【山形県】ミニ新幹線の山形新幹線「つばさ」はなぜ生まれた?

山形新幹線こと「つばさ」は、東京駅と山形県の山形駅や新庄駅の間を直通している列車です。
今回の記事では、この列車がなぜ生まれたのかをご紹介します。


山形新幹線の「つばさ」とは?

連結して走行するE3系2000番台「つばさ」(手前)とE5系「やまびこ」(奥)

「つばさ」は、主に東京駅と山形県の山形駅または新庄駅の間を、乗り換えなしで結んでいるJR東日本の新幹線・特急列車です。
東京駅と山形駅の間の所要時間は2時間45分程、途中の福島駅から山形駅までの所要時間は1時間10分程です。
山形駅から新庄駅までの所要時間は45分~1時間程です。

「つばさ」は多くの列車が、東京駅から福島駅までの区間で「やまびこ」と連結して走ります。
「やまびこ」は、主に東京駅と仙台駅または盛岡駅の間を結ぶ列車です。

「つばさ」は「山形新幹線」とも呼ばれますが、この山形新幹線には、同じ東北地方の県を走る東北新幹線や北海道新幹線とは大きな違いがあります。
それは「ミニ新幹線と呼ばれる存在である」ということ、そして「正式な名前が『山形新幹線』である路線は、日本のどこにも存在しない」ということです
(今回の記事では取り扱いませんが、これは「秋田新幹線」も同様です)。

では「つばさ」はいったい何という路線を走っているのでしょうか?
東京駅から福島駅までの区間は「東北新幹線」です。
東北新幹線は正真正銘の新幹線(主たる区間を列車が時速200km以上で走行できる路線のこと)で、現在の「つばさ」は東北新幹線の区間を最高時速300kmで走行しています
(車両が最新型のE8系の場合のみ。E3系の最高時速は275km)。

福島駅から新庄駅までの区間の正式な名前は「奥羽本線」です。
通称として「山形新幹線」と呼ばれることもありますが、この区間は「在来線」、つまりは厳密な意味での新幹線ではないのです。
在来線なので、一般的な新幹線のような速度は出せません。
「つばさ」の最高速度は、一般的な特急列車と同程度の時速130kmに抑えられています。
一般的な新幹線には存在しない踏切も普通に通過します。
「つばさ」が東京駅から福島駅までは1時間半程度で走行できるのに、福島駅から隣の県の山形駅まで1時間もかかるのは、奥羽本線に入ると列車の速度が大幅に落ちることが原因です。

奥羽本線の踏切を通過する「つばさ」(塗装変更前)

「山形新幹線」とは、東北新幹線の東京駅~福島駅間と、奥羽本線の福島駅~新庄駅間を合わせた区間(奥羽本線区間のみを指す場合もあります)の通称、およびその区間を直通して走る列車の通称なのです。
山形新幹線のように、新幹線と在来線の間で直通運転を行う方式は「ミニ新幹線」とも呼ばれています。

このようなミニ新幹線は、なぜ生まれたのでしょうか?


山形新幹線の生みの親

山形新幹線の生みの親とも言うべき人がいます。
JRの前身にあたる国鉄に入社し、JR東日本の発足後は副社長や会長を務めた故・山之内秀一郎氏です。

東北・上越新幹線の開業当時の車両、200系電車

1982年、東北新幹線(大宮駅~盛岡駅間)と上越新幹線(大宮駅~新潟駅間)が開業しました。
国鉄に幹部職員として勤めていた山之内氏は、上越新幹線開業後最初の冬に多くのスキーヤーで混雑する列車を見て、新幹線の集客効果を思い知りました。
そこで「スキーの聖地である山形まで新幹線を走らせれば、多くのお客様に来ていただけるのでは」と考えたのです。


山形新幹線建設への壁と抜け道

しかし山形への新幹線を建設するためには、越えなければならない大きな壁がありました。
整備新幹線計画」です。
これは1970年代に作られた計画で、簡単に言ってしまえば、今後の日本に優先的に建設していく「整備新幹線」を定めたものです
東北新幹線の盛岡市から青森市までの区間とか、北海道新幹線といった路線は、整備新幹線に含まれていましたけれども、山形への新幹線は含まれていませんでした。
既に整備新幹線として認められている区間に先んじて、山形への新幹線を作ることなど、全く現実的ではありません。
そもそも国鉄が経営難に陥っていた当時は、整備新幹線の着工さえも凍結されていました。
整備新幹線が完成するのを待っていたのでは、山形への新幹線が作れるのがいつになるのかわかったものではありません。
現に、山之内氏が山形への新幹線を構想してから40年以上経った今もなお、整備新幹線の全区間の開業時期は見通せていないのです。

