夜行急行「はまなす」

【廃止から10年】JR最後の急行列車!青森駅と札幌駅を結んだ夜行急行「はまなす」

「はまなす」という青森駅と北海道の札幌駅を結んでいた夜行急行列車がかつて存在しました。青森県と北海道の間の津軽海峡を越える海底トンネルの「青函トンネル」が開通した1988年(昭和63年)から、北海道新幹線が開業した2016年(平成28年)までの28年間運行されていた列車です。
廃止から10年経った今、改めてどのような列車だったのかを紹介します。


青函トンネルの開通と共に運行開始

はまなす

青森駅と札幌駅との間を毎晩結んでいた夜行急行「はまなす」が登場したのは、1988年3月13日のこと。青函トンネルの開通と共に運行を開始したのです。
列車の名前は公募に基づき決められました。由来は、北海道で多く見られる植物のハマナスです。

ハマナス
名前の由来となったハマナス

青函(せいかん)トンネルは、青森県の東津軽郡今別町(いまべつまち)と、北海道南部にある上磯郡知内町(しりうちちょう)を結ぶ、鉄道専用の海底トンネルです。開通当時は世界最長のトンネルであり、現在も日本最長かつ海底トンネルの中では世界最長のトンネルです。

青函トンネルの開通前は、青函連絡船という船が青森駅と北海道の函館駅を結んでいました。しかし、青函トンネルの開通により、青森県から北海道へ列車が直接渡れるようになったことから、青函連絡船は役目を終えて廃止されたのです。

その青函連絡船には夜行便が存在しました。時刻表の1986年11月号によると、深夜0時30分に青森駅を出港し、4時25分に函館駅に到着する便と、0時40分に函館駅を出港し、4時30分に青森駅に到着する便が運航されていたのです。函館駅では、函館駅と札幌駅を結ぶ特急「北斗」との乗り継ぎができ、船と列車で青森駅と札幌駅の間を行き来できました。

「はまなす」は、この青函連絡船の深夜便の性質を受け継いだ列車でした。
登場当時の時刻表によると、青森始発の下り列車は、22時55分に青森駅を出発。深夜1時13分に函館駅に到着して1時31分に出発、6時18分に終着の札幌駅に到着。
上り列車は22時ちょうどに札幌駅を出発。2時39分に函館駅に到着して2時52分に出発、5時17分に終着の青森駅に到着していました。

「はまなす」の行先表示
札幌発・青森行き「はまなす」の行先表示(筆者撮影)

経由する路線は、青森駅から順に、津軽線、海峡線、江差(えさし)線(現:道南いさりび鉄道線)、函館本線、室蘭本線、千歳線、函館本線。青森県内には途中停車駅はなく、道内では東室蘭、苫小牧(とまこまい)、千歳などの駅に停車していました。後に長万部(おしゃまんべ)なども停車駅に追加されます。

例えば下り列車に函館や長万部から乗ると、早朝の新千歳空港に到着できます。上り列車も、苫小牧や東室蘭方面へ帰る人が、札幌に夜遅くまで滞在してから帰宅することに利用できました。青森県と北海道を結んでいただけではなく、道内での移動にも便利な列車だったのです。

深夜の函館駅に10分以上停車するのは、乗客の利便のためではありません。函館駅は行き止まりの駅なので、列車の進行方向の転換を行う必要があると共に、列車をけん引する機関車の交換も実施する必要があったのです。

具体的には、青森駅から函館駅までは、青函トンネルの通過に特化した仕様のED79形電気機関車がけん引していました。

ED79形電気機関車がけん引する「はまなす」

一方、函館駅から札幌駅までは、大部分の区間に列車走行用の電力供給設備がない(非電化)ので、軽油を燃料として走るDD51形ディーゼル機関車がけん引していたのです。

DD51形ディーゼル機関車がけん引する「はまなす」

なお、JR東日本とJR北海道の営業エリアにまたがって運行される列車でしたが、経路の内JR東日本の路線なのは津軽線だけ(青森県内の一部区間だけ)で、あとは全てJR北海道の路線です。「はまなす」に使用された客車や2種類の機関車も、全てJR北海道所属の車両でした。

青函連絡船が利用されていた時代は、青森駅と札幌駅との間を移動するには、函館駅での乗り換えが発生し、所要時間は8時間ほどかかっていました。「はまなす」の登場によって、青森から札幌へ直通できるようになり、所要時間も7時間強に短縮されました。利便性が大きく向上したのです。


伝統的夜行急行風な編成

登場当時の「はまなす」は、座席車だけの5両編成で、寝台車は連結されていませんでした。乗客は皆、座席に座って(自由席の場合は、満席であれば床に新聞紙でも敷いてその上で横になるしかなかったでしょう)夜を越したのです。

