
【後編】伊達家の「食」戦略! 受け継がれる政宗のおもてなし精神|幕府の贈り物と郷土料理にみる仙台藩の特産物
仙台藩の献上品および贈答品の種類
伊達政宗以来の仙台藩では料理や食材について深い造詣とこだわりを持ってきたことがうかがえます。
そしてそれは中央政府である幕府との関係においても、将軍家への「献上品」や他家への「贈答品」といった形で示されました。
ここでは籠橋俊光氏の論文『仙台藩における国元産物の献上・贈答について』を参照し、仙台伊達家がどのような食材を贈り物に用いていたのか、その一部を見てみましょう。
ちなみに同論文では五代将軍・徳川綱吉の時代である天和2~3年(1682~1683年)の例を抽出しており、これは徳川家による支配体制と各藩との関係性が安定し、なおかつ「生類憐みの令」が狩猟などに及ぼす影響が本格化する前の時期であること等を理由としています。
糒(ほしいい)

「糒」とは炊いた米を乾燥させた保存食のことで、古くから兵糧としてだけではなく災害時の非常食としても重宝されてきました。
一度過熱しているためそのまま食べることも可能で、アウトドア用のアルファ化米と同様の原理の食物です。
伊達家の糒は特に良質であったことが知られ、「仙台糒」なる特産品として将軍家や大名家に健康・贈答されました。
天和2年(1682年)の記録では将軍・綱吉とその世子・徳松に30斤(1斤はおよそ600g)ずつが献上されています。
そして大老や老中の一部には20斤、公卿の近衛家に10斤といった具合に、将軍家を最大値として重量差をもった贈答を行っていました。
鮭(さけ)

「鮭」は東北を代表する産品の一つといって過言ではなく、将軍・綱吉には「初鮭」「二番鮭」と相次いで献上されています。獲物には「初」「二番」「三番」といった表記があり、初物や獲れはじめのものに縁起を担いだことがうかがえます。
単位としては「一尺」と長さが記されており、他にも「鮭ノ子」や「塩鮭」といった記述も認められます。
鮭子籠(さけこごもり)

「鮭子籠」とは鮭の腹に筋子を詰めた珍しい食べ物で、前の章で述べた伊達家正月料理にもラインナップされている名物です。
卵を抱いた雌の鮭というわけではなく、腹を割かないようにして内臓を抜いた鮭に筋子だけを詰めて塩蔵するという、とても手間のかかる加工品でした。
将軍家や大名家に「10尺」「5尺」などと長さの単位で献上・贈答されている点にも特徴があります。
鱈(たら)

「鱈」も北方らしい海産物の一つで、将軍家への献上品として「初鱈」の表記が認められます。
単位は将軍家への献上品も大名家等への贈答品も、いずれも「一尾」とあることから特に重さや長さは記録されていません。
深海性のため延縄や刺し網などの漁法で捕獲され、産卵期に沿岸部に回遊するマダラが主だったと考えられます。
なお、塩蔵品である「塩鱈」が広く流通するのは瀬戸内産の塩生産量が増加する江戸時代中期のことだったといいます。
鶴(つる)

伊達政宗の将軍饗応でも用いられた「鶴」は、仙台藩からの献上品・贈答品としても記録されています。
単位は「一隻」とあり、他の鳥は「翅」とされていることから特別な位置付けを思わせます。
天和2年には将軍・綱吉に加えて老中首座や大政参与を務めた稲葉正則(いなばまさのり)、大老の堀田正俊(ほったまさとし)などにも「初鶴」が贈られています。
なお、以前の章でも述べたように当時において食用の鶴といえばナベヅルやマナヅルを指したといい、現在よく知られるタンチョウヅルは食味がよくなかったと伝わっています。
菱喰(ひしくい)

「菱喰」という名は聞きなれませんが、カモ科に属する大型の鳥でガンの仲間です。
菱の実を好んで食することが名の由来で、現在も宮城県北部の伊豆沼周辺は日本最大のガン類越冬地であることから、仙台藩の名物の一つであったことがうかがえます。
カモ科であることから美味であったといわれ、その香りは鶴に似ていると『和漢三才圖會』にも記されています。
仙台藩からの献上・贈答には「1翅」の単位で記録されました。
白鳥(はくちょう)

