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【宮城県】江戸時代の浮世絵師「歌川広重」が描いた日本三景「松島」。画の中の島は今も存在する?
目次
「東海道五十三次」等の名作を世に送り出したことで有名な江戸時代の浮世絵師「歌川広重(うたがわひろしげ)」。
広重は晩年、六十余州名所図会という全70枚からなる名所図会を発表し、その中で数少ない貴重な東北地方の風景画を残しています。一つは【出羽】最上川 月山遠望、そしてもう一つは【陸奥】松島風景 富山眺望之略図です。
今回は【陸奥】松島風景 富山眺望之略図を見ながらふと浮かんだ疑問「画の中の島は今も存在するか?」を調べてみました!
広重が松島を望んだのは松島四大観の一つ「富山:麗観」から
これは絵のタイトル(【陸奥】松島風景 富山眺望之略図)からも疑いようがないですね。広重はこの「富山:麗観」から南に松島湾を望んでいます。
ちなみに松島 四大観(しだいかん )とは松島湾に浮かぶ島々を一望できる名所のことで、麗観:富山の他に壮観:大高森、偉観:多聞山、幽観:扇谷といった絶景スポットが存在します。
画の中に記されている島は今もある?
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本題に戻って、画の中に記されている島名・地名と思われる文字は全部で11個。
- ナコメ
- 月星シマ
- 白ハマ
- サル林
- タノシマ
- ナカ(メ?)シマ
- 小町シマ
- 石ハマ
- カ(ロ?)ケタシマ
- ハナブシ
- ???
画の一番上、「ハナブシ」の更に上の濃い青の部分にある文字?と思われるもの。ここだけ全く識別できませんでした…なのでその他の部分を調べていきます!
「ナコメ」は名籠(なごめ)
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現在も地名として残っていました。松島町手樽名籠。画の位置関係からもここで間違いないですね。
「月星シマ」は月島(つきしま)と星島(ほしじま)
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これもすぐに発見。名籠漁港の沖合に月とそれに寄り添う星のように見える小さな島が。名前も月島(つきしま)と星島(ほしじま)。
「白ハマ」は白浜島(しらはまじま)
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「白ハマ」も白浜島という島の存在を確認。なぜか名称は出てこなかったのですが、地図上の小白浜島(こしらはまじま)の下に見える少し大きい島、これが白浜島(しらはまじま)です。
「サル林」
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「サル林」という地名は残念ながら発見できませんでした…ただ該当の部分は現在もうっそうとした森になっていることから「猿がたくさんいた林」ということなんじゃないでしょうか?多分。
「タノシマ」は九ノ島(くのしま)
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「タノシマ」と記載されている島は九ノ島(くのしま)のことだと思われます。これは想像ですが、広重が現地の人間に島の名前を尋ねたときに、若干の聞き間違いをしてしまったのではないでしょうか?陸奥の訛りに沿岸部の浜言葉も混じって、江戸とはだいぶ言葉も違ったと考えられます。
もしくは描く際に「ク」を「タ」に書き損じてしまったのでは?とも考えられます。
「ナカ(メ?)シマ」は羅漢島(らかんじま)?
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画の位置関係からすると「ナカ(メ?)シマ」の位置に該当するのは羅漢島(らかんじま)と呼ばれる島。これも推測になってしまいますが、広重が前述の九ノ島(くのしま)と同様に ラカンシマ > ナカ(ン)シマ と聞き間違いをしてしまったのでは?と思われます。
「小町シマ」は小町島(こまちじま)
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非常に小さいですが「小町シマ」も小町島(こまちじま)として実在します。位置関係的にも概ね合っています。
「石ハマ」は桂島の島内の地名「石浜(いしはま」
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「石ハマ」は該当の位置関係と大きさから桂島のことだと思われ、島内にはちゃんと「石浜(いしはま)」という地名が存在しました。
「カ(ロ?)ケタシマ」は蔭田島(かけたじま)
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小町島と同じく非常に小さい島ですが、画の位置関係と合致する場所に蔭田島(かけたじま)という島が存在します。ちなみにこの島は住所区分では塩釜市に該当します。
「ハナブシ」は七ヶ浜町の花渕浜(はなぶちはま)
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これは位置関係からも一目瞭然。七ヶ浜町の花渕浜(はなぶちはま)のことと思われます。
地名も島も、以外と当時のまま残っていた!
こうして調べてみると地名も島も、広重が描いた当時のまま現在まで残っているということがわかりました!江戸時代の人たちと同じ風景を現在も見ることができると思うと、何か感慨深いものがありますね。
皆さんももし松島四大観「富山:麗観」を見に行く機会があったら、スマホで広重の【陸奥】松島風景 富山眺望之略図と見比べながら景色を眺めてみてください。