
大日堂舞楽|名僧・行基から始まる約1300年の歴史を持つ舞楽【秋田県鹿角市】
秋田県の北東に位置し、青森・岩手の二県と県境を接する鹿角市の八幡平地区にある大日霊貴(おおひるめむち)神社。
ここでは毎年1月2日、国指定重要無形文化財やユネスコ無形文化遺産に登録され、約1300年の歴史を持つという貴重な民俗芸能「大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)」が奉納されます。
大日堂舞楽とは?
大日堂舞楽は、養老二年(718年)に天皇の勅令により大日霊貴神社(通称:大日堂)が再建された際、後に奈良・東大寺の「四聖」の一人に数えられる名僧・行基(ぎょうき)とともに都から下向した楽人(舞楽や雅楽を専門的に演奏・指導した職能者)が舞った祝賀の舞楽が里人に伝えられたものとされています。

八幡平地区の大里(おおさと)、谷内(たにない)、小豆沢(あずきさわ)、長嶺(ながみね)の四集落それぞれの能衆(のうしゅう)と呼ばれる人々が、集落ごとに異なる舞を継承しています。
地元では「ザイドウ(大日堂舞楽)」とも呼ばれ、毎年正月二日に大日霊貴神社(通称:大日堂)の養老例祭にて、その年の国土平安・五穀豊穣・無病息災などの祈りを込めて奉納されます。
ユネスコ無形文化遺産の代表一覧表に「固有名詞」で登録されている貴重な文化遺産
2025年時点で、日本のユネスコ無形文化遺産の代表一覧表に記載されている文化遺産は全部で23件あり、「大日堂舞楽」は代表一覧表に固有名詞で登録されている貴重な文化遺産です。
ちなみに他には岩手県の「早池峰神楽」や宮城県の「秋保の田植踊り」も固有名詞で登録されています。
大日堂舞楽とだんぶり長者
大日霊貴神社の再建と大日堂舞楽の誕生は、前述の通り養老二年(718年)とされていますが、その更に昔、大日霊貴神社の創建には、秋田県に伝わるある伝説が大きく関わっています。それが「だんぶり長者伝説」です。

その昔、この八幡平の小豆沢周辺に住んでいたある夫婦が、だんぶり(とんぼの事)に導かれ酒の湧く泉を発見したことで長者となる…という伝説ですが、物語の最後に、その夫婦の娘が老いて亡くなった二人を弔うためにお堂を建てます。
このお堂こそが後の大日霊貴神社(通称:大日堂)だとされているんです。神社の縁起では「継体天皇十七年(西暦523年)に勅願により建立された」とされているので、この頃、だんぶり長者と呼ばれる人物が実在したのかもしれません。
伝説と現実が繋がるという点でも、大日霊貴神社は非常に興味深い場所です。
そして大日堂舞楽の「本舞」にあたる七つの舞も「だんぶり長者」に関わる伝説をその由来としています。
大日堂舞楽の流れ

