【福島県】人々の暮らしに寄り添う阿武隈川|その歴史や景観を追う
目次
今回は一級河川「阿武隈川」をテーマに、福島県の流域に広がる雄大な景色をご紹介します。
阿武隈川は、古くから歌の世界に登場し、あまたの田をうるおし、物資の輸送などにも使われた河川です。数々の景勝地をもち、古くから見る人を魅了してきました。人々の暮らしに寄り添い続けた、阿武隈川の姿をぜひご覧ください。
阿武隈川とはどんな川?
阿武隈川は、福島県から宮城県へ流れる一級河川です。全長は239kmと、全国6位の長さ。福島県西白河郡西郷村が源流となり、釈迦堂川・大滝根川・荒川・摺上川などを合流させながら、福島県の中央部である中通りを南から北へ流れていき、阿武隈渓谷の狭窄部を経て、宮城県へバトンタッチ。険しい地形の奥羽山脈と、ゆるやかな地形の阿武隈山地の間を分かちながら流れる阿武隈川のほとりには、自然の恵み含んだ豊かな土壌がたくさん運ばれ、稲や作物を育んできました。また流れがゆるやかな箇所では、人や物を運ぶ舟運に、阿武隈川が利用された歴史があります。福島市では白鳥の飛来地としても有名です。
一方で阿武隈川は、その流水量の多さから、幾度となく大規模な洪水をおこしています。そのため、阿武隈川のほとりに住む人々は、長きに渡って治水対策に取り組み、昭和から平成にかけても堤防の設置などが行われてきました。それでも自然は時に驚異的なパワーを見せつけます。記憶に新しいものでは、令和元年に襲来した台風19号の記録的な豪雨によって、須賀川市・郡山市・本宮市・福島市などで阿武隈川が氾濫し、甚大な被害が発生しました。
阿武隈川と共に生きてきた人々にとって、川は暮らしのパートナーであると同時に、畏れの対象ともなっていた歴史があります。
阿武隈という言葉~名前の由来や文学作品~
阿武隈という名前の由来は、諸説あります。流域に大熊(青熊)が住んでいたからだとする説や、「大きな隈(曲がり)」をなして流れるからだという説。別な説では、アイヌ語の「ゆったりと横たわる」という意味から取ったともいわれています。
阿武隈川は古くから、「逢隈」「遇隈」などの表記で、文学作品にも登場してきました。古今和歌集に収録された「逢隈に霧立ちわたり明けぬとも君をばやらじ待てば末なし」という歌も、阿武隈川が歌枕として使われています。名前に「逢う」という言葉を含むと、男女の恋にまつわる「逢う」にかけて使いやすかったのも、人気があるポイントかもしれません。「銀河鉄道の夜」などの童話が有名な宮澤賢治が福島市に来訪した際、「ただしばし群れとはなれて阿武隈の岸にきたればこほろぎ鳴けり」という短歌を詠んでいます。阿武隈川は、時代を超えて、さまざまな文学のモチーフに使われてきたことがうかがえます。
阿武隈川の源流がある福島県西白河郡西郷村
西郷村は阿武隈川の源流がある場所。那須山甲子山から流れ出した源流は、那須連山を下りながら、徐々に旅のスピードを上げていきます。阿武隈の源流域には、甲子八十八滝とよばれる霧降滝、赤滝、天狗滝、雄滝、雌滝などの多くの滝があります。中でも落差40mの雄滝と、落差10mの雌滝は、滝までの道が険しく危険なため、案内人の同伴が必須であることからも、幻の滝と称されています。
西郷村と下郷村をつなぐ国道289号線を通す、甲子大橋。その60mほど下の渓谷に、阿武隈川は流れ続けます。甲子大橋からほど近く、阿武隈川のほとりにポツンとある、甲子温泉の一軒宿「大黒屋」。白河藩主の松平定信が愛したと伝わる温泉郷です。阿武隈川の清らかなせせらぎを楽しみながら、ゆったりと過ごせる秘湯となります。
Information<旅館大黒屋>
- 施設名称:元湯甲子温泉 旅館大黒屋
- 所在地:福島県西白河郡西郷村真船字寺平1
- 電話番号:0248-36-2301
- Webサイト:http://www.kashionsen.jp/index.html
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福島県中通りを悠々と流れる阿武隈川の景勝地を紹介
阿武隈川は、福島県をタテ3つに分けたときの真ん中部分にあたる、中通り地方を悠々と北上していきます。阿武隈川の流れが生み出した景勝地をご紹介します。
乙字ヶ滝(玉川村)
石川郡玉川村にある乙字ヶ滝は、日本の滝百選の一つに数えられている滝です。100mほどの川幅いっぱいに「乙」の字を描くような滝は、その姿から小ナイアガラの滝と呼ばれることも。俳句で有名な松尾芭蕉も訪れ、「五月雨の滝降りうづむ水かさ哉」の句を残しています。
Information<乙字ヶ滝>
- 名称:乙字ヶ滝
- 所在地:福島県石川郡玉川村竜崎滝山
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稚児舞台(二本松市)
阿武隈川の流れによって削り出された岩が連なる景勝地で、県十景の一つに数えられています。少し離れた小高い場所に、奇岩怪石の連なるさまを眺められる展望台も設置されています。
この稚児舞台には、平安時代に活躍した源義家にまつわる伝説が残っています。この地で源氏と豪族・安倍貞任の争いが起こった際に、源氏の兵が「京の都では稚児さえも舞うのに、田舎者のお前らにはそれすらできないだろう」と挑発します。すると貞任は怒り、自分の娘ふたりに稚児の姿をさせて、見事な舞を踊らせました。両軍からは拍手喝采がおきましたが、ふたりの娘は恥ずかしめにあったと嘆き、断崖から身を投じてしまったそうです。この様子を不憫に思った義家が、ふたりの塚を築いたことから稚児舞台の名がついたとされています。
Information<稚児舞台展望台>
- 名称:稚児舞台展望台
- 所在地:福島県二本松市上川崎滝畑57
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阿武隈峡(松川町)
阿武隈川の浸食によって削り出された、奇岩が並ぶ峡谷です。約2時間ほどで回れる遊歩道が整備されており、散策の他、写真撮影が楽しめるスポットとしても密かに人気です。遊歩道のスタートは上蓬莱橋で、駐車場が設置されています。蓬莱岩、鮎滝など、阿武隈川が時間をかけて磨き上げた自然の姿を楽しみながら、ゆったりと回ってみてはいかがでしょうか。
Information<阿武隈峡>
- 名称:阿武隈峡
- 所在地:福島県福島市松川町金沢船場
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宮城県へバトンをつなぐ狭窄部
福島県を流れ切った阿武隈川は、宮城県との県境にある狭窄部「阿武隈渓谷」を通り、宮城県へとバトンを渡していきます。宮城県丸森町に設置された阿武隈渓谷県立自然公園では、阿武隈川が切り出した丘陵地の雄大な景観が見られます。自然豊かな環境は、生息地が限られる貴重な昆虫類やイノシシなどの多くの動植物たちのゆりかごとなっているようです。
まとめ
今回は福島県を水源とし、宮城県へとつながる一級河川「阿武隈川」をテーマに、雑学あれこれを紹介しました。
豊かな景観をつくり、人々の暮らしに大きな影響を与えてきた阿武隈川。福島県を南北に貫きつつ流れるなかで、ありとあらゆる顔を見せてくれます。福島県を訪れる際には、阿武隈川の流れに沿って旅を楽しんでみるのもおもしろいかもしれません。