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【青森県】事実上の廃止が決まった弘南鉄道 大鰐線はどのような路線だったのか?
青森県の私鉄「弘南鉄道」(こうなんてつどう)が運行している鉄道路線の「大鰐線」(おおわにせん)について、弘南鉄道は2027年度末をもって列車の運行を休止する意向を表明しました。
あくまで「休止」という表現を使っていますが、事実上の廃線とみなされています。
大鰐線はいったいどのような路線だったのでしょうか。
大鰐線とは
大鰐線は、青森県大鰐町にある大鰐駅から、弘前(ひろさき)市にある中央弘前駅までを結ぶ、弘南鉄道の路線です。
全国的に珍しいりんご園の間を走る鉄道で「りんご畑鉄道」という愛称が付けられています。
全長13.9kmの路線に、14の駅が設置されています。
中央弘前駅は、JRの奥羽本線の弘前駅とは全く別の駅で、弘前駅から中央弘前駅まで移動するには1.5kmほど歩く必要があります。
弘前駅よりも中央弘前駅の方が弘前城に近いことから、元々は駅名の通り、中央弘前駅周辺が弘前の中心街であったことがうかがえます。
大鰐線の列車には、首都圏の大手私鉄である東京急行電鉄(現:東急電鉄)から譲渡された7000系電車が使用されています。
車内には東急時代の広告がそのまま残っていたりします。
車内の吊り輪はりんごや岩木山をイメージしたものになっており、1両に1つだけハート型の吊り輪がつるされています。
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大鰐線は沿線の高校への通学や、観光などに利用されて、弘前市近郊の旅客輸送を長年担ってきました。
しかし、今(2025年2月)から約3年後の2027年度末(2028年3月末)をもって、列車の運行を休止することが弘南鉄道から発表されています。
休止という表現ではありますが、弘南鉄道や弘南鉄道を支援する沿線自治体に、将来休止からの復活を遂げるだけの資金力がないことはほぼ確実であり、事実上の廃線とみなされています。
弘前電気鉄道の路線として開業
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大鰐線の開業は1952年で、弘南鉄道ではなく「弘前電気鉄道」という会社の手によって開業しました。
当時の弘前周辺の交通事情は悪く、雪が積もる冬場にはバスが運休していました。
そして、国鉄(現:JR)奥羽本線を走る列車は貨物列車や急行列車などの中長距離を走る列車がメインで、普通列車の本数は少ないという状況でした。
そこで当時の弘前市長の発案で、地元の有力者と、鉄道のシステム開発に注力していた三菱電機がタッグを組んで、1949年7月に設立された会社が弘前電気鉄道であり、弘前電気鉄道の手によって1952年1月に開業したのが大鰐線でした。
計画では、大鰐駅から中央弘前駅までの区間を第1期線として、中央弘前駅から北方の、国鉄五能線の板柳駅までを第2期線として開業する予定でした。
また、西弘前駅(現:弘前学院大前駅)で大鰐線から分岐して、田代(西目屋村)までを結ぶ目屋線も計画されました。
しかし、実際に開業したのは第1期線のみで今日に至っています。
なお、大鰐線に並行する路線である奥羽本線について、こちらの記事で紹介しているので、ぜひご覧ください。
大鰐線は弘南鉄道の路線に
開業にこぎつけた大鰐線でしたが、大鰐駅から中央弘前駅までの全区間が国鉄奥羽本線の大鰐駅(現:大鰐温泉駅)~弘前駅間と並行しているためか、その経営は厳しいものでした。
また、開業翌年の1953年には、バスが通年で運行されるようになっていました。
大鰐線は開業以来一度も黒字を計上することができず、大鰐線は同じ青森県の私鉄である弘南鉄道によって買収されたのです。
1970年のことでした。
弘前電気鉄道は解散し、およそ20年の短い役目を終えました。
なお、弘南鉄道の設立は、大正時代末期の1926年3月で、1927年に弘前駅~津軽尾上駅間を開業、戦後の1950年に黒石駅まで延伸開業して、弘南線を全線開業させていました。
開業以来赤字続きだった大鰐線の経営を、民営の企業である弘南鉄道が引き受けたのは、大鰐線が利用客や地域発展のために引き続き必要だということを当時の社長が考慮したためとされています。