参考:鉄道:新幹線鉄道について – 国土交通省
(整備新幹線の内、北海道新幹線:新函館北斗駅~札幌間、北陸新幹線:敦賀駅~大阪間、九州新幹線<西九州ルート>:福岡~武雄温泉駅間は、2024年6月現在未開業)

しかしここで山之内氏は抜け道を見つけました。
その抜け道とは「新幹線の電車が走行できるけれど、時速200km未満でしか走行できない路線は『新幹線』ではない」というものです。
新幹線と国鉄・JRの一般的な在来線は、軌間(2本のレールの間隔)が違いますが、在来線の軌間を新幹線に合わせて広げてしまえば「新幹線の電車が時速200km未満でしか走れない路線」の誕生です。
この軌間を広げただけの在来線へ、既存の新幹線から直通してくる列車を走らせることは、整備新幹線計画に支障することなく可能なのです。

こうしてミニ新幹線構想が山之内氏の頭の中に生まれたのでした。
在来線の区間では新幹線のように高速で走行することはできないので、ミニ新幹線を作ったところで大幅なスピードアップは望めません。
しかし、新幹線と呼ばれる列車が、在来線へ乗り換えなしで直通するというその利便性や、鉄道の利用者に対するアピールのしやすさが重要なポイントです。

また、必要な工事についても、在来線の軌間を広げたり、高速で走行しやすいように多少改良したりするだけです。
時速200km以上で走行できる本格的な新幹線をいちから建設するよりも、工事の費用が圧倒的に安いというメリットもあります。

なお、山之内氏の構想は、フランスを走る高速列車のTGVも参考にしていたようです。
欧州の高速鉄道では日本とは異なり、在来の路線と、高速で走行できる専用線の軌間は同じです。
そのため、在来線と高速列車専用線の間で直通運転が盛んに行われているのです。

山之内氏はミニ新幹線構想を国鉄内部で提唱したものの、当初は誰も相手にしてくれませんでした。
そこで同じ小学校の先輩であった国鉄幹部に話をしたところ「面白い、二人で勉強してみよう」という返事が返ってきたとのことです。
しかし、国鉄内部での検討は進められたものの、どうすれば実現に移せるのかがわかりません。
そんな彼らに助け舟を出したのは山形県でした。


1992年のべにばな国体

1981年に、山形県における重大な行事の開催が決まりました。
1992年に開催された、第47回国民体育大会、べにばな国体です。
山形県はこの国体の開催に伴い、県にアクセスするための交通体系の整備を進める必要がありました。
山形県の交通体系を整備したいという需要と、山之内氏の山形への新幹線を走らせたいという構想が見事に合致したのです。
地元の有力政治家が乗り気になったこともあり、新幹線の電車が東北新幹線の福島駅から在来線の奥羽本線へ乗り入れるという、山形新幹線計画は実現に向かいました。


1992年7月:山形新幹線開業

山形新幹線開業当初の400系電車(登場時の塗装、引退済み)
著作者:spaceaero2 – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7808984による

JR発足から5年後の1992年7月1日に、ついに山形新幹線が開業し、東京駅~山形駅間を「つばさ」が走り始めました。
開業当時の車両は、山形新幹線のために開発された「400系」電車6両編成です。
既存の新幹線用の車両は、在来線の奥羽本線を走行するには車体が大きすぎるので、車体が小さい専用車両が必要だったのです。
筆者(当時小学生)も開業したばかりの頃に、福島県出身の父に乗せてもらいました。

山之内氏が思い描いた通り、ミニ新幹線とはいっても新幹線が東京から山形へ直通することのインパクトは大きく、「つばさ」はあっという間に人気の列車となりました。
開業からわずか3年後に、列車が1両増結されて7両編成になったほどです。

