
【前編】伊達家の「食」戦略! 受け継がれる政宗のおもてなし精神|正月料理の”伊達”な絢爛
はじめに
派手で見栄えがよく粋であるさまを「伊達」と呼び、「伊達男」「伊達ではない」「伊達眼鏡」等々の慣用句は現代でもよく見聞きするのではないでしょうか。
その語源は戦国武将の中でも高い人気を誇る伊達政宗(だてまさむね)の生き様やその家中の振る舞いがもとになったとされるのは、よく知られているところでしょう。
伊達といえば衣装や装飾品などについていわれることが多いイメージですが、政宗に始まるその意気はあらゆる文化に及びました。
そのうちの一つが「料理」。
伊達者の名に相応しい豪華絢爛な山海の珍味がところ狭しと並べられ……かと思いきや、必ずしもさにあらずというのが仙台藩の深みです。
もちろん儀式や饗応の際には贅を凝らした膳の数々が調えられるのですが、伊達政宗の教えは単純な美食の追求ではありませんでした。
そこには現代でも大切にしたいおもてなしの心や、食に関わるすべての人や物への細やかな心配りが込められているのです。
本記事では、仙台伊達家の奥深い料理の世界をのぞいてみましょう!
仙台伊達家の正月料理献立

日本史上、年間を通じてもっとも盛大に催されてきたイベントは「お正月」であるといえるのではないでしょうか。
武家や公家のみならず、宮中から一般庶民の間まで、一年のうちでも非常に晴れがましい儀式として祝われてきました。
その行事食として「御節料理」が現在も大切にされていますが、仙台伊達家でももちろん特別なお膳が並べられたのです。
その一部について、古文献や近年の復元事業の成果から垣間見ることにしましょう。
『木村宇右衛門覚書』に見る政宗の正月料理
最初に、伊達政宗に小姓として仕えた「木村宇右衛門」という人物が残した文書から、伊達家の正月料理のラインナップを見てみましょう。
伊達家の正月料理
- 奥田餅(二種類の大きな菱餅)
- 精進膳(先祖への供物)
- 組付(御節料理の原型?)
- 雑煮
- 本膳(三の膳まで)
- 七種の肴
- 御茶請(餡餅など)
- 御菓子(果物類)
- 薄茶
若水や鏡餅といった歳神へのお供えは別としての料理類ですが、詳細な献立を抜きにしての概要だけでもこのボリュームです。
もっとも、当時のならいで儀式や行事ごとにおける食事には儀礼的な要素が強く、供されたもののすべてを口にするわけではありませんでした。
初めに記した「奥田餅」は二種類の菱餅という以外どのようなものだったか詳細は不明ですが、現在でも桃の節句で同様の形のものを供えることから古式の様相を感じさせます。
また、先祖供養のために獣肉や魚介類といった動物性たんぱくや、匂いの強い特定の香辛野菜などを使用しない精進料理のお膳を用意するのも特徴的です。
「組付」は現在でいうところの「組物」などと呼ばれる料理の盛り合わせと考えられ、いわゆる御節料理の原型といえるものでしょう。
「いくつかの料理を組み合わせて供する」という意味です。

「雑煮」は正月らしい行事食の代表格で、現在の仙台雑煮といえば焼き干しハゼを出汁と具に用いるものが有名ですが、これは江戸末期からのレシピとされています。
政宗の時代の雑煮の具には、串鮑(くしあわび)・串海鼠(くしなまこ)・鰊(にしん)・牛蒡(ごぼう)・豆腐・大根・黒豆・菜の茎が使われていたとの記録があります。
魚介については現代でも高価な食材ですが縁起物のアワビをはじめ、ナマコやニシンは北方らしい海産物といえるでしょう。
「本膳」といえば武家における儀礼でもっとも格式高い料理の形式とされ、飯・汁・菜で構成される本膳を中心に様々な汁・菜を二の膳、三の膳~と次々に供されます。
仙台伊達家の正月本膳では三の膳までが出され、三汁十六菜にもおよぶ壮大なメニューだったといいます。
とはいえ、儀礼的な要素の強い本膳ではすべての料理を完食するのではなく「包んで持ち帰る」ことを想定したものも含まれました。
また、数多くの料理が供される間には何番もの能が上演されることも一般的で、長い時間をかけたおもてなしでもあったのです。
「七種の肴」とは文字通りにお酒のおつまみであり、酒席としての側面も不可欠です。現代の茶道に伝わる正式な懐石料理にも折り目正しい酒の時間があり、主客が互いに差し合って親睦を深めます。

「御茶請」「御菓子」は茶道でよく見られる薄茶のためのもので、前者は現代風にいうとスイーツ、後者がフルーツと大まかに分類されているといえるでしょう。
菓子の「菓」は「このみ」や「くだもの」とも読み、当時は栗や柿などの天然の甘味が用いられました。
『伊達家年中行事記録』による伊達家正月料理の復元
では次に、伊達家の正月膳について具体的にどのような料理があったのかを見ていくことにしましょう。
伊達家の第十三代当主・伊達慶邦に仕えた大童信太夫(おおわらしんだゆう)という人物が19世紀半ばに残した、通称『伊達家年中行事記録』に詳細な記録があります。
このすべてを網羅すると膨大な数にのぼりますが、平成4年(1992年)に千葉大学名教授(当時)の松下幸子氏監修のもとで歌舞伎座調理部が三の膳にわたる二汁五菜として復元を試みました。
本記事ではそのメニューをご紹介しましょう。
伊達家年中行事記録に記された正月膳
〈本膳〉(一汁二菜)
- 飯・香の物(瓜・茄子)
- 汁(白鳥・山芋・五分菜)
- 濃醤(こくしょう):(赤貝)
- 卸膾(おろしなます):(鮭氷頭・ぶりこ・ほや・ふのり・輪切りみかん)
〈二の膳〉(一汁二菜)
- 汁(鱈・柚子)
- 水和(みずあえ):(するめ・栗・生姜・大根かつら)
- 鮒煮こごり
〈三の膳〉(一菜:焼き物)
- 鮭子籠(さけこごもり)
本膳
本膳は主食の御飯が盛られた中核的なお膳を差し、必ず添えられる香の物は一菜として数えないことが一般的です。

汁の具の「白鳥」は現在では珍しい食材ですが、当時は食されました。なお、復元料理としては鶏肉で代用したとのことです。
「濃醤」は濃い目に溶いた薄塩の味噌で仕立てた煮物で、具材に用いられた赤貝は現在も宮城県が産地としてよく知られています。

「卸膾」は大根おろしを使ったなますで、鮭の頭の軟骨である「氷頭」やハタハタの卵である「ぶりこ」、「ホヤ」や「フノリ」といった東北らしい魚介がふんだんに使われています。
また、「輪切りのみかん」も確認できますが江戸時代当時においてみかんの栽培北限は太平洋側で現在の茨城県の筑波山あたり、日本海側で新潟県の糸魚川あたりでした。
そのため仙台伊達家で正月膳に用いられたみかんは、領内産ではなくいわば輸入品であった可能性が考えられるでしょう。
二の膳

二の膳には二回目の汁としてこれも東北らしい「鱈(たら)」が用いられています。柚子も添えられていることから香り高く上品な一椀であったことが思われます。本膳料理ではこのように、数度にわたって汁物が供されるという点も特徴的です。
「水和(みずあえ)」は「するめ」や「干し鱈」、「煎海鼠(いりこ)」などを水で戻し、野菜などとともに煎酒(いりざけ)または煎酒酢などで調味したなますの一種です。
「煎酒」とは醤油が一般的になるまでよく使われた調味料で、日本酒に鰹節や梅干し(塩分量の多い古式のレシピ)を加え煮詰めてつくります。

「鮒煮こごり」は文字通りにフナの煮付けのことで、冷ましてコラーゲンがゼリー状に固まったものを煮こごりといいます。そのため、これは冷たいままで供される逸品であることがわかるでしょう。
三の膳

三の膳は焼き物一品ですが、「鮭子籠(さけこごもり)」という珍しい料理です。
これは鮭の腹に筋子を詰めた塩蔵品で、贈答用にも使われた特産品の一つでした。
三の膳ということで焼き物はお土産用に包むのが一般的であったともいわれ、この料理も伊達家の元日祝賀に参列した者が持ち帰ったかもしれないと想像がふくらみます。






