なお弘南鉄道は、特定地方交通線(利用状況が悪く廃止するべき路線)に指定された国鉄黒石線(川部駅~黒石駅)についても、国鉄から1984年に譲り受けています。
これも地元自治体から弘南鉄道への、黒石線を存続させてほしいという要望を受けてのことでした。
赤字経営となることが容易に想定できる国鉄の特定地方交通線が、第三セクター(国や自治体と民間が共同で出資する企業)ではなく民営の鉄道路線に転換された事例は数少ないです。
しかし、弘南鉄道への転換後も黒石線の経営は苦しく、1998年に廃止されました。
一度目の廃止表明
大鰐線の利用者は、1974年度には年間約390万人でした。
しかし、車社会化や沿線の人口減少、沿線の学校の減少や生徒の定数削減などにより、利用者は減少していきます。
また、沿線には複数の学校があるものの、スクールバスを運行している学校もあれば、家族が運転する自動車で通学している生徒もいるので、学校に通う生徒が皆、大鰐線を利用しているわけではありません。
2012年度には、年間利用者は約58万人にまで減少していました。
そこで弘南鉄道は、2013年6月の株主総会で、大鰐線を2017年3月で廃止する方針を示しました。
弘南鉄道は2004年度から既に青森県や沿線自治体の支援を受けており、これ以上自治体に負担を強いるのは心苦しいという思いが社長にはあったようです。
廃止の方針は1か月後に撤回されたものの、大鰐線の存続のためには弘南鉄道への沿線自治体からの一層の支援が不可欠なのは明白です。
8月には沿線自治体や経済団体、利用者による存続戦略協議会が作られ、経営改善策や支援計画を話し合う会合が行われました。
運行継続の断念
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その後も弘南鉄道は経営が苦しい状況が続き、2017年度に弘南線も赤字に転落してしまったことから、大鰐線の赤字を弘南線の黒字で補うという経営手法が限界を迎えます。
経営の苦しさを象徴するようなできごとが、2023年8月に大鰐線で発生した脱線事故です。
脱線事故の原因は、車輪との摩擦で生じたレールの摩耗と判断され、およそ3週間の運休を余儀なくされました。
そして翌9月にもレールに異常が見つかり、2か月間運休。
レールをメンテナンスする費用や人員にも事欠いていることがうかがえます。
また、合計2か月半の運休は利用者の減少にもつながり、2023年度の年間利用者はわずか27万人に終わりました。
もはやピーク時の10分の1以下の数字で、1日あたり1,000人にも満たない利用者数は、鉄道の維持が相当難しいことを示す水準です。
このような状況に加えて、沿線の人口減少や電気代・人件費の高騰、そして安全輸送の確保に必要な人員の確保が難しいという事情もあり、経営改善が見込めないことから、2024年11月に弘南鉄道は大鰐線の運行休止を申し出て、沿線自治体も休止に理解を示しました。
弘南鉄道は大鰐線の存続を、沿線自体は支援を、ついに断念した形です。
なお、法的には鉄道路線の廃止の届出は、廃止予定日の1年以上前とされています。
したがって弘南鉄道がその気になれば、今から1年あまり後、例えば2026年3月末をもって大鰐線を廃止することも可能なのです。
しかし、弘南鉄道は3年もの猶予を設けて2027年度末(2028年3月末)での休止を提案しています。
これは、今度の春に高校等に進学する生徒たちが卒業するまでは、大鰐線の運行を継続したいという意図であると説明されています。
大正時代の設立以来、長年公共交通を担ってきた弘南鉄道の、責任感の表れと言えるでしょう。
沿線自治体も2027年度末までの弘南鉄道への支援に同意しており、あと3年間は列車の運行が継続されると予想されます。
大鰐線・弘南鉄道の今後
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大鰐線の休止、事実上の廃止後は、大鰐線の電車の代替となるバスが運行されると予想されますが、バスを運行するためには車両や乗務員を確保する必要があるので、代替バスの計画は早急に立てていくことになるでしょう。
また、慢性的な赤字路線であった大鰐線を休止した後、弘南鉄道は弘南線に人員や資金を投入して、経営の立て直しをはかっていくことになります。
大鰐線の廃止は残念ですが、弘南線や、大鰐線を代替するバス路線が、末永く存続することを願ってやみません。