
日本三大開拓地に数えられる町!フロンティアスピリット溢れる歴史を調査【福島県矢吹町】
みなさんは「日本三大開拓地」と呼ばれる地域があることをご存じですか?それが、青森県十和田市、宮崎県川南町、そして今回ご紹介する福島県西白河郡矢吹町です。
今では米や野菜などの農業が盛んな矢吹町ですが、その歴史は先人たちのフロンティアスピリットによって紡がれたものでした。
本記事は、その歴史と共に、現在の矢吹町の注目スポットを紹介します。
矢吹町はどんな町?

矢吹町は、福島県西白河郡に位置する町です。地名・矢吹の由来は、平安時代後期に源氏が奥州の戦乱から陣に戻る途中で設立した神社とのこと。神社は、矢柄を葺いた屋根となっていることから「屋葺」と称され、「矢吹」の地名につながったとされています。
町の歴史は石川氏の統治時代が長く続き、奥州街道と棚倉街道の追分地点を務める交通の要所、宿場町として発展していきました。明治時代には、岩瀬御猟場が開設されており、キジ鳥狩猟が行われていました。一般の人々も晴れの日にキジ肉を料理する慣習があったようです。

交通の要所であった町は、現代でもアクセスの良さが光ります。町内には東北自動車道とあぶくま高原道路をつなぐ「矢吹中央インターチェンジ」が設置され、近隣市町村に東北新幹線停車駅や福島空港もあるなど、アクセス手段に恵まれています。
また、町の景観も魅力的です。町の面積の半分以上が農地であり、なだらかな平地も多いことから、遠くまで見渡せるような田園風景が町内のあちらこちらに広がります。現在では農業が盛んな町となった矢吹町ですが、その姿の多くは昭和時代になってから作られたもの。壮絶な大開拓の歴史の賜物なのです。
矢吹町の開拓史とは?

実は元々矢吹町は、農業に向いた条件とは言えない土地でした。一番のネックとなったのは、農業用水の確保です。
平坦な台地に、川底の浅い河川。つまり、水を引き込むのが難しかったのです。そのため矢吹町一帯は、人々の生活圏は川の流域に集中。他は野生動物が多く生息する原野が、手つかずの状態で広がっていました。農地開拓が思うように進まないため、農作物の収穫量は少なく、凶作や水不足が起こるたびに争いが起きていたようです。
明治維新が進むと、矢吹町に御料地が指定され、宮内庁の開墾所が開設されました。しかし農業用水の獲得は相変わらず困難で、開墾は思うように進みません。そんな矢吹町の現状を変えるため、立ち上がったのが「星吉右衛門」氏です。
星氏は明治時代初期に、取水堰の造成で耕作地拡大の成果を上げた人物です。しかし星氏は、より根本的な解決を目指し、人生をかけた大事業を始めます。矢吹ガ原に隣接する天栄村の羽鳥地域で鵜沼川の水を堰止めて、隅戸川の水流を増やし、矢吹ヶ原の農業用水として取水する計画を立てたのです。
この計画は、経費や図面などまで緻密と言えるほどに考え尽くされた計画でしたが、県の予算不足、そして鵜沼川流域の住民の反対があったため、実行されることなく立ち消えてしまいました。そこで星氏は、水源を猪苗代湖に求めるかたちで計画変更を試みますが、それも叶うことはありませんでした。
星氏はその後、計画の実現を見ることなく、明治41年に生涯を終えます。しかし星氏の意思は地域住民によって受け継がれ、県や国を相手取っての取水工事を求める陳情が繰り返されました。前向きな兆しが表れたと思ったら世相やトラブルでストップし…など、一進一退が続いた末、ターニングポイントとなったのが、太平洋戦争の終戦後の食糧難です。どんどん深刻化する食糧難に、耕地拡大は国をあげての急務という状況になりました。そこでついに、昭和25年に国主導で羽鳥ダム建設が再開し、昭和30年に羽鳥ダムの開通。羽鳥疏水の基幹工事の完成に至りました。
しかし水は確保できたものの、広大な耕地の開拓も、並大抵のことではありません。当時の開墾作業、すべてが手作業。ようやく耕した田畑も、痩せた赤土のもとでは収穫量も思うように増えません。決して十分とは言えない配給食糧で飢えをしのぎつつ、壮絶な開墾作業は続けられました。過酷な条件下で1500ヘクタールにおよぶ田が開かれたことは、住民たちの血のにじむような努力があったからに他ならないでしょう。
そして現在、矢吹町には福島県立農業短期大学校が設置され、次世代の農業の担い手たちを育成する地域となっています。また、矢吹町一帯にかかる開拓事業は、国内でも有数規模。同じく大規模な開拓がなされた青森県十和田市、宮崎県川南町と合わせた3市町は、「日本三大開拓地」を名乗って先人たちの功績を未来につなぐ取り組みを行っています。
矢吹町と「キジ」は切っても切れない関係

矢吹町は現在、キジを町の鳥として設定しています。明治時代にキジの御猟場になっていた矢吹町では、古くからキジ肉を使った郷土料理が食べられていました。キジの肉はタンパクでありつつもコクがあり、弾力のある食感が特徴です。現在でも矢吹町では「きじの里やぶき」をキャッチフレーズに、町のPRに励んでいます。
また、町には「やぶきじくん」というキジをモチーフにしたPRキャラクターもいます。過去にはゆるキャラには珍しい「暴君キャラ」で人気を博したこともあるようです。
開拓の歴史を感じる、矢吹町へ
今回は福島県西白河郡矢吹町の開拓の歴史についてピックアップしました。
現在は広々とした田畑が広がる矢吹町ですが、元々は農業用水の獲得の難しい土地柄。手つかずの荒野が広がる時代が長く続いていました。現在の町の姿があるのは、住民の方が多大な努力が生んだ功績です。矢吹町を訪れる際はぜひ、そのフロンティアスピリットの偉大さを肌で感じていただけたらと思います。