
かつての奥州・安倍氏の拠点「十三湊」周辺のアラハバキ神社【青森県五所川原市】
目次
青森県の西部に位置する津軽地方。
広大な津軽平野を擁し、沿岸の汽水湖「十三湖(じゅうさんこ)」周辺に発達したという十三湊(とさみなと)を中心に北前船をはじめとする貿易で栄えたとされる地域ですが、この一帯には謎の古代神「アラハバキ」に関連するという神社が複数存在します。
古代神「アラハバキ」とは?
「アラハバキ」は東北地方や関東地方を中心に信仰があったとされる神で、古代から存在したと考えられていますが日本の記紀神話(古事記・日本書紀)には登場しません。
そのため東北地方から関東地方にかけての古代日本の在地信仰に由来する神と考えられていますが、あまりにも時代が古く、前述の通り文献への記載もないことから、その正体や起源については解明ができないまま現在へと至っています。
中世以降に神社の縁起や社伝に「荒脛巾」「荒覇吐」「荒吐」「荒波々幾」などの表記で登場しますが、多くは後にあてられた漢字の可能性が高く、「アラハバキ」とカタカナ表記で語るのが最も適切だと考えられます。
「なんの神なのか?」という部分も様々な説が語られています。以下はその一部です。
- 足や旅の神説
- 蛇神説
- 塞の神説
- 蝦夷(エミシ)の神説
- 製鉄祖神説
- アイヌの古語にまつわる性神説
各説の詳細は以下の記事で解説しています。
さらにこの五所川原市の周辺地域では「アラハバキは津軽安東氏(安倍氏)の祖神である」という説が浸透しています。
津軽安東氏(安倍氏)とは?
津軽安東氏とは、本姓「安倍」を称した陸奥国・出羽国の北部に勢力を張った武士の一族で、平安時代後期に東北地方で起こった戦い・前九年の役(ぜんくねんのえき)で活躍した安倍頼時(あべのよりとき)・安倍貞任(あべのさだとう)親子の系譜を自称する一族です。

前九年の役の敗戦後、北方へ逃れたとされる安倍貞任の第二子・安東高星(あんどうたかあき)を始祖とし、津軽地方を中心に西は出羽国秋田郡から東は下北半島まで勢力を拡げていたと推定されています。

現在の青森県五所川原市の十三湖周辺は「十三湊(とさみなと)」と呼ばれ、安倍氏~安東氏の拠点の一つである港湾都市として繁栄しています。
以上のことから諸説ありますが安倍氏の系譜は
安倍氏 > 安東氏 > 秋田氏
と受け継がれていったとされています。
東日流外三郡誌の震源地「五所川原市」
アラハバキの謎を追う上で切っても切り離せないのが、ここ五所川原で発見されたという古史古伝の一つ「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」です。
誤解のないように最初に記載しますが、この東日流外三郡誌をはじめとした和田家文書と総称される一連の文書群は現在では偽書であることが確実視されています。
発端は発見者とされる和田喜八郎氏からこの文書群を提供された青森県北津軽郡市浦村(現:青森県五所川原市)が1975年(昭和50年)から1977年(昭和52年)にかけて「市浦村史 資料編」(上中下の三部作)としてこの内容を刊行したことで、当時は賛否渦巻く大反響を呼びました。
しかし偽書であるとする見解が確実視されるようになったのは発見者である和田喜八郎氏が死去した1999年以降だった為、この約25年の間に地域の伝承や、改修・修繕が行われた神社の縁起等にこの情報が紛れ込んだと思われる記述があることがあり、それが現在に至るまで残っています。
具体的には以下のような記述です。
東日流外三郡誌にある記述の一例
- 安日彦と長髄彦の兄弟が治めて平和に暮らしていたのが畿内大和(現在の奈良県)にあった耶馬台国
- 安日彦と長髄彦の兄弟は神武天皇に敗北し、一族とともに津軽の地へ落ち延び、現地の諸民族と混血して「荒羽吐族」と号した
- 青森県つがる市の亀ヶ岡遺跡などから出土した遮光器土偶(しゃこうきどぐう)がアラハバキの姿である
- 神武天皇崩御の後、荒羽吐系の手研耳命が大和を支配した
東北民からすれば「地元にかつて精強な一族が存在した」という記述は「他地域に誇れる率先して受け入れたい情報」であり、心躍るものです。真偽未確定の最中でも、伝承・縁起等に追加で採用されていった可能性は否定できません。
こういった理由から、アラハバキ神社に関する縁起・由来には手放しで鵜吞みにはできないという側面があります。
十三湖周辺のアラハバキ神社
以上のような理由から十三湖周辺、五所川原市内には安東氏(安倍氏)の祖神としてのアラハバキ神社が複数存在します。ただし「アラハバキ」の名前を冠する神社は存在せず「かつてアラハバキと呼ばれていた」とする伝承が語られるのみというのが大半です。
洗磯崎神社
十三湖の北部、五所川原市脇元地区の海沿いに鎮座する洗磯崎神社は、かつて荒吐神(アラハバキ)を祀った神社とされ、周辺地域で唯一、解説板に記載があるという「物証」が存在する神社です。


