
石炭輸送・バイパス路線・未曽有の大災害からの復興……常磐線の果たしてきた役割
福島県の浜通りや宮城県南部の太平洋沿岸を通っている鉄道路線は、JR常磐線です。その名前は、茨城県の旧国名である常陸(ひたち)と、福島県東部および宮城県南部にあたる磐城(いわき)を合成した「常磐」が由来です。
常磐炭田で産出された石炭を輸送することを主な目的として開通した常磐線の、時代と共に変わってきた役割を紹介します。
常磐線とは?

「常磐線」(じょうばんせん)はJR東日本が運営している鉄道路線です。東京都荒川区にある日暮里(にっぽり)駅から、宮城県岩沼市にある岩沼駅までの343.7kmを結んでいます。線名に「本線」や「新幹線」がつかないJR線の中では最長の路線です。
途中、千葉県、茨城県、福島県を経由し、福島県ではいわき市のいわき駅、南相馬市の原ノ町駅、相馬市の相馬駅などの浜通り地方にある駅を経由。宮城県に入ってからも、太平洋沿岸の地域を通っています。
常磐線の両端の駅である日暮里駅と岩沼駅には、これらの駅を始発駅・終着駅とする定期旅客列車(毎日運転される列車)が存在しません。
日暮里駅を経由する列車は、常磐線の列車専用の線路を通って、上野駅までは乗り入れているので、上野駅が実態としては常磐線の起点のような駅になっています。あるいは更に足をのばして、上野東京ラインの列車として品川駅まで乗り入れる列車もあります。
岩沼駅を経由する列車についても、全ての列車が東北本線に乗り入れて仙台市青葉区にある仙台駅まで運行されています。
そのため、厳密な常磐線の区間である日暮里駅~岩沼駅間を越えて、上野駅~仙台駅間、または品川駅~仙台駅間が常磐線と呼ばれることが通例となっています。本記事でも、必要に応じて品川駅・上野駅~仙台駅間を常磐線として扱います。
東北地方の区間にあたる福島県および宮城県では、常磐線の列車のほとんどは全駅に停車する普通列車です。2026年時点では概ね、1時間あたり1~2本程度の普通列車が運転されています。ただし、広野駅(福島県双葉郡広野町)から原ノ町駅までの区間で運行される列車については1日11往復と、他の区間に比べてやや閑散としたダイヤになっています。
特急列車は、品川駅~仙台駅間で運行される、常磐線の全区間を走破する「ひたち」が1日3往復設定されています。これとは別に、品川駅からいわき駅までを結ぶ「ひたち」が1日12往復の運行です。いわき駅より南の区間では1日15往復の「ひたち」がほぼ1時間に1本間隔で運行されており、常磐線は現在のJR線の中では屈指の特急街道の1つとなっています。
最初は栃木県と茨城県を結ぶ路線の一部として開業
常磐線の中で最初に開業した区間は、茨城県内の、それもごく一部の区間です。1889(明治22)年に水戸鉄道という私鉄の会社が、栃木県の小山駅から茨城県の水戸駅までを開業させたのが最初でした。この路線は、大部分が現在JRの水戸線という路線になっていますが、東の端にあたる友部駅(水戸鉄道開業後の1895年に開業した駅)から水戸駅までの区間が、後に常磐線となります。
水戸鉄道の路線は、小山駅を経由している東北本線の支線(枝線)のような扱いの路線として運営されることになります。なお、東北本線も当時はそのような名称ではなく、日本鉄道(にっぽんてつどう)という鉄道会社の本線という扱いでした。
水戸鉄道は1892年に日本鉄道に合併されたので、水戸鉄道の路線は名実ともに日本鉄道の支線になり、水戸線と呼ばれます。
日本鉄道の本線と水戸線を列車が直通運転することで、上野駅と水戸駅が結ばれました。しかし、小山駅を経由すると遠回りになるので、東京と水戸を直結するような路線が求められます。
そこで、1895年に日本鉄道は「土浦線」として茨城県の土浦駅から友部駅までの区間を開業させ、さらに1896年には東京の田端駅から土浦駅までの区間を延伸開業させます。
