『出羽三山』は、山形県の中央部にそびえる標高1,984mの月山(がっさん)を主峰に、湯殿山(ゆどのさん/標高1,500m)、羽黒山(はぐろさん/標高414m)をあわせた総称です。

『出羽三山』は、現在羽黒山には「出羽神社(いではじんじゃ)/出羽三山神社)」、月山には「月山神社」、湯殿山には「湯殿山神社」と3つの神社が建立されている神の山として信仰されていますが、江戸時代以前は、“神仏習合(しんぶつしゅうごう)”といって神社と仏閣が同じ境内に同居していました。
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三山とも古墳時代後期に聖徳太子の従兄が創建

『出羽三山』を開山したのは蜂子皇子(はちこのおうじ)いわれています。蜂子皇子は第32代崇峻天皇(すしゅんてんのう/553年?~592年?)の子で、父親が蘇我馬子(そがのうまこ/不詳~626年)に暗殺されると、自身にも危険が迫ります。その時従兄の聖徳太子の助けで都を逃れ、日本海を北上し593年の春に庄内の八乙女浦(やおとめうら)にたどり着いたのです。八乙女浦が気に入った蜂子皇子は、地元の人々の助けや、最後は3本足の八咫烏(やたがらす)に導かれ、羽黒山に入り修行して「羽黒山寂光寺(はぐろさんじゃっこうじ)」を創建しました。
その後、雪の残る月山に登り頂上に「暮礼山月山寺(ぼれいざんがっさんじ)」を建立し、月山から下山する途中に温泉の湧く山に出会い、湯殿山を開山し『出羽三山』が成立しました。

現世、死後、生まれ変わる「生まれ変わりの旅」をする三山参り
『出羽三山』は、蜂子皇子の時代から江戸時代まで“修験道(しゅげんどう)”の道場として多くの修験者(僧侶)が山に入り厳しい修行を行いました。“羽黒修験道”と呼ばれる『出羽三山』での行は、
羽黒山は現世の幸せを祈る山(現在) 本尊=観世音菩薩(かんぜおんぼさつ/観音様)
月山は死後の安楽と往生を祈る山(過去) 本尊=阿弥陀如来(あみだにょらい)
湯殿山は生まれかわりを祈る山(未来) 本尊=大日如来(だいにちにょらい)
と見立てて3つの山を巡ることで成就するのですが、この「生まれかわりの旅」が江戸の町民の間で評判となり、出羽三山巡りの旅が大流行したのです。
※“修験道”とは、自然信仰に仏教や密教が混じり生まれた厳しい山岳で修行する日本独特の山岳信仰です。

明治時代の神仏分離で神社だけとなった「出羽三山」
明治時代に入り、明治政府は神道(しんとう)を国教とする政策を打ち出し、神社(神道)と寺院(仏教)の同居を禁止します。“神仏分離”といって神社から仏教の要素を取り除いたのです。
『出羽三山』もその影響を受け、羽黒山には「出羽神社」、月山には「月山神社」、湯殿山には「湯殿山神社」だけが残りました。江戸時代までは本尊を含め多くの仏像が安置されていたのですが、明治時代以降は
出羽神社=伊氏波神(いではのかみ)と稲倉魂命(うかのみたのみこと)
月山神社=月読命(つきよみのみこと)
湯殿山神社=大山祗命(おおやまつみのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)
だけが祭神として祀られています。仏像はほとんど山を下り、離散してしまいました。
※離散した仏像のうち243体は故佐藤泰太良氏が個人の私財を投じて収集し、その一部が「出羽三山歴史博物館」に展示されています。
現世の幸せを祈る三山の総本部「羽黒山」
羽黒山は、『出羽三山』“生まれ変わりの旅”の入口で、現世の幸せを祈ります。三山の中では極端に低い丘陵のような山で、山頂の「出羽神社」は、『三神合祭殿』と呼ばれ、月山、羽黒山、湯殿山の三神を祀っています。境内には国宝の『五重塔』をはじめ、『羽黒山三神合祭殿及び鐘楼』(国指定重要文化財)、『羽黒山正善院黄金堂』(国指定重要文化財)、『羽黒山の翁スギ』(国指定天然記念物)、『羽黒山のスギ並木』(国指定天然記念物)などの文化財や史跡・名勝などが多くあります。

『出羽三山』の入口、『随神門』から『出羽神社(三神合祭殿)』までは、途中の『羽黒山五重塔』などに立ち寄って、杉並木の中2,446段の石段を登り約1時間。本来の“生まれ変わりの旅”はその後月山に登り、湯殿山に参拝するのですが、これには本格的な登山装備で2泊3日かかります。観光目的では羽黒山頂まで徒歩で行き、山頂から月山8合目まで路線バスを利用する方法が一般的になっています。羽黒山頂まで路線バスが通っていますので、上り下りの一方を路線バスにする方法もあります。

