
山形県に存在した口寄せ巫女「オナカマ」とその本山「岩谷十八夜観音堂」
オナカマとは?
「オナカマ」とは山形県の最上・村山地方を中心に口寄せ・加持祈祷・卜占などを行った民間の巫覡(ふげき)のことで、東北地方の他地域でイタコ・ミコサマ・オガミサマと呼ばれる人々と同種の存在です。

目の見えない未婚の少女が厳しい修行を積み重ねることで、神や仏(死者の霊)を自分に乗り移すことのできる術を身につけて、その意志を人々に伝えることを生業としていたとされる職能者の事を指します。
中山町では平成7年に最後のオナカマとされた人物が逝去されたことで、現在その系譜は途絶した状態となっています。
オナカマの過酷な修行
オナカマになるには厳しい修業が必要で、その内容はオナカマ自身が「敵の子にもさせたくない」と語る程のものでした。

弟子入り
盲目の娘たちは7〜8歳で弟子入りし、肉や魚をとらない精進を続け、二年ほどかけて経文や占い口寄せの所作を習いました。
事前の断食行(だんじきぎょう)
修行の最終段階で本当に神がつくかどうかを試す「カミツケ」という儀式が行われますが、その前段の行として修行者は七日間の断食行を行います。

その間、清浄な場所に籠もり水垢離行を行い、その回数を事前につくった束ね藁を一本ずつ流すことで数えていました。
水垢離は5分に一回の割合で行い、七日間で1000回を数える過酷な行であったといわれています。
1000回の水垢離を7日間で終えるには1日最低143回は行わなければならない計算になり、5分に一回の水垢離は1時間で12回。少なくとも1日12時間は水垢離行を続けなければいけない計算となります。
非常に過酷な修行だったことは容易に想像できます。
カミツケ(神憑け)
満願日(修行の最終日)の真夜中、修行者は白い行衣を纏い頭髪を七カ所結って「ボンデン」と呼ばれる祭具を手に持ちます。

儀式に際しては金属・皮・ゴムの使用は禁忌で、髪をすくのにも木櫛が用いられました。
用意が整うと修行者は米俵に腰掛け、師匠の仲間のオナカマたちが取り囲んで経文を唱え「それつけ、それつけ」とはやし立てます。
しばらくして修行者が衰弱し気を失うと、立会人が「何神様がつきなさった?」と尋ね、それに修行者が「十八夜観音」と答えると晴れてオナカマになる資格ができ、別の神の名だった場合は修行がやり直しとなります。
師匠を跳び越す
無事に資格ができると、最初に腰掛けていた腰掛け俵の間に師匠が三十三文を枕にして横たわり、それを三度跳び越すという行が行われます。無事に済むと立会人がオナカマの由来が書かれた「内初め手形」を読み聞かせます。
一本立ち
おかゆを食べて一晩休んだ修行者は、花嫁衣装を着て鎮守の森を参拝し、その後盛大な披露宴が行われました。

そして「カミツケ」の儀式に用いたボンデンに「ゴシン」を入れてもらい、布を一枚一枚かぶせて「トドサマ」が作られます。
「ゴシン」について詳細は不明ですが、前後の文脈から察するに、ある種の「魂」のような霊的なものだと推察されます。
そして刺高(イラタカ)数珠や梓弓(アズサユミ)などの巫業の道具を譲り受けることで「一本立ち」となります。
こうしてはじめて町や村で巫覡として自立し、人々の相談に応じることができるようになりました。
オシラサマとは似て非なる巫具「トドサマ」
「トドサマ」はその見た目から、東北地方の他の地域の巫覡が用いる「オシラサマ」と同種の巫具と考えられますが、自身がオナカマになる儀式「カミツケ」に用いたボンデンをもとに作られることから、正式な修行を終えたオナカマの証としての役割を担っていた可能性も想像できます。

青森県のイタコの巫具の一つに「オダイジ」と呼ばれるものがありますが、これにはイタコ本人の守り本尊・守護神の像を描いた掛軸が収められています。「カミツケ」で明らかになった尊格をオダイジとして背負うというものですが、「トドサマ」にはこのオダイジの性格も内包されています。
それぞれが異なる尊格を持っていたイタコに対し「十八夜観音」のみが尊格だったオナカマは、トドサマを所持している時点で「十八夜観音を宿したオナカマである」という証明となったため、オダイジに相当する巫具は不要だったと考えられます。
中山町歴史民俗資料館<Information>

- 名 称:中山町歴史民俗資料館
- 住 所:〒990-0401 山形県東村山郡中山町長崎6005
- 電話番号:023-662-2175
- 公式URL:中山町公式HP – 中山町歴史民俗資料館
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オナカマの本山「岩谷十八夜観音堂」
岩谷十八夜観音堂は中山町の大字金沢・岩屋地区にある観音堂で、堂主であった日月寺の別当に伝わっていた縁起書によると、飛鳥時代(6~7世紀頃)に蘇我馬子の裔臣・右近衛秀豊が開基し、その後約二百年を経て、承和四年(837年)に慈覚大師・円仁が再建したものと伝えられています。

また観音を仏家としながらも古くから眼病の神として信仰を集めていました。

江戸中期以降は「川西三十三ヶ所観音霊場」の33番札所として、また口寄せ巫女「オナカマ」の本山として隆盛し、縁日である十八日は門前市をなし博徒まで多く集まるほどの賑わいだったといわれています。

オナカマには廃業する際に巫業の道具一式と酒一升を奉納する習慣が一部にあったとされ、岩谷十八夜観音堂の本堂には貴重な巫具類や絵馬が多数奉納されていました。
それらは現在、国指定の民俗文化財として中山町歴史民俗資料館に収蔵されています。
岩谷地区の現在
岩谷地区は飛鳥時代(6~7世紀頃)に蘇我馬子の裔臣・右近衛秀豊が「岩谷十八夜観音堂」を開基したことに端を発した、1000年以上の歴史を持つ集落でした。

837年には慈覚大師・円仁による「岩谷十八夜観音堂」の再興、1041年には「山神社」の開基、1194年には「万願寺」の開基(中山町長崎地区に移転し現存)などの記録も残っています。

田畑の耕作や養蚕を営み、最盛期には38戸(257人)の人々が生活をしていましたが、昭和55年に最後の家族が離村し廃村となりました。
現在はその多くが山に飲み込まれてしまっていますが、廃屋と思われる人工物が見て取れるなど、かろうじて往時の痕跡を確認できます。
ちなみに昭和の大ヒットドラマであるNHK連続テレビ小説「おしん」(1983年4月から84年3月に初回放送)はこの岩谷地区で撮影されたそうです。
岩谷十八夜観音堂<Information>
- 名 称:岩谷十八夜観世音菩薩堂
- 住 所:〒990-0405 山形県東村山郡中山町
- 電話番号:ー
- 公式URL:山形県中山町観光協会 – 岩谷十八夜観音
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