常磐炭田の石炭輸送のために磐城線が開通
一方、茨城県北部から福島県にかけての地域では、19世紀後半から石炭の採掘がおこなわれるようになっていて、この地域の炭鉱はまとめて常磐炭田(じょうばんたんでん)と呼ばれました。
常磐炭田からの石炭の輸送は船に頼っており、船の運航は気象に左右されるという難点がありました。そこで「水戸から平(現在のいわき)を抜けて岩沼まで」を結ぶ路線が計画され、日本鉄道の磐城(いわき)線として1898年までに開業し、田端駅から岩沼駅までが鉄道で結ばれました。磐城線や土浦線は、当時の主要なエネルギー源であった石炭を東京方面へ安定的に運ぶという、重要な役割を果たしていくことになります。
1925年には上野駅から平(現在のいわき)駅までが複線化(1本の線路を上りと下りの列車が共用する単線から、上下線1本ずつの2本に増やすこと)されます。これはもちろん石炭を運ぶ列車を多数運行したいという需要に対応するためです。
なお、土浦線の東京側の始端が当初田端駅だったのも、石炭をはじめとした貨物輸送に重点を置いていたためでした。田端駅には貨物列車の組み換えを行う操車場があったうえに、貨物列車が山手線にそのまま乗り入れてさらに東海道本線へ向かうことができるという点でも有利だったのです。
一方、上野駅に出入りする旅客列車などの列車は田端駅で方向転換が必要で、この点は不便でした。しかし、1905年に日暮里駅に乗り入れるルートが設けられたことで、方向転換の必要がなくなりました。これで、上野駅と仙台駅を福島県浜通り経由で結ぶ、現在の常磐線のルートが完成したことになります。

Soren Bradley – 投稿者自身による著作物Reference: 日本国有鉄道『ものがたり東北本線史』日本国有鉄道仙台駐在理事室、1971年。p106, doi:10.11501/12065860, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=161112841による
海岸線、そして常磐線と命名
話が前後しますが、1901年に日本鉄道は、現在の常磐線に相当する路線である、土浦線・水戸線の一部区間・磐城線をまとめて「海岸線」と命名します。
1906年11月に日本鉄道が国によって買収され、海岸線は国の鉄道になります。そして、1909年には海岸線だった路線が常磐線と命名されたのです。
東北本線のバイパスに
常磐線が建設された当初の主目的は石炭輸送でしたが、東北本線の上野駅~仙台駅間のバイパスという役割も果たしていくようになります。
1906年4月に、上野駅と青森県の青森駅を結ぶ、初めての急行列車が運行を開始しました。この列車は、上野駅~岩沼駅間では東北本線ではなく常磐線(当時は海岸線)を経由して運行されていました。
戦後の1958年に上野駅~青森駅間で運行を開始した、東北地方初の特急列車「はつかり」も、蒸気機関車での運転だった当初は常磐線経由で運行されました。1960年にキハ80系気動車という車両に置き換えられた後も、電車での運行に変更される1968年までは常磐線経由での運行が続いたのです。

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https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=30760192による
常磐線は海沿いを通るために地形が平坦なところが多く、蒸気機関車が客車や貨車を引っ張って走る列車にとっては走りやすい路線でした。一方、東北本線は福島県内に峠を越える難所が多かったのです。また、既述の通り、常磐線は早期に平以南が複線化されていたこともあり、常磐線の方が東北本線よりも多少距離は長かったものの、高速・大量輸送を行うには有利でした。
