
明治維新ののち三島通庸によりすっかり景観が変わった山形市【山形県】
山形市は、山形藩の城下町として整備され、特産の紅花の交易で発展した商業都市でした。 その中心にある山形城は大変広く、いちばん外側にあった三ノ丸は約235ヘクター...

山形市は、山形藩の城下町として整備され、特産の紅花の交易で発展した商業都市でした。 その中心にある山形城は大変広く、いちばん外側にあった三ノ丸は約235ヘクター...

秋田藩(久保田藩)が綿密な都市計画で創り上げた久保田城や城下町は、たびたびの大火によりほとんどの建物が失われてしまいました。久保田城は明治時代以降千秋公園として...

秋田市は、「佐竹義宣が国替えになった1602年に始まる」と秋田市ホームページに書かれています。 佐竹義宣(さたけよしのぶ)が秋田の地へやってきたのは1602年。...

源義家(みなもとのよしいえ)の軍中には、兄の苦境を救おうと京から弟の源義光(みなもとのよしみつ)が加わりました。 連合軍は当時難攻不落とされた金沢柵(かねざわの...

清原真衛(きよはらのさねひら)が病死したことで、清原氏の内紛は一度収まりを見せます。 真衛の所領であった奥六郡は、陸奥守(むつのかみ)の源義家(みなもとのよしい...

前九年の役の後、源頼義(みなもとのよりよし)は京に戻り、安倍氏が支配していた陸奥の奥六郡(岩手県内陸部)は清原氏が統治することになりました。 清原氏は、長い戦い...

黄海(このみ)の戦いで安倍貞任(あべのさだとう)に大敗した源頼義(みなもとのよりよし)、義家(よしいえ)親子は、懸命に戦力を取り戻すために奔走したとされています...

1056年(天喜4年)2月の阿久利川(あくとがわ)事件以降、再び戦闘状態となった源頼義(みなもとのよりよし)と安倍頼時(あべのよりとき)でしたが、一進一退の戦況...

奥六郡(おくろくぐん:岩手県)の首長、安倍頼良(あべのよりよし)は、討伐の兵を挙げた陸奥守(むつのかみ)・藤原登任(ふじわらのなりとう)を、鬼切部(おにきりