かつての江戸城へ登城してみよう!~皇居東御苑散策~

大手町にある皇居東御苑は、かつて、江戸城の本丸と、二の丸、三の丸があった場所になります。徳川幕府に仕えた諸大名たちは、大手門をくぐって、将軍に謁見しに行きました。それでは、当時の大名になった気分で、かつての江戸城へ登城してみましょう。

大手門は、江戸城の正面玄関

江戸時代、大手門は朝廷からの勅使や、大名らの登城、それと将軍が出入りする、まさに江戸城の正門でした。それもあって、大手門の警備は厳重で、警護役が10人、鉄砲20挺、弓10張などを備えていました。大名は、ここからは少数のお供だけ連れて、駕籠に乗ったまま大手門を通っていきます。大名行列に連なった家来たちは、殿様が戻るまで、内堀の手前で待機する習わしでした。
道路の奥にあるのが、高麗門で、右手に見えるのが渡櫓門です。道路の部分は、かつては大手門橋がかかっていました。道路の左右は江戸城の内堀です。現在、大手門は、皇居東御苑の入場口の1つとなっています。では、登城する大名のように、正面の高麗門をくぐって、本丸へと向かいましょう。

高麗門をくぐると、城壁に囲まれた正方形の広場があります。升形広場といいます。高麗門を抜けて敵が攻めて来たら、渡櫓門を閉じて、上の狭間と呼ばれる、射撃用の窓を開けて、鉄砲や弓で狙い撃ちするのです。これらすべてをまとめて大手門と呼びます。そして、大手門の工事は伊達政宗の仙台藩が担当したのです。

同心番所で、大名は駕籠から徒歩へ

左右に大きな石垣があります。かつて、この石垣には大手三の門と呼ばれる門がありました。右の石垣の浦にあるのが同心番所です。ここで、大名たちは駕籠を下りて、歩いて登城なります。ただし、徳川御三家の尾張、紀伊、水戸の大名は例外で、駕籠のまま先へと進めました。


同心番所です。屋根の一番上野屋根瓦には、徳川の葵のご紋が描かれています。ここに詰めていたのは、今で言う、警察官のような仕事をしていた徳川幕府の御家人たちでした。この同心番所を通りすぎたら、道なりに左折すると、さらに巨大な高さ5メートルの石垣が現れます。

巨大な石垣に、諸大名は徳川の力を思い知った

同心番所の周囲も、大手門と同じように升形広場がありました。そして、大手門の渡櫓門よりも巨大な渡櫓門が、駕籠を下りて歩く大名の前にそびえたっていたのです。右手奥に見える石垣は、本丸へと続く、中の門の石垣です。そして、左手に見える屋敷が、百人番所です。

左手の屋敷が百人番所です。江戸城に登城する大名たちをチェックする最大の検問所が、こちらでした。江戸城の本丸や、二の丸を守る江戸城で最大の番所です。鉄砲百人組が詰めていることから、百人番所と呼ばれています。鉄砲百人組を構成しているのは、根来組、伊賀組、甲賀組、二十五騎組が交代で詰めていました。それぞれ、与力20名、同心100名が24時間、交代制で警護していました。ここでのチェックを受けたら、右手のさらに巨大な石垣の中の門へと向かいます。中の門は、これまでの門よりも巨大で広い、重箱櫓で守られています。

中の門の裏にあるのが、大番所です。登城する大名たちをチェックする最後の番所です。ここに詰めているのは、同心番所や百人番所よりも地位の高い与力や同心でした。大番所から道なりに進んでいくと、本丸御殿への最後の門となる中雀門の前に出ます。

いよいよ、江戸城本丸へ

こそ、中雀門です。書院門とも呼ばれていました。本丸御殿の手前の石垣の上には、これまで以上に大きな重箱櫓と書院二重櫓が、歩いて登城する大名たちを見下ろし、徳川幕府の力を見せつけていたのです。この石垣を過ぎたら、目の前にあるのは、江戸城の本丸御殿です。

正面に見える大きな木々と芝生の空間こそ、かつて江戸城の本丸御殿があった場所です。手前から奧にかけて、表・中奥・大奥が連なっていました。表とは諸大名が将軍に謁見する場であり、将軍の仕事場でした。その向こうが、中奥。こちらは将軍が日常生活をする場所でした。そして、さらに奥にあったのが大奥。大奥とは将軍夫人や、女中たちが生活する場所でした。登城した大名たちが、将軍と謁見するのは、常に表と決められていて、大名たちの控室や会議室なども、表にはございました。以上が、大名が江戸城に登城するまでの流れです。

幻の天守閣となった天守台

本丸御殿があった跡地となった本丸大芝生を、ずっと、奥へ奥へと歩いいくと、江戸時代
に築かれた、幻の天守閣がそびえています。天守閣そのものは、最初に作られたのは徳川家康の時代で、慶長11年(1606年)です。高さは、今の国会議事堂ぐらいだったそうです。その息子の秀忠が元和8年(1622)に、、慶長の天守閣を撤去。さらに大きな天守閣を建てました。さらに家光は、寛永15年(1638)に外観が5層で、内部は6階建ての高さが58mの天守閣を作ったのです。家光の天守閣は、明暦の大火で焼失してしまいました。4代将軍の家綱は、天守閣の再建を試みて、今に残る天守台は加賀の前田藩によって築かれましたが、家光の異母弟にあたり、家綱の叔父である会津松平家藩主の保科正之が、「平和な世の中に天守閣など無用の長物。江戸城下の復興こそ、今すべきこと」と進言して、天守台だけ再建した後、天守閣の計画は中止となったのです。ですから、今残る天守台は、幻の天守閣の天守台なのです。

二の丸庭園は、花菖蒲の名所

江戸城天守台まで散策しましたら、汐見坂を下って、かつての江戸城の二の丸跡を散策しましょう。二の丸は、将軍の別邸と、将軍のお世継ぎの御殿があった場所です。御殿の庭園は小堀遠州が手がけたもので、皇居東御苑の公開にあたって、9代将軍の徳川家重時代の回遊式庭園を復元しました。二の丸庭園の名物は、菖蒲田です。84種類の花菖蒲が、二の丸庭園にあり、5月下旬から6月上旬と、6月下旬から7月上旬が見頃です。また、池には鯉も泳いでいます。

まとめ

いかがでしたか? かつての江戸城の皇居本丸公演は入園無料となっています。ちなみに、休園日は月曜日と金曜日ですが、祝祭日の場合は開園していますので、かつての大名気分で、ぜひ、大手門から散策してみてください。きっと、楽しめます。

INFORMATION

名称皇居東御苑(大手門)
住所〒100-8111 東京都千代田区千代田1−1
電話番号03-3213-1111
URLhttp://www.kunaicho.go.jp/event/higashigyoen/gyoen-map.html
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