三山の神を一同に祀った国の重要文化財「三神合祭殿」

『ふれあい温泉 川内』は、羽黒山頂に建つ「出羽神社」の本殿で、羽黒、月山、湯殿三山の神を合祀しています。内殿中央に「月山神社」、左に「湯殿神社、右に「出羽神社」が祀られていて、宗教法人の登録上、『三神合祭殿』が出羽三山神社の本殿(本部)です。
現在の建物は1818年に完成したもので、国の重要文化財に指定されています。
※「出羽三山神社」が羽黒山、月山、湯殿山を統括しています。
出羽神社の境内には、本来神社にはない五重塔や鐘楼
明治政府の神仏分離によって、神社と仏閣ははっきりと線が引かれました。しかし、この神仏分離政策は仏閣を排斥するものではなかったので、一部には寺社が混在しています。代表的なものには仏閣に鳥居があったり、神社に仁王門があったりします。出羽三山の場合も、修験道の聖地だったこともあって、わずかですが山内には仏教的な建物等が残ったのです。
国宝に指定されている羽黒山五重塔

「五重塔(羽黒山五重塔)」は、室町時代初期の1373年ごろ(平安時代末期平将門が建立したとの説もあります)建てられたもので、現在の塔は約600年前に庄内の領主で羽黒山の別当(長官)だった武藤政氏(むとうまさうじ/大宝政氏[だいほうまさうじ])が再建したものともいわれています。「五重塔」は登録名「羽黒山五重塔」として国宝に指定されています。
※「羽黒山五重塔」は、2023年(令和5年)から2025年(令和7年)春頃まで屋根改修工事のためその姿を見ることができません。
日本で3番目に古い鐘が吊り下げられている「鐘楼」

「鐘楼」は、1618年に山形城主最上源五郎によって再建されたもので、山内では「五重塔」に次ぐ古い建物です。鐘は1275年に鋳造されたもので、口径は1.68m、総高2.86mもあり、東大寺(とうだいじ/奈良県)・金剛峯寺(こんごうぶじ/和歌山県)に次いで古く、かつ大きいものです。 ※「鐘楼」は国の重要文化財に指定されています。
死後の安楽を祈る「月山」は、高山植物の宝庫

月山は、“死後の安楽と往生を祈る山”として崇められていると同時に、貴重な高山植物が多い日本百名山に数えられる山で、花の百名山にも選出されています。また、弥蛇ヶ原(やじゃがはら)、念仏ヶ原(ねんぶつがはら)などの湿原がある1,500m地帯以上は国の天然記念物で、約30万円前に噴火したのを最後に活動を休止している火山でもあります。月山へは弥蛇ヶ原のある8合目まで路線バスがあり、自家用車でも行けるので、多くのハイカーや登山者で賑わいます。(冬季通行禁止)。

月山の8合目以上は『出羽三山神社』の私有地になっていて、頂上の「月山神社本宮」の参拝にはおはらいを受ける必要があります。「月山神社本宮」の開山期間は7月1日~8月31日です。
現在も僧侶が修行する生まれ変わりを祈る「湯殿山」

“生まれかわりを祈る山”湯殿山は、月山に連なる標高1,500mの山で、月山からは尾根づたいに8kmほどで標高約1,100mの「湯殿山神社」に到着します。『湯殿山神社本宮』ではおはらいを受け、裸足にならなくては参拝できません。『湯殿山神社本宮』裏の鉄のはしごで90mほど下ると滝(湯殿山御滝)があり、現在でも滝行をする多くの修行僧が訪れています。
※湯殿山は以前は1,504mとの記載があったが、山頂の標高点である1,500mに統一されています。

月山から湯殿山までは約3時間、ほぼ下りの縦走コースです。ただし、1,500m以上の高山を歩くので、本格的な登山の装備が必要です。月山8合目まで路線バスで行き、そこから徒歩で月山神社経由約6時間かかります。湯殿山から、羽黒山・鶴岡駅までは路線バスがあります。
※『出羽三山 自然と信仰が息づく「生まれかわりの旅」』は、日本遺産に認定されています。
INFORMATION
出羽三山
- 施設名称:羽黒山(出羽神社)
- 住所:山形県鶴岡市、西川町、庄内町
- 電話番号:0235-62-2355(出羽三山神社)
- 施設名称:月山(月山神社)
- おはらい料:500円
- 開山期間:7月1日~8月31日(要問い合わせ)
- 施設名称:湯殿山(湯殿山神社)
- おはらい料:500円
- 開山期間:6月上旬~11月上旬(降雪状況により変化・要問い合わせ)
- URL::出羽三山神社