大日堂舞楽には神子舞(みこまい)と神名手舞(かなてまい)と呼ばれる、四集落に共通して伝わる二種類の舞と、各集落に担当が分かれる本舞と呼ばれる七種類の舞が存在します。
修祓の儀(しゅばつのぎ)~修法(しゅほう)までの一連の儀式には、神様への挨拶や場の祓い清め、本舞奉納の準備といった意味合いを強く感じます。
その後に本舞が順に奉納されますが、これらの一切が1月2日の午前8時頃からお昼頃までの午前中いっぱいをかけて行われます。
- 修祓の儀(しゅばつのぎ)
午前八時、大日堂の表参道から長嶺、谷内、裏参道からは大里、小豆沢の能衆が境内に入ります。大日霊貴神社の宮司がお祓いをして、年頭のあいさつを交わします。
- 地蔵舞(じぞうまい)
修祓の儀を終えると笛が吹かれ、四集落全員で権現舞を舞います。これを「地蔵舞」といいます。
- 幡継(はたへい)
笛吹きと各集落の鼓、錦旗、各旗が大日堂正面階(きざはし)に登ります。笛吹きにより「ハタヘイ」が吹かれると能衆は、長嶺、谷内、大里、小豆沢の順に一列縦隊となり、社前を右回りに三回、袖を上下に振りながら回ります。
- 花舞(はなまい)
太鼓の拍子に合わせ、神子舞、神名手舞、権現舞が全員で舞われます。この一連を「花舞(はなまい)」と呼び、権現舞が中程に差しかかる頃、社殿では「粉押し(もみおし)」が始まります。
- 粉押し(もみおし)
粉押し(脱穀)の様を表しているされ、小豆沢の若衆によって奉納されます。「ヨンヤラヤーエ」の掛け声と「ソリャーンサーエ」の受け声が特徴的で、舞いながら社殿内全体を周ります。
- 御上落(ごじょうらく)
社殿外では、花舞を終えた能衆が四集落の大小龍神幡を先頭に御上楽の楽に合わせて外廊を三回周ります。
- 幡上げ(はたあげ)
御上楽の笛の調子が一段上がり鼓の連打が始まると、社殿内に幡持ちがなだれ込んできて龍神幡を下からさし上げます。二階で幡を受けるとさらに梁に投げ上げ、梁の人間がこれを欄干から下げます。
- 神子舞(みこまい)・神名手舞(かなてまい)
神子舞は、能衆が「天の神」を礼拝する舞と言われ、右手に鈴、左手に紙垂を持って舞います。神名手舞は、「地の神」を礼拝する舞といわれ、神子舞と逆手の右手に紙垂を持ち舞います。
- 大小行事(だいしょうぎょうじ)
烏帽子に布衣を着た大行事と小行事と呼ばれる二人が舞台に上がり、「曼陀羅降るや米降るや 有屋の浄土の米なれば 蒔けども蒔けども尽きもせず」と唱えながら米を撒いて舞台を祓い清めます。
- 修法(しゅほう)
宮司、補宣が舞台に上がり、禰宜から宝印を受け取った宮司がその宝印で四方を清め養老例祭の祝詞を奏上します。
本舞
- 権現舞(ごんげんまい)
小豆沢の能衆八人によって奉納される舞で、だんぶり長者伝説に登場する長者夫婦の娘である吉祥姫と継体天皇との間に出来た五ノ宮皇子がこの地に下向し、五ノ宮嶽(鹿角市にある標高1,115mの山)に登りそのまま姿を消したという伝説に由来します。
五ノ宮嶽の隣の八森岳に龍が出たため、鎮めるために獅子頭を奉納したのが舞の起源とされ、五ノ宮嶽の命名自体も、この伝説に由来するとされています。
- 駒舞(こままい)
大里の能衆二人によって奉納される舞で、大日堂再建の時に天皇から下された駿馬二頭をあらわすとも、五ノ宮皇子の乗馬である月毛の馬をあらわす舞ともいわれています。
胸に木製の馬頭をつけ、馬(駒)頭を振りながら舞われ、一説には全国に伝承されている駒踊りの原型にあたるともいわれています。
- 鳥遍舞(うへんまい)
長嶺の能衆六名によって奉納される舞で、だんぶり長者夫妻の娘である吉祥姫が没した際に、その遺体を葬る様を舞にしたものといわれ、別名「墓固めの舞」とも呼ばれています。
- 鳥舞(とりまい)
大里の三人の子供によって奉納される舞で、だんぶり長者が飼っていた鶏の遊ぶ様を舞にしたものと伝えられています。
- 五大尊舞(ごだいそんまい)
谷内の能衆六人によって奉納される舞で、男神である金剛界大日如来がだんぶり長者本人、女神である胎蔵界大日如来がだんぶり長者の妻にそれぞれ化身し、生前仕えた四人の家臣もそれぞれ普賢、八幡、文殊、不動の四大明王に化身した様を表しているといわれています。
- 工匠舞(こうしょうまい)
大里の能衆四人によって奉納される舞で、大日霊貴神の御神体を彫刻する姿を舞い表わした匠の舞といわれています。
- 田楽舞(でんがくまい)
小豆沢の能衆六人により奉納される舞で、だんぶり長者夫婦が農夫の耕作の労を慰めるために舞われた、または単純に農耕の様子を表現した舞であるともいわれています。一説には日本各地の田楽舞の中で最古の類いにあたるものといわれています。
まとめ
各舞の構成や、奉納の順序など、長い歴史の中で変化してきた部分もあるようですが、約1300年に渡って綿々と継承され続けてきたというのは途方もないことです。
正月早々の奉納神事ということで、地元や近隣の方々以外は中々足を運ぶことは難しいかもしれませんが、日本が誇る貴重な文化遺産の一つ「大日堂舞楽」。機会があればぜひ一度見に行ってみてください。
Information
- 名 称:大日靈貴神社 (大日堂)
- 住 所:〒018-5141 秋田県鹿角市八幡平堂の上16
- 電話番号:0186-32-2742
- 公式HP:https://dainichido.org/
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