
どうして世界各地には[白神山地]より広いブナの原生林がなくなった?【青森県藤里町】
目次
- 1 ブナの発生と生育地域~氷河期に南のわずかな地域に避難していたブナ
- 2 氷河期が終わり、地球の温暖化により北へ進出したブナ。ヨーロッパでは人がブナを駆逐
- 3 ヨーロッパに残る原生林は、2007年ようやく世界自然遺産に
- 4 北アメリカでは東部のみに生育。ヨーロッパからの移民や病気などで多くを失う
- 5 南部高地に閉じ込められてしまった中国のブナ林
- 6 氷河期を南部で避難生活をしていた日本のブナは、温暖化によって北海道南部まで広がる
- 7 日本でも人によりブナが使われ、跡地にはスギの植林が。“ブナ征伐”という言葉も
- 8 どうして白神山地のブナ原生林は、手つかずのまま残ったのか
- 9 開発の危機にさらされた「青秋林道」計画
- 10 白神山地開発を止めた自然保護運動の高まりと青森県知事の英断
- 11 白神山地憲章
- 12 「白神山地」の秋田県側入り口、白神山地世界遺産センター(藤里館)
「白神山地」は、青森県の鰺ヶ沢町(あじがさわまち)、深浦町(ふかうらまち)、西目屋村(にしめやむら)、弘前市(ひろさきし)、秋田(藤里町)(ふじさとまち)、八峰町(はっぽうちょう)、能代市(のしろし)にまたがった約13万㏊(ヘクタール・以下㏊と表記/1,300平方キロメートル)もある広大な山岳地帯の総称です。森は主にスギなどの針葉樹とブナやミズナラ、カエデ、クリなどの落葉広葉樹によって形成しされています。
その広大な「白神山地」エリアのうち、世界自然遺産に登録されているのは、青森県と秋田県をまたぐ標高の高い約1万6,971haで、ほぼブナを中心とした原生林です。内訳は、青森県側(深浦町、西目屋村)が約1万2,627㏊あり全体の74%を占めています。秋田県側は約4,344㏊。そのすべてが藤里町に位置しています。

©東北森林管理局
白神山地が部分的とはいえ、世界自然遺産に登録されたのには「人の影響をほとんど受けていない原生的なブナ天然林が世界最大級の規模で分布」しているからで、世界的に見てここにしかない貴重なものなのです。
しかし、よく考えてみると世界遺産に指定された世界自然遺産の1万6,971㏊は、東京ドーム約3,600個分で、秋田県の面積の約1.5%にしか相当しません。地球規模からいうと全地球の陸地に対して0.0001%。ホコリ以下ですね。こんなちっぽけなブナの原生林が、世界最大級なんて、どうしてそうなったのでしょう。

スギは日本固有の樹木なのですが、ブナは北半球各地、日本を含む東アジアやヨーロッパ、北アメリカに存在しています。南半球にも遠い親戚といったものはあるのですが、北半球のブナ属と同じではないので、ここでは白神山地のブナと同属の北半球のブナのみを考えてみます。

ブナの発生と生育地域~氷河期に南のわずかな地域に避難していたブナ
ブナは、地球上に多くの被子植物(花を咲かせる樹木)が繁っていた約6,000万年前に発生したと考えられています。その生育域は北半球の温暖で適度に雨が降る地域、つまりヨーロッパ、北アメリカそれに東アジア地域で、乾燥地帯だった中央アジアには進出できませんでした。
その後、地球を何度も襲った氷河期には生育地域を減らし続け、直近の約1万年前頃の氷河期には、避難地(refugia=レフュージア)と呼ばれるわずかな温暖の地で命をつなぎました。それがヨーロッパではイベリア半島(スペイン・ポルトガル)やイタリアの南部地域、バルカン半島南部(ギリシャなど)で、北アメリカはアメリカ南部やメキシコ、そして東アジアが日本と中国南部です。

氷河期が終わり、地球の温暖化により北へ進出したブナ。ヨーロッパでは人がブナを駆逐
氷河期が終わり温暖な気候に戻っていくと、ブナも元気取り戻しヨーロッパの標高1,000m以下の地域、北アメリカでは東海岸の温帯で湿潤な地域に広がっていきました。東アジアの日本と中国南部では、多くの地域で温暖化、乾燥化が進むなどの気象条件もあり、エリアはあまり広がりませんでしたが、避難した繁殖地域でしっかり根付いていったのです。
ヨーロッパ全土に広がっていたブナですが、人の活動が活発になるにつれて、生育面積は減少していきます。それは、ブナは人の生活にとって欠かせないものだったためでした。

