財に登録されています(登録名『精好仙台平』)。
とはいえ、仙台平はただ失われていく伝統ではありません。
2013年にはあの高級ブランド「GUCCI」とコラボレーションしたり、
2017年には仙台観光PRポスターで羽生結弦選手が着用するなど、全国的な普及に余念がありません。
平成30年で65回を迎える日本伝統工芸展には毎年のように入選し、存在感を示しています。
そして、2009年7月にオープンとなった宮城県仙台市青葉区一番町にある複合施設、「仙台ファーストタワー」はなんと!「仙台平」の柄をモチーフにした外観となっています。
和服が日常的に着られなくなった現代でも、仙台平の美しさは変わりません。
機会があれば、仙台平製品を手に取ってみてはいかがでしょう。
その堅牢かつ繊細な魅力に、虜にされてしまうかもしれませんよ!