そして、東北本線は列車の本数が過密になりがちな路線でもあります。埼玉県の大宮駅以南の区間には、東京と信越・北陸地方を結ぶ列車も走ります。また福島駅以南の区間には、奥羽本線を経由して、山形・秋田方面に発着する列車も通ります。
一方、常磐線には途中で枝分かれする主要な幹線がないので、東京と仙台や仙台以北との間の往来にターゲットを絞って列車を増発できました。特急「はつかり」の他にも急行「みちのく」、寝台特急「ゆうづる」、夜行急行「十和田」といった列車が走ります。少し後の時代には特急「ひたち」「みちのく」、急行「そうま」「もりおか」「ときわ」といった列車が常磐線を駆け抜けるようになり、常磐線は特急街道となっていきます。
常磐線が結んでいたのは関東地方と東北地方の間だけではありません。「はつかり」や「みちのく」といった常磐線経由の特急・急行列車が行きつく青森駅では、津軽海峡を越えて北海道の函館駅へ渡る青函連絡船が待っていました。常磐線が、東京と仙台以北を結ぶ列車の主要な経路だったということは、東京と北海道の間を往来する人々のためにも常磐線は大きな役割を果たしていたということになります。
変化していく常磐線の役割
1960年代以降、常磐炭田はエネルギー革命に伴う石炭の需要の減少によって炭鉱の閉山を余儀なくされていきます。常磐線も、開業当初の役割を失うこととなったのです。
なお、常磐炭田の歴史を、いわき市内にある「いわき市石炭・化石館 ほるる」で学ぶことができます。機会がありましたら訪れてみてください。
また、東北本線の電化(電車が走行できるように給電するための設備を整備すること)や複線化が完了すると、東北本線経由の長距離列車の本数が増えていきます。電気で走る電車や電気機関車は、蒸気機関車や気動車よりも出力が大きく、東北本線の勾配をさほど問題としないためです。
加えて、常磐線は東北本線よりも距離が長く、単線区間が残っている点でも東北本線よりも不利になっていたのです。東北本線のバイパス路線という常磐線の立ち位置も徐々に失われていきました。
ただし、上野駅と青森駅を結ぶ夜行列車は、東北本線の混雑回避のために、特急「ゆうづる」や急行「十和田」といった常磐線経由の列車が依然多くを占めていました。
1982年に東北新幹線が大宮駅~盛岡駅間で開業したことで、常磐線の役割は決定的に変わります。
新幹線があれば、東京と仙台以北の間の往来には新幹線を利用することが主流となります。そのため、1982年11月のダイヤ改正では、仙台駅を越えて盛岡・青森方面まで運行されていた常磐線経由の特急・急行列車は、夜行を除いてすべて廃止されました。常磐線の列車は、関東と北東北・北海道を結ぶ役目は失い、常磐線内での輸送に特化していくこととなるのです。
1987年に、全国区の鉄道を運営していた国鉄は解体され、JR各社が発足して、常磐線の運営はJR東日本に継承されました。JR東日本は1989年に特急用の新型電車651系をデビューさせ、651系によって運転される常磐線の特急列車には「スーパーひたち」という愛称がつけられます。

651系は、速度でも車内設備でも従来の「ひたち」に使用されていた485系電車を凌駕していました。常磐線に新たな時代の到来を告げる車両だったといえます。
その一方で、常磐線の夜行列車の代表格だった「ゆうづる」は1993年に臨時列車となり、翌1994年には完全に廃止されています。
東日本大震災の発生による長期不通
「スーパーひたち」の最長の運行区間は、上野駅から仙台駅まで、つまり常磐線の全区間にわたって運行されていました。しかし、始発・終着駅が共に東北新幹線の駅となっているような列車の需要は限られています。2010年12月には「スーパーひたち」を上野駅~いわき駅間の運行に短縮し、いわき駅~仙台駅間には別の新しい特急列車を運行することが、JR東日本より発表されました。