しかし、1991年から寝台車が連結されるようになります。車両数も増えて、最終的には7両編成が基本に。繁忙期には12両編成で運行されることもありました。

参考:トミックスインフォメーション 14-500系はまなす

7両の車両は寝台車と座席車にわかれていた上に、座席車はさらに多様な車両が連結されていました。

まず1号車と2号車は、開放2段式のB寝台でした。プライバシーを確保する手段は寝台に設けられたカーテンだけでしたが、当時の寝台車としては標準的な設備といえます。

「はまなす」B寝台
B寝台
「はまなす」寝台車の入口
1号車・B寝台車の乗降口(筆者撮影)

3号車と7号車は座席の自由席でした。自由席なので当然着席できる保証はなく、繁忙期には床の上で夜を過ごすことになった乗客もいただろうと思います。

「はまなす」自由席
自由席

4号車から6号車は指定席でした。特に4号車は「のびのびカーペットカー」となっていました。名前の通りカーペットの上で横になって過ごすことができ、しかも一般的な座席の指定席と同じ料金で利用できるので人気がある車両でした。

「はまなす」のびのびカーペットカー
のびのびカーペットカー

5号車と6号車も「ドリームカー」と呼ばれる車両で運転されるのが基本でした。ドリームカーの座席はグリーン車並みの仕様で、3号車や7号車の自由席の座席とは明らかに格が違ったのです。

「はまなす」ドリームカー
ドリームカー

なお、2号車の一部の寝台や、のびのびカーペットカーの4号車の一部の区角、ドリームカーの5号車の一部の座席は、女性専用になっていました。

1980年代後半の当時、夜行列車といえば寝台特急(いわゆるブルートレイン)を中心に既に全車寝台車であることが一般的でした。「はまなす」のような多様な車両を連結している夜行列車は異色の存在だったのです。

しかし、国鉄時代の夜行列車全盛期には「はまなす」のような編成の夜行急行が、むしろ全国各地で運行されていました。一例として、上野駅と青森駅を山形・秋田経由で結んでいた夜行急行「津軽」には、1978年時点で自由席、指定席、グリーン車、3段式B寝台、A寝台が連結されていました。「津軽」の自由席に乗って就職のために上京した人が、A寝台で帰郷することが、出世の証だったといいます。

「津軽」のような上野発・青森行きの夜行列車を特集した記事があるので、こちらもぜひご覧ください。

1988年といえば、既に国鉄が解体されてJR各社が発足してから1年が経過していました。しかし「はまなす」はJR発足後に誕生した列車であるにもかかわらず、国鉄の残り香のような様相を呈した列車だったのです
(もっとも「はまなす」に使用された機関車や客車は、全て国鉄の時代に製造されていた物です)。
そして、このような編成だったために、乗客の多様なニーズに対応できたことが、JRの他の夜行列車が消えていく中で「はまなす」が2016年まで存続した一因と考えられます。


レアな属性大盛な列車に

のびのびカーペットカー側面

国鉄時代の残り香のような列車が2016年まで残った結果、末期の「はまなす」は色々とレアな属性を持った列車となっていきます。

レアな属性の1つは「急行列車」だったことです。国鉄時代には全国各地を急行列車が走っていました。東北地方にもさまざまな急行列車が運行されており、一部は記事で解説もしているので、ぜひご覧ください。

しかし急行列車は、1970年代頃から特急列車と普通・快速列車の間に挟まれた中途半端な存在として認識されるようになり、特急への格上げや快速への格下げが進められていきました。もちろん、その傾向は1987年のJR発足後も変わりませんでした。

ところが「はまなす」には、青森と札幌の間の約480kmを、車内で一夜を越すのにちょうどよい時間で結ぶという役目があるので、特急列車ほどの速達性は求められず、運行開始当初から急行列車として運行されてきました。JR発足後に急行列車が新設されたのは、当然のことながらかなり珍しい事例です。

JR各社の急行列車は「はまなす」登場後も続々と削減されていき、JR西日本が岡山県で運行していた「つやま」が2009年に廃止されたのを最後に、日中の急行列車は姿を消します。その後、残っていた夜行急行列車も削減されていき、2012年3月以降の「はまなす」はついに「JR最後の定期急行列車」(定期列車:毎日決まった時刻に運行される列車)となってしまったのです。

また「はまなす」は、自走できない客車を機関車がけん引する、客車列車だったことも特徴です。客車列車は、1872年に日本初の鉄道(新橋~横浜間)が開業して以来続いてきた伝統的なスタイルです。

