
【連載⑦:前九年の役・後三年の役】源氏と東国武者の絆、奥州藤原氏100年...
源義家(みなもとのよしいえ)の軍中には、兄の苦境を救おうと京から弟の源義光(みなもとのよしみつ)が加わりました。 連合軍は当時難...
源義家(みなもとのよしいえ)の軍中には、兄の苦境を救おうと京から弟の源義光(みなもとのよしみつ)が加わりました。 連合軍は当時難...
清原真衛(きよはらのさねひら)が病死したことで、清原氏の内紛は一度収まりを見せます。 真衛の所領であった奥六郡は、陸奥守(むつの...
前九年の役の後、源頼義(みなもとのよりよし)は京に戻り、安倍氏が支配していた陸奥の奥六郡(岩手県内陸部)は清原氏が統治することに...
黄海(このみ)の戦いで安倍貞任(あべのさだとう)に大敗した源頼義(みなもとのよりよし)、義家(よしいえ)親子は、懸命に戦力を取り...
1056年(天喜4年)2月の阿久利川(あくとがわ)事件以降、再び戦闘状態となった源頼義(みなもとのよりよし)と安倍頼時(あべのよ...
奥六郡(おくろくぐん:岩手県)の首長、安倍頼良(あべのよりよし)は、討伐の兵を挙げた陸奥守(むつのかみ)・藤原登任(ふじわらのな...
「奥州十二年合戦」とも呼ばれ、平安時代末期に陸奥(むつ)と出羽(でわ)、現在の岩手県と秋田県が戦場となったこの戦いは、ただの局地...
戦国時代から江戸時代にかけて、出羽国(現在の山形県)の戦国大名として最大の版図を築いた最上義光公の菩提寺である光禅寺が山形市の中...
元禄2年(1689年)6月10日(新暦7/26)、松尾芭蕉(まつおばしょう)と河合曾良(かわいそら)が羽黒山を出発する際、疲れか...
元禄2年(1689年)5月28日(新暦7/14)、山寺(立石寺)から松尾芭蕉(まつおばしょう)と河合曾良(かわいそら)は尾花沢に...