その矢先、2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震・東日本大震災が発生します。新地駅(福島県相馬郡新地町)の駅舎が、駅に停車中だった電車もろとも津波で流されるなど、常磐線は大きな被害を受けます。
東日本大震災では他にも関東地方・東北地方を走る各地の鉄道路線が大きな被害を受けましたが、震災によって常磐線が陥った状況は、他のどの路線と比べても異質のものでした。大野駅(福島県双葉郡大熊町)~双葉駅(双葉町)の沿線にある、東京電力福島第一原子力発電所で起きた事故の影響で、原発付近を走っている箇所では当初被害状況の確認すら行うことができず、運転再開に極めて長い期間を要することとなったのです。
特急「スーパーひたち」も、震災発生前のJR東日本の思惑とは全く別の要因で、いわき駅までの運行に短縮されることになります。なお、いわき駅止まりでの運行が続けられている間に、新型電車E657系への車両変更と、愛称の「ひたち」への改称が行われました。
常磐線のは徐々に運転再開していき、2011年4月末までに上野駅~四ツ倉駅間と、亘理駅~岩沼駅間が運転再開します。5月には四ツ倉駅~久野浜駅間、10月には久野浜駅~広野駅間、12月には原ノ町駅~相馬駅間(他の運転再開済みの区間とは線路がつながっていない、飛び地状態での運行が5年間続きました)が運転再開となりました。
残る区間は、被害が甚大だったり、福島第一原発の事故の影響で立ち入りができなかったりする関係で、復旧には時間を要します。まずは2013年3月に浜吉田駅~亘理駅の1駅区間が運転を再開。2014年6月には、広野駅~竜田駅間が運転を再開します。
2016年7月に小高駅~原ノ町駅間が運転再開、12月に相馬駅~浜吉田駅間が運転再開。後者の区間に含まれる駒ヶ根駅~浜吉田駅間は、津波によって大きな被害を受けたため、線路を被災前よりも内陸の方へ新しく敷設する大規模な工事が実施されました。
残る不通区間は、原発事故に伴う避難指示が解除されていくのに併せて運転が再開されていきます。2017年4月に浪江駅~小高駅間、10月に竜田駅~富岡駅間が運転を再開。
2019年4月には、スポーツトレーニング施設であるJヴィレッジの再開に伴い、広野駅~木戸駅間にJヴィレッジ駅が新たに開業しています。
最後まで残っていた富岡駅~浪江駅間は、2020年3月14日のJRグループのダイヤ改正に合わせて、実に9年と3日ぶりに運転を再開しました。東日本大震災で被災してから運転を再開できた路線の中では、最も遅い全線運転再開となりました。
常磐線の全線運転再開に伴い、いわき駅止まりだった特急「ひたち」の内、1日3往復の列車が仙台駅までの運行を開始します。常磐線が全通した1898年から2011年まで走り続けてきた、常磐線全区間を走破する列車も、9年ぶりの復活を遂げたのです。
全線運転再開後の常磐線

震災前には常磐線の特急列車はいわき駅止まりとなることが発表されていましたが、その発表は実質的に白紙撤回され、このように再び常磐線の全区間を走破する特急列車が運行を再開しました。仙台駅発着の「ひたち」に、常磐線全線運転再開のシンボルという役割が与えられていることがその一因です。
しかし、それとは別に、この列車が存在することによって恩恵を受ける、例えば首都圏から浜通りへとか、仙台や浜通りから茨城県へといった移動をする利用者層も一定数存在することでしょう。
また、常磐線の全線運転再開後、地震や設備のトラブルによって、東北新幹線が運転を見合わせる事態が度々発生しています。そのようなときには、仙台駅発着の「ひたち」に加えて、いわき駅発着の特急「ひたち」も仙台駅まで延長運転するなどして、東北新幹線の部分的なバックアップの役割を果たしています。
運転を再開した常磐線には、震災からの復興の促進、浜通りの地域の往来活性化、東北新幹線のバックアップなどの、新たな役割が期待されているのです。






