クマやシカも大好き。実が生育していく夏のブナ ©秋田森づくり活動サポートセンター
まずは人が住むための家や畑などを確保するためには、ブナの林を伐採して土地を確保する必要があったのです。ブナは腐りやすい木だったので恒久的な家の材料としては不向きだったのですが、家具などには工作がしやすいため最適でした。それに燃料にするにもちょうどよく、人はブナの木を大量に消費していったのです。
畑や牧場も広いスペースが必要で、気がついたらヨーロッパからブナ林が大きく減少していたのです。さらに時代は産業革命に突入し、ブナは燃料として膨大に消費されました。ブナの伐採のあとは、成長の早いモミなどの代表される常緑の針葉樹が植林されたため、現在ではブナの原生林はヨーロッパ各国の山間部に、ごくわずかそれも点々と残っているだけになってしまったのです。
ヨーロッパに残る原生林は、2007年ようやく世界自然遺産に

ヨーロッパブナ林の惨状は長い間放置され、ようやく2007年にウクライナとスロバキアが世界自然遺産として「ヨーロッパのブナ原生林群(Ancient and Primeval Beech Forests of the Carpathians and Other Regions of Europe)」を共同で登録申請しました。その後世界遺山登録地域は増え、現在はアルバニア、オーストリア、ベルギー、ブルガリア、クロアチア、ドイツ、イタリア、ルーマニア、スロバキア、スロベニア、スペイン、ウクライナ、フランス、スイスなどの合計18か国に及んでいますが、その総面積は約40万㏊です。ヨーロッパ全土が約10億1,800万㏊なので、わずか約0.04%にしかすぎません。
北アメリカでは東部のみに生育。ヨーロッパからの移民や病気などで多くを失う
北アメリカ大陸でも氷河期以降、ブナは寒さから避難していたアメリカ南部から東部のアパラチア山脈沿いに五大湖エリアまで北上し、生育エリアを広げました。しかし、17世紀頃から本格化したヨーロッパ人のアメリカ移住により、ブナ林はどんどん伐採され、住宅地や牧場に変わっていきました。それに輪をかけて1900年代には、かかると枯死してしまうという病気が蔓延し、ブナの原生林の多くは失われてしまったのです。

北アメリカの有名なブナ林としては南東部のノースカロライナ州にある、ブナ(アメリカブナ)をはじめとする貴重な原生林が残る「ジョイス・キルマー記念林(Joyce Kilmer Memorial Forest)」や、北部ミシガン州の「スリーピング・ベアーズ国立湖岸(Sleeping Bear Dunes National Lakeshore)」、ノースカロライナ州とテネシー州にまたがる「グレート・スモーキー山脈国立公園(Great Smoky Mountains National Park)」などが有名です。特にグレート・スモーキー山脈国立公園はブナをはじめ約100種の樹木、1,500種以上の被子植物、そして数万種の動植物が確認されている北米屈指の森林地帯で、世界自然遺産に登録されています。
南部高地に閉じ込められてしまった中国のブナ林
ブナ林は氷河期以前には北極圏にも広がっていたといわれていますが、幾度かの氷河期には生育域がどんどん南へと縮小してしまいます。東アジアではブナ、イヌブナなどいくつかの種類が中国南部や台湾、そして日本の南部で命をつないできました。

約1万年前に、氷河期が終わり温暖化していくうちに中国南部は気温が高くなりすぎてしまい、寒すぎず、熱すぎない気候(冷温気候)を好むブナにとっては厳しい環境になってしまいます。そのため成育域は冷涼な高地に追いやられたのです。また、北方は大陸型の気象となって、降水量が少なく湿潤は気候を好むブナの北方進出を拒みました。
さらに、中国南部地域は人にとって生活しやすい環境が整っており、ブナの成育地域にはお茶畑が作られました。ほかにも、燃料や家具材としても大量に消費され、ついには中国南部からブナの原生林はほぼ消えてしまったのです。
氷河期を南部で避難生活をしていた日本のブナは、温暖化によって北海道南部まで広がる

一方、日本のブナは、氷河期に台湾や日本南部で避難生活を過ごし、氷河期が終わると、日本列島が南から北へ温暖化していくと同時に、北へ生育域を広げていきます。8,000年前には南北海道から南にはブナが広がっていたといわれています。特に北日本ではブナの生育には最適な気温だった標高200m~1,200m地帯に、クリやナラ、カエデをはじめとする落葉広葉樹やスギなどの常緑針葉樹と混生して深い森が形成されたのです。
日本でも人によりブナが使われ、跡地にはスギの植林が。“ブナ征伐”という言葉も
ブナは、世界各地で人に利用され、また畑や牧場、工場などの邪魔者として伐採され、多くの原生林を失ってきましたが、実は日本でも同じ扱いをされてきました。江戸時代から明治時代はスギやヒノキなどが大量に伐採されたのですが、昭和になると戦争のために大量の燃料が必要になり、膨大なブナ林が消えていきました。
1950年代後半から1970年代の高度成長期には、燃料は化石燃料に変わったのですが、今度は合板や製紙用としてブナが利用されたのです。しかも、ブナを伐採したあとは、成長が早く、建材として使われるスギが国策として植林されました。[ブナ征伐]といって、ブナを積極的に伐採してスギに置き換えることも行われたのです。その結果、日本でもブナ原生林は高山などの一部を除いてほとんどスギ林になってしまいました。
ブナなどの落葉広葉樹は、樹木自体の保水力が高いことは知られていたのですが、人間欲には勝てません。将来的な需要があると考えた人たちは全国で落葉広葉樹を伐採して、保水力が劣ることを知りながらスギの植林を続けました。そうこうするうちに、鉄筋コンクリートの時代が訪れます。必然的に木材の需要は激減し、スギ林は放置されてしまったのです。山の斜面には保水力の弱いスギの人工林ばかりとなり、少しの雨で土砂崩れが起きるなどの災害が多く発生することになってしまいました。
どうして白神山地のブナ原生林は、手つかずのまま残ったのか

