三百年の松

徳川将軍の浜御殿で、潮風を浴びよう~『浜離宮恩賜庭園』

浜離宮恩賜庭園の大手門入口

浜離宮恩賜庭園は、徳川将軍家ゆかりの『浜御殿』です。今は都立庭園ですが、明治時代には皇室の離宮として、外交にも使われていました。今回は、徳川幕府の浜御殿としての名残りを、散策してみましょう。

名物!『三百年の松』は都内最大級の黒松

三百年の松

『浜離宮恩賜庭園』は、元々は甲府藩の下屋敷でした。1654年(承応3年)に甲府藩主だった徳川綱重が、この地を徳川幕府から拝領したのです。その後、徳川綱重の子だった徳川綱豊が6代将軍・徳川家宣になりました。これをきっかけに、甲府藩は消滅し、徳川幕府が直接治める天領となったのです。と、同時に、ここは徳川幕府の『浜御殿』となったのです。名物の『三百年の松』は、その時に、徳川家宣が植えたと言われています。都内でも最大級の黒松と、その生命力から、長寿と繁栄のパワースポットとしても知られています。

季節の花畑

汐留の高層ビル街が目立ちますが、手前の更地は、ただの更地ではありません。こちらはお花畑です。春はナノハナがすべてを黄色く、秋はキバナコスモスがオレンジ色に、この更地のすべてを彩ります。そして、緑地の部分ですが、江戸時代には、飢饉に備えて、お米や、種もみを保管していた蔵がたくさん並んでいました。今は庭園ですが、徳川幕府の時代には、ここには、幕府の火薬庫もおかれるほど、重要な施設だったのです。

将軍が舟遊びを楽しんだ『潮入りの池』

中央にあるのが、中島茶屋

ここに見える池は、自然の景色ではありません。人が作った『大泉水』と呼ばれる人工の池です。東京湾の海水を引きいれた池なので、『潮入の池 』と呼んでいます。この池を中心に、4つの茶屋が築かれました。

池の真ん中にある茶屋は、『中島の茶屋』。今は、お伝い橋という橋がかかっていますが、江戸時代には橋はなく、将軍は江戸城からここまで、『中島の茶屋』まで、舟で行き来していました。こちらの中島の茶屋では、徳川幕府最後の将軍の徳川慶喜がカステラを食べたというお話も伝わっています。

燕の御茶屋

鷹の御茶屋

松のお茶屋

江戸時代には、『大泉水』のほとりには、『松の茶屋』、『燕の茶屋』、『鷹の茶屋』、がありました。東京都は、11代将軍・徳川家斉の時代の『浜御殿』の資料をもとにして、2010年には『松の御茶屋』を再現し、2015年に『燕の御茶屋を復元。そして、2018年4月に『鷹の御茶屋』を復元しました。

ちなみに、海水に満ちた池てすから、こちらに生息しているのはボラ、セイゴ、ハゼなどどの海の魚です。他に、ベンケイガニや、フナムシ、フジツボがなども見られます。

将軍が鴨猟をした『鴨場』

鴨場の小覗

鴨を呼び出す木槌と、餌をやる竹筒

『鴨場』とは、鴨猟のための場所で、庭園内に庚申堂鴨場と新銭座鴨場の2ヶ所があります。いずれも、池と林を3mほどの土手で囲って、土手には樹々で池を外部から隠し手いました。これは、鴨が安心して休息できるようにするためです。

上の写真は、1778年に築かれた庚申堂鴨場です。下の写真は、池に集まった鴨に餌を与えるための監視場所なのです。池には、野生の鴨を油断させるために、餌付けしていた鴨が飼われています。そして、決められた時間になると、木槌を叩いて呼び寄せて、竹筒から餌を鴨たちに与えていたのです。

小覗きの裏側

引堀

鴨たちにとって、安全に見えるように人目のない樹々に囲まれた池に、数本の水路が引かれてあります。それが、引堀です。引堀の奥に、鴨たちが安全だと思う人目につかない池があるのです。そして、オトリとして飼われた鴨たちが、木槌で餌の時間を知らされると野生の鴨も、ここまでついてきます。その時、土手の両側から網で鴨たちをすくいあげるのです。網から逃げた鴨は、矢で射ました。

将軍専用の船着き場『将軍お上がり場』

石段が、将軍お上がり場です

一部欠けているのは、昭和24年のキティ台風の被害の跡です

幕末になると、徳川将軍家の『浜御殿』には、幕府海軍伝習屯所がおかれました。責任者は勝海舟です。そして、勝海舟の弟子となった坂本龍馬も、スタッフとして加わっていました。そして、『将軍お上がり場』ですが、こちらは、徳川将軍専用の船着き場でした。将軍が軍艦に乗る時は、必ず、ここからボートに乗り、沖合に停泊した軍艦に乗りこんだのです。

また、軍艦から下船する時も、ボートでここに上がりました。鳥羽伏見の戦いに敗れた、15代将軍・徳川慶喜もまた、ここから上陸しました。勝海舟が呼び出されて、ここで慶喜公を出迎えて、以後のすべてを託されたとも言われています。新選組の土方歳三たちも、徳川幕府の軍艦に乗り、ここで下船したとも言われています。

いかがでしたか?

徳川幕府が明治とともになくなった後、ここは皇室の離宮となりました。明治天皇は諸外国の施設を、ここに迎えて外交を行ったそうです。関東大震災や、東京大空襲で焼け野原になった浜離宮ですが、『三百年の松』だけは今も江戸時代のまま残っています。かつての徳川将軍たちが、涼みに来た場所で潮風を感じてみませんか?

INFORMATION

名称浜離宮庭園
所在地東京都中央区浜離宮庭園1-1
電話番号03-3541-0200
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