
一から九まで「戸の付く地名」【八戸・九戸編】八と九の位置だけパターン...
青森県から岩手県にかけての旧南部領・糠部(ぬかのぶ)郡と呼ばれた地域にある「戸の付く地名」は、七戸(しちのへ)までは奥州街道に沿いに南から北に並んでいたと考えら...
青森県から岩手県にかけての旧南部領・糠部(ぬかのぶ)郡と呼ばれた地域にある「戸の付く地名」は、七戸(しちのへ)までは奥州街道に沿いに南から北に並んでいたと考えら...
九つある「戸」のなかで最も北に位置しているのが七戸(しちのへ)で、この地域では現代でも馬牧場が点在しています。 現在は軍馬や農耕馬でなく競走馬のサラブレッドが飼...
「戸の付く地名」は今では「四戸(しのへ)」だけがなく、その場所と地名が残らなかった理由についてさまざまな説があるものの、これが定説と断言できるものはありません。...
岩手県北部から国道4号線をさらに北上して青森県との県境を越えたところにある三戸(さんのへ)郡は、三戸南部氏発祥の地であり盛岡藩にとってはゆかりの深い地域です。 ...
岩手県北部から青森県東部にまたがる広大な地域は糠部(ぬかのぶ)と呼ばれ、そこには九つの「戸の付く地名」が存在していました。 その歴史は奥州藤原氏からとも、それ以...
青森県の三八上北地方から岩手県北部にかけての地域は、かつて糠部(ぬかのぶ)と呼ばれた広大な南部藩領でした。 この地域には一戸(いちのへ)から九戸(くのへ)まで、...
「○○○って、どんなところ?」と聞かれたときに、スラスラと説明できたらかっこいいですよね。そんなシーンで役立つ雑学を詰め込んだのが、“地域がわかる”雑学の玉手箱...
江戸時代まで山形県と秋田県のエリアは1つの国として扱われていた 由利本荘市は、山形県との県境にそびえる鳥海山(ちょうかいさん/標高2236m) の北側に位置し、...
江戸時代の前半は藩境でもめにもめた大館 秋田犬や比内地鶏、きりたんぽなどで知られる大館(おおだて)は、江戸時代には久保田藩(秋田藩)の最も東に位置していました。...
「○○○って、どんなところ?」と聞かれたときに、スラスラと説明できたらかっこいいですよね。そんなシーンで役立つ雑学を詰め込んだのが、“地域がわかる”雑学の玉手箱...