白神山地は最も高い山で標高約1,250m(向白神岳=むかいしらかみだけ/青森県深浦町)ですが、周辺には連続して1,000m級の山々が連なり、急峻な山岳地帯を形成しています。白神のブナを伐採するには運搬に多くの資金が必要で、費用対効果が悪く、割にあいません。また、秋田県側の麓には最も有用とされるスギの森があるため、ほとんど開発の手が入りませんでした。
開発の危機にさらされた「青秋林道」計画
白神山地にも開発の手は伸びてきます。
1978年(昭和53年)秋田県・青森県選出の国会議員や当時の関係町村長などが中心となった白神山地開発のための「青秋県境奥地開発林道計画」(青秋林道=せいしゅうりんどう)ができ、1982年(昭和57年)には林野庁で承認され、すぐに、秋田県側の一部林道の建設が始まったのです。青秋林道は秋田県日本海側の八森町(はちもりまち/現八峰町=はっぽうちょう)から白神山地の真ん中を抜け、青森県の西目屋村(にしめやむら)に抜ける林道計画で、名目上は青森県弘前市と秋田県の日本海側を結ぶ有用な道路とされていましたが、白神山地を開発するのが目的だったともいわれています。
白神山地開発を止めた自然保護運動の高まりと青森県知事の英断
この話が藤里町在住で、1973年(昭和48年)より「秋田自然を守る友の会」を結成し、白神山地のブナ林の保護活動をしていた鎌田孝一さん(1930年~2021年/同時28歳)の耳に入り、反対運動が始まります。この運動が白神山地世界自然遺産登録へのきっかけになりました。
一方で青森県側でも反対運動が始まります。青秋林道の青森県側は秋田県側より少し工事開始が遅れていました。自然保護運動の高まりから反対運動も盛り上がりを見せますが、工事は始まり、政治家たちも引きません。政治問題化する中、当時の青森県知事だった北村正哉さん(1916年~2004年)が青秋林道建設の中止を決定し、白神山地は守られたのです。1987年(昭和62年)12月のことでした。なお、北村知事は1994年(平成6年)に「三内丸山遺跡」の永久保存も決めています。
当初13人から始まったその波が大きなうねりとなり、「白神山地」は1993年(平成5年)12月に世界自然遺産として登録されたのです。

白神山地憲章
「ブナ天然林での降雨が枝葉や根幹を伝わって大地に吸収され、多種多様の動植物を育(はぐく)みながら谷川に滲(しん)出し大海に達し、豊かな恵みを与えます。海水は水蒸気や雲となって再び山地に還(かえ)り、大いなる生命の循環が行われています。
白神山地は地球上の至宝であり、これを保護して次の世代に伝えるのが人類の責務です。21世紀を迎えた今、青森・秋田両県の私たちは心を一つにして、この世界遺産を守るための理念を憲章として掲げます」
平成13年10月7日 青森県・秋田県(原文まま)
「白神山地」の秋田県側入り口、白神山地世界遺産センター(藤里館)

「白神山地世界遺産センター(藤里館)」は、白神山地の南麓、藤里町にある白神山地を知る上でぜひ立ち寄りたい展示施設です。館内には、生息する動植物の資料を展示・紹介するコーナーや、図書も豊富に置かれ、DVD鑑賞スペースもあります。

白神山地に詳しい自然アドバイザーが常駐していて、初めて訪れた人でも白神山地のことを分かりやすく解説してくれます。
白神山地世界遺産センター(藤里館)
- 施設名称:白神山地世界遺産センター(藤里館)
- 所在地:秋田県山本郡藤里町藤琴里栗63
- 電話番号:0185-79-3005
- 開館時間:
- 3月~11月/9:00~17:00
- 12月~2月 10:00~16:00
- 休館日:
- 3月~11月/火曜日(祝日の場合は翌日)
- 12月~2月/月・火曜日(祝日の場合は火・水曜日)、年末年始
- 入館料:無料
- URL:白神山地世界遺産センター(藤里館)
- アクセス:
- 公共交通機関/JR奥羽本線二ツ井駅からタクシーで約20分または、真名子行き路線バスで約20分「湯の沢温泉」バス停下車(土日祝日・年末年始等運休)
- 車/秋田自動車道二ツ井白神ICから約30分
Google Map
「白神山地」の世界自然遺産に指定されている中核地域(秋田県側)は立ち入り禁止となっていますが、緩衝地域や周辺には、世界遺産を感じられる絶景スポットがあります。それらは別項にてご紹介します。





















