【宮城県気仙沼市】復興支援で広がる「気仙沼ニッティング」の編み手と買い手

東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県気仙沼ですが、そんな地で「気仙沼ニッティング」によって復興の輪が広がっています。元々、水産業が盛んな地ですが、現在では「気仙沼ニッティング」に多くの編み手が集まり、一つの人気のもの、名産となっています。

そんな「気仙沼ニッティング」の魅力についてご紹介します。

「気仙沼ニッティング」とは?

東日本大震災は2011年に起きていますが、「気仙沼ニッティング」は2012年にまだ仮設住宅に住んでいる一人の女性の思いから始まっています。

「働く人が誇りを持てる仕事をつくりたい」と震災後に始めたのが「気仙沼ニッティング」の事業です。きっかけは、糸井重里さんの率いる「ほぼ日刊イトイ新聞」プロジェクトで、それをきっかけに、後に手編みのセーターやカーディガンを作る会社が誕生しています。

当時4名の編み手で、発足当時は編み手が集まって編み方の練習や検品を「編み会」で行っていたと言います。それが現在では60名以上の編み手を集めるまでに成長している会社です。

気仙沼は元々、水産業が盛んで漁師が多いのですが、遠洋漁業の男性が船上での時間をいそしむために、編み物をしていた伝統もあります。それが「フィッシャーマンズ・セーター」となっているなど、漁師町とセーターは、実は縁があると言えます。

最初から最後まで一人が手編みで編んでいく気仙沼ニット

「気仙沼ニッティング」の魅力は、まさに手編みの手作り感で、編み手が一人で最初から最後まで編んでいるという点です。その証拠に編み手の顔のイラストや名前、番号などが書かれたタグがニットに一つずつ付いています。

つまり、一つとして同じものがない手編みのニットです。編み手も自分が編んだものが人に届くことに責任と喜びを感じられるものと言えるでしょう。

気仙沼ニットの編み手たちはこんな人が集まる!

気仙沼ニットの編み手は、家族に漁師がいる人も多いのですが、様々な人が集まっています。「気仙沼ニッティング」のホームページには、編み手一人一人が紹介されていますので、それを見てみるのも楽しいでしょう。

それぞれに編み物を始めるまでの物語があり、編み手のことを知って購入できるのもいいでしょう。

例えば、東日本大震災の時に多くの家が流された地域に住んでいた女性は、自分が趣味で編んだセーターが流されずに残っていたため、セーターを分け合うことで、暖を取ってもらったそうです。当時、寒かったので着てもらえてよかったと思い、「今日も誰かにあたたかく過ごしてもらうために、セーターを編んでいます」という編み手もいます。

また、自然が豊かな美しい島で育った男性は、震災後時間だけが過ぎていく中で、何か趣味がほしいと、編み物を始めて編み手となっています。以来編み物に熱中し、今ではプロの編み手で活躍。「編めば編んだだけ形になっていくところがいい」と言います。男性の編むものは、いつもきれいで繊細と人気です。

一つ一つ丁寧に編むため高額のセーターにもファンが!

また、「気仙沼ニッティング」のニットは、気仙沼の編み手たちが一人一人、一つ一つ丁寧に編んでいくために、決して安くはありません。日数を掛けて生産性にこだわらず丁寧に編むたけ割高に感じるでしょう。高額な手編みのセーターとも言えます。

フルオーダーも可能ですが、フルオーダーのカーディガンでは14万円などということもあります。それでも、その暖かみのある製品に人気が高く、現在も1年半待ちなどといううケースもあります。

セーターやカーディガンなどを編むのに熱中する人、そして、セーターを注文してその思いを感じながら暖かさを感じられるというのが「気仙沼ニッティング」の魅力と言えるでしょう。

【INFORMATION】

名称   気仙沼ニッティング 本店「メモリーズ」
所在地宮城県気仙沼市柏崎1−12
電話番号0226-25-7326
営業時間11:00~17:00(土曜のみ営業)
公式URLhttps://www.knitting.co.jp/
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