
土崎から始まった秋田市の発展-流通の中心として発展した雄物川河口の土...
秋田市を流れる雄物川(おものがわ)河口には秋田県最大の貿易港秋田港があります。秋田港は地番的には土崎港(つちざきみなと)になっていて、昔からの名称土崎湊に由来し...
秋田市を流れる雄物川(おものがわ)河口には秋田県最大の貿易港秋田港があります。秋田港は地番的には土崎港(つちざきみなと)になっていて、昔からの名称土崎湊に由来し...
源義家(みなもとのよしいえ)の軍中には、兄の苦境を救おうと京から弟の源義光(みなもとのよしみつ)が加わりました。 連合軍は当時難攻不落とされた金沢柵(かねざわの...
清原真衛(きよはらのさねひら)が病死したことで、清原氏の内紛は一度収まりを見せます。 真衛の所領であった奥六郡は、陸奥守(むつのかみ)の源義家(みなもとのよしい...
栗原市を構成する栗原地域は、栗駒山の南東麓に広がっていて、栗駒山に端を発する一迫川(いちはさまがわ/迫川)、二迫川(にはさまがわ)、三迫川(さんはさまがわ)が流...
前九年の役の後、源頼義(みなもとのよりよし)は京に戻り、安倍氏が支配していた陸奥の奥六郡(岩手県内陸部)は清原氏が統治することになりました。 清原氏は、長い戦い...
黄海(このみ)の戦いで安倍貞任(あべのさだとう)に大敗した源頼義(みなもとのよりよし)、義家(よしいえ)親子は、懸命に戦力を取り戻すために奔走したとされています...
1056年(天喜4年)2月の阿久利川(あくとがわ)事件以降、再び戦闘状態となった源頼義(みなもとのよりよし)と安倍頼時(あべのよりとき)でしたが、一進一退の戦況...
奥六郡(おくろくぐん:岩手県)の首長、安倍頼良(あべのよりよし)は、討伐の兵を挙げた陸奥守(むつのかみ)・藤原登任(ふじわらのなりとう)を、鬼切部(おにきりべ)...
「奥州十二年合戦」とも呼ばれ、平安時代末期に陸奥(むつ)と出羽(でわ)、現在の岩手県と秋田県が戦場となったこの戦いは、ただの局地戦ではなく鎌倉時代への架け橋とな...
元禄2年(1689年)6月10日(新暦7/26)、松尾芭蕉(まつおばしょう)と河合曾良(かわいそら)が羽黒山を出発する際、疲れからか芭蕉は馬を借りて下山しました...