E3系1000番台(登場当時の塗装、営業運転終了済み)

1999年12月4日には、山形新幹線は新庄駅まで延伸開業し、一部の「つばさ」は新庄駅までの運転になりました。
必要となる車両数が増加したので、新型車両の「E3系1000番台」が導入されました。

現在の主力車両、E3系2000番台

2008年からは開業当時から活躍してきた400系を取り換えるため、「E3系2000番台」が登場しました。
E3系1000番台とはヘッドライトの形状などに若干の違いがあるほか、車内の一部座席には電源コンセントも設けられました
(しかし筆者は、このコンセントに充電器を差し込んだまま列車を降りてしまったという苦い経験があります)。
E3系2000番台は続々と投入されていき、2010年4月に400系は営業運転を終了しました。

E3系700番台「とれいゆつばさ」(引退済み)
車内の足湯

著作者:© DAJF / Wikimedia Commons, CC 表示-継承 4.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=38954889による

2014年から2022年までは、観光列車が主に奥羽本線の区間内で運行されていました。
「とれいゆつばさ」といいます。
秋田新幹線で使用されていた「E3系0番台」を改造して「E3系700番台」としたもので、車内に足湯が備えられていることが大きな特徴でした。

最新型のE8系電車

2024年3月からは、最新型車両の「E8系」が登場しました。
少数派だったE3系1000番台は、E8系と入れ替わる形で営業運転を終了しました。
今後、E3系2000番台もE8系に置き換わっていく予定です。

E8系は東北新幹線区間を走行するときの最高時速を275kmから300kmに引き上げました。
また、全座席へのコンセント設置、車いすスペースの増設など、車内のサービスも向上しています。


山形新幹線の生みの親ゆかりの地、かみのやま温泉

山之内氏の山形に対する関心が高かった一因として、氏が戦時中に山形県のかみのやま(上山)温泉に疎開していたことがあるようです。
時は流れて東北新幹線が開業した後にも、山之内氏は疎開していた時の仲間と共に再びかみのやま温泉を訪れようとしました。
ところがかつての疎開仲間たちは、第一線で活躍するビジネスマンであるにもかかわらず、福島駅からかみのやま温泉の方へ行く、当時の奥羽本線の特急列車の存在を誰も知らなかったのです。

山形新幹線開業前の奥羽本線の特急「つばさ」

東京で暮らす一般的な人々の間では、新幹線以外の地方の鉄道は存在しないのも同然だということは新たな発見だったと、山之内氏は著書に記しています。
この経験も「新幹線」を山形へ走らせようと思い立つきっかけとなったのでしょう。

ともあれこのように、かみのやま温泉は「つばさ」の生みの親のゆかりの地です。
山形新幹線「つばさ」の中にも「かみのやま温泉駅」に停車する列車があります
(なお、1992年の山形新幹線開業の前までは「上ノ山駅」でした)。

かみのやま温泉

かみのやま温泉の開湯は1458年のことで、旅の僧侶が温泉で傷を癒しているのを発見したことが端緒とされています。
江戸時代にはこの地に上山城、上山藩が置かれたので、温泉地や城下町としても繁栄しました。
また、羽州街道が通っていることから、宿場町としても発達しました。
温泉町、城下町、宿場町の3つの顔を持つまちは、全国的にも珍しいとされています。
歴史ある街並みの中を、浴衣で湯めぐりが楽しめる場所となっています。

また、ウォーキングコースが5か所8コース設定されていて、ウォーキングと温泉で健康になれる保養地としても知られています。

かみのやま温泉駅に停車する「つばさ」は1時間につき1本程度運行されています。
かみのやま温泉を、旅先の候補にするのはいかがでしょうか。

Information

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まとめ

山形新幹線の「つばさ」は首都圏から山形へ直通することで、多くの人を運ぶだけにとどまらず、山形という地の存在をアピールすることにも大きく貢献してきました。
山形新幹線が開業した頃の山形県の幹部は「一定時間ごとに必ず東京駅で『山形新幹線つばさ』と放送してもらっていることが一番ありがたい」と、生みの親である山之内氏に語ったそうです。
そんな「つばさ」はこれからも、関東地方・福島県と山形県を結ぶ主要な交通機関の一翼を担っていくことでしょう。


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