浮世絵に描かれた横浜の鉄道と船
蒸気機関車が客車をけん引していた、日本初の鉄道
出典:Wikipedia

しかし、客車列車は終点で列車を方向転換させるために機関車を付け替える必要があるなどのデメリットが目立つようになります。そこで、国鉄やJRは客車列車を積極的に削減して、自走できる電車や気動車への置き換えを進めてきました。SL列車のような臨時列車を除けば、客車列車はブルートレインなどの夜行列車ばかりになっていったのです。

その夜行列車も利用の低迷などを理由として削減されていきました。結果的に2014年3月以降、JRの定期客車列車は「はまなす」などの青函トンネルを通過する夜行列車のみとなり、その青函トンネルを通る夜行列車の中で最後まで残ったのが「はまなす」でした。したがって「はまなす」は「JR最後の定期客車列車」「最後の青函トンネルを通過する定期夜行列車」にもなったのです。

  • JRの客車列車
  • JRの急行列車
  • 青函トンネルを通過する夜行列車

以上の3つの属性を持つ定期列車は「はまなす」の廃止をもって全て消滅しました。以後、10年経った2026年現在に至るまで、いずれの属性の列車も、臨時列車として運転されたことはあるものの、定期列車が設定されていた時期は一度もありません。また、今後復活する可能性も薄いと考えられます。


北海道新幹線の開通に伴い「はまなす」は廃止

青函トンネルを抜ける北海道新幹線のH5系電車

利用者は多かった「はまなす」が廃止される大きな要因となったのは、北海道新幹線の開業です。北海道新幹線は、2016年3月26日に新青森駅から、北海道の新函館北斗駅までの区間で先行開業しました。将来は札幌駅まで延伸する予定です。

北海道新幹線の列車は、それまで「はまなす」が通過していた青函トンネルを通過するので、青函トンネルの設備を新幹線仕様にするための改修が行われました。具体的には、走行用の電気が20,000ボルトから25,000ボルトに昇圧されたり、列車同士の衝突等を防ぐためのATCが新幹線向けに変更されたりしました。その結果として、青函トンネルを通過する夜行列車をけん引していたED79形電気機関車が使用できなくなるので「はまなす」などの夜行列車は廃止されることになったのです
(それなら青函トンネルを走行できる機関車を新たに確保すればよいのでは? という疑問は当然あるのですが、諸般の事情により、そのような経営判断はなされなかったのでしょう)。

上りは2016年3月20日札幌発の青森行きが最終列車、下りは3月21日青森発の札幌行きが最終列車となりました。青函トンネルの開通と共に誕生した「はまなす」は、青函トンネルを通る北海道新幹線の開通に伴って引退し、28年間の歴史に幕を降ろしたのです。

なお、ドリームカーに使用されていた客車が関東地方の東武鉄道に移籍しており、東武鉄道のSL列車の客車として使用されることがあります(あまり登場頻度は高くないようですが)。


アニメ映画に登場した「はまなす」

「はまなす」が登場するアニメ映画があります。2018年1月に公開された『中二病でも恋がしたい! -Take On Me-』という映画です。映画のキービジュアルでも下の方に「はまなす」が登場しています。映画の公開時点で既に「はまなす」は廃止されていましたが、当作品の舞台設定が2010年代前半頃だったのだと思います。

なぜ「はまなす」が登場するのかは、詳細はネタバレになるので省きますが「札幌からその日の内に移動を開始してリーズナブルに青森へ行ける手段」として、劇中の登場人物は「はまなす」のカーペットカーを利用する選択をしたのです。本作品自体はあくまでフィクションではあるものの「はまなす」がどのようなニーズのある列車だったか、どのようなメリットのある列車だったかがよくわかる一幕といえます。


おわりに

2026年現在、青森駅から札幌駅まで奥羽本線・北海道新幹線や道内の特急「北斗」を乗り継いで移動するのには5時間以上かかります。日中の移動に費やす時間としては決して短いとはいえず、もちろん「はまなす」のように夜寝ている間に移動することもできません
(飛行機を使う場合も、空港への移動や待ち時間などを含めれば3~4時間程度かかります)。
「はまなす」にはやはり一定のニーズがあったと考えるのが自然で、その需要ある列車が失われてしまったのが、今さらながら残念に思えてなりません。

なお、将来北海道新幹線が札幌駅まで延伸開業すれば、新青森駅と札幌駅の間が2時間強で結ばれると見込まれます。これが実現すればさすがに “「はまなす」があればなあ……” と感じる機会は減っていくと思います。

とはいえ、北海道新幹線の建設工事は難航して、既に開業予定時期が延期されており、現時点では2038年度末以降の開業を見込んでいます。「以降」というのは、今後さらに延期になる可能性が否定できないという意味合いでしょう。しかも事業費の増加に伴い、財務省から「中止すべき水準」という見解が飛び出すなど、先が見通せない状況なのが実情です。


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