「白鳥」を食べるというとびっくりしそうですが、江戸時代には食肉として用いられていました。
現代でいう「白鳥」とはカモ科の水鳥7種の総称であり、日本に越冬のため飛来してくるのは「オオハクチョウ」と「コハクチョウ」の2種です。
カモ科であることから食味がよいとされ、天和2年の伊達家からの将軍への献上品として「初白鳥」の名が見えます。
仙台藩の特産食品
初代藩主の伊達政宗以来、「食」を軍事と政治、そして文化的な側面から高めてきた仙台藩。
その過程で特産や郷土料理と呼ぶべき食文化が育まれてきました。
現在の宮城県にもさまざまな美味が伝承されていますが、そのうち政宗との関連も深いといわれることがある食品をピックアップしました。
もちろん伝説や俗説の域を出ない部分もありますが、少なくとも政宗の事績と紐づけて捉えようとするほどに重要な位置付けをされてきた食べ物であるといえるでしょう。
以下、3種類を挙げました。
凍み豆腐(しみどうふ)

「凍み豆腐」とは、豆腐を冷凍と解凍の工程を繰り返して乾燥させた食べ物です。
精進料理などによく使われる「高野豆腐」と同様のもので、フリーズドライによる豆腐の保存食ともいえるでしょう。
乾燥品であるため常温で長期間の保存が可能で、しかも軽くて持ち運びやすく栄養価にも優れていることから兵糧としても重宝されたといいます。
宮城県では伊達政宗が兵糧の研究によって開発したとの伝説もありますが、他に和歌山県の高野山や長野県などの寒冷な地域が産地として有名で、自然発生的にその加工法が発見されたとも考えられています。
ずんだ餅

「ずんだ餅」はいわずとしれた宮城名物で、細かくクラッシュした枝豆を甘く調味して餡のように餅に絡めた食べ物です。
現在のように砂糖で甘みをつけるようになったのは幕末のこととされていますが、仙台藩では古くから農村でも食べられてきた郷土料理とされています。
「ずんだ」の語源にはさまざまな説がありますが、そのうちの一つに伊達政宗が戦陣の折、陣太刀の柄で枝豆を潰して食べたことに由来するというものがあります。
陣太刀の「じんだ」が「ずんだ」に転訛していったというものですが、現実的には大切な武器でわざわざ枝豆を潰す必然性は考えにくいかもしれません。
それでも郷土の歴史的英雄である政宗と結び付けられるところに、ソウルフードとしての思いを感じます。
ずんだ餅
仙台味噌

「仙台味噌」も忘れてはいけない名物の一つで、これも伊達政宗が広めたという伝説があります。
一説には秀吉による朝鮮出兵の折、伊達家中の味噌だけが腐らなかったことから評判を呼んだといいますが、史実との時系列からあくまで伝承と考える向きもあります。
ただし政宗が仙台味噌の製造を主導したことは事実で、江戸時代になってからは仙台城下に「御塩噌蔵(ごえんそぐら)」という醸造所が設けられました。
二代仙台藩主・忠宗の時代には江戸の仙台藩下屋敷を拠点に特産の味噌が一般流通し、たいへんな評判となったといいます。
仙台味噌は米麹と大豆で仕込む辛口の赤味噌で、江戸っ子たちの嗜好にもよく合ったのではないでしょうか。
食に関わる人の「心」に寄り添う、政宗の教え
仙台伊達家の「食」への姿勢を見てきましたが、そこには初代藩主・伊達政宗の思いや姿勢が強く根付いていることがわかります。
それは単なる美味の追求ではなく、食にまつわるすべての人と事に感謝の気持ちを忘れないという戒めがあるように思えてなりません。
政宗が自ら料理をしたという逸話は繰り返し述べてきた通りですが、彼はこんな言葉を残しています。
「少しも料理心なきはつたなき心なり」
料理の心得と精神性を結び付けての言葉ですが、これは自分で料理をするべきだという単純な主張には留まりません。
料理を通じて相手の気分や体調に配慮し、感謝して共に気持ちのよい時間を過ごすという、おもてなしの極意に通じる考え方です。
このように、戦国の世を生き抜いてきた男が辿り着いた「思いやり」の心こそが、仙台藩の豊かな文化を支える一助となってきたのではないでしょうか。

