現在は大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)を御祭神として祀っているようですが、「御由緒」の部分にある記載は以下の通り
洗磯崎神社「御由緒」
安倍・安東氏の祖神である荒吐神を祀った神社であるといわれている。文永十一(1274)年、天台宗僧賢正坊により薬師堂が建立されたと伝えられる。
明治以前は、薬師堂または薬師宮と称され薬師信仰が盛んで、旧暦四月八日には薬師祭が行われ、近隣から白旗たてた参詣者で賑わい、社寺分離まで続いたと伝えられる。
明治六年四月神仏分離令により洗磯崎神社と改め村社に列せられる。
洗磯崎神社と改称されたのは明治6年のことで、それ以前は薬師堂または薬師宮と呼ばれていたとされています。しかしそれも1274年以降のことなので、それ以前はアラハバキ神社であったということだと思います。

本殿は簡素な造りですが、境内共に非常にきれいに整備されていて、現在でも多くの信仰を集めている様子が伺えます。


本殿裏手には特に文字が刻まれた形跡もない大岩が二つ、台座のような盛り土の上に鎮座しています。
磐座信仰の痕跡?と思わせるような雰囲気も。こちらがご神体なのかもしれません。

境内からは脇本海岸が一望できる絶景スポットでもあります。きれいに整備され景観も最高…終始いいパワーを感じるような気持ちいい場所でした。
ちなみに「洗磯崎」を冠する神社はつがる市木造や南津軽郡藤崎町にも存在し、こちらもかつては「アラハバキ神社」だったとする伝承があるようです。単なる憶測ですが「洗磯崎」というのは「アラハバキ」を示す隠語なのかも…?
ただしこの脇元地区は東日流外三郡誌を参考に「市浦村史 資料編」を刊行した、かつての市浦村だった地域なのでそこだけが少し引っかかるところでもあります。
洗磯崎神社<Information>
- 名 称:洗磯崎神社(あらいそざきじんじゃ)
- 住 所:〒037-0405 青森県五所川原市脇元野脇7−1
- 電話番号:0173-62-2216
- 公式URL:ー
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相内神明宮
五所川原市相内地区に鎮座する神明宮も、かつてアラハバキを祀る社だったという伝承が残る地で、グーグルマップ上でも「神明宮:アラハバキ神社」と表記されています。

ただし具体的な物証はなく、現地にもそれを示すような痕跡は特にありません。

神明宮は450年以上の歴史を持つという相内地区の民俗行事「相内の虫送り」の「ムシ」が奉納される神社としても有名です。
参道には虫送りを終えた「ムシ」が木に掛けられ、年間を通して田畑の安全を見守るとされています。

小高い丘のような参道を登りきると本殿が見えてきますが…なんとなく近寄りがたい雰囲気が漂っています。

痕跡は見当たりませんが、この神明宮の社地は約4000~5000年前の貝塚遺跡である「オセドウ貝塚」と呼ばれる縄文遺跡でもあり、大正時代に行われた発掘調査では土壙墓(地面に直接穴を掘り遺体を埋葬する墓)、縄文人のものと思われる人骨、石器、土器などが発掘されています。
古代神とされるアラハバキが縄文時代から存在する神ならば、この地がある種の祭祀場であり、アラハバキが祀られる神聖な場所として受け継がれ現在では神社となっている…という可能性も否定はできません。

疑念が残るとすれば、この相内地区もかつての市浦村だった地域だということです…。
神明宮<Information>
- 名 称:神明宮:アラハバキ神社
- 住 所:〒037-0401 青森県五所川原市相内露草190番地 字
- 電話番号:ー
- 公式URL:ー
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石塔山 大山祇神社
青森市と五所川原市を結ぶ県道26号線(津軽あすなろライン)の山中に鎮座する神社。
残念ながらまだ現地は訪れていないのですが、来訪した人の記録によると参道入口の標柱に「石塔山荒覇吐神社参道」と記されていたり、『爲 安倍氏・安東氏・秋田氏・朝夷氏 祖先菩提』と刻まれた石塔がある模様。
昭和62年には故・安倍晋三首相と昭恵夫人が、父母である安倍晋太郎夫妻、芸術家・岡本太郎氏らと共に祖霊供養のためにこの地を訪問したことが「安倍晋太郎輝かしき政治生涯(出版:安倍晋太郎伝記編集委員会)」という書籍の中に記されているようです。
ただし、この地がアラハバキ神社だとする根拠は「東日流外三郡誌」の記述によるもので、上述の石塔の建立も同書の著者である和田喜八郎氏によるもののようです。
大山祇神社<Information>
- 名 称:石塔山 大山祇神社
- 住 所:〒037-0002 青森県五所川原市
- 電話番号:ー
- 公式URL:ー
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磯崎神社
五所川原市金木町にある「磯崎神社」も「かつては荒覇吐(アラハバキ)神社」と呼ばれていたとする説がある神社。
こちらもまだ現地を訪れていないのですが、特に痕跡と思われるものはないようです。
磯崎神社<Information>
- 名 称:磯崎神社
- 住 所:〒037-0205 青森県五所川原市金木町中柏木鎧石151
- 電話番号:ー
- 公式URL:青森県神社庁 – 磯崎神社
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まとめ
「東日流外三郡誌」の震源地であることから、どの情報を信頼すればいいのか疑心暗鬼に陥ってしまうことが多い五所川原市周辺の「アラハバキ神社」。
しかし実際に縄文遺跡と隣接する神明宮などの存在は、古代の祭祀場から発展し神社となったという可能性を大いに感じさせます。
「東日流外三郡誌」の記述に関しても「0から100を生み出したのか」「50~70を100に脚色したのか」などの具合で捉え方も変わってきます…。
自分としてはとりあえず今ある情報を記録・保存していくことが今後何かの役に立つ日が来るのかもしれない…と考えつつ、今後も「アラハバキ」の謎を追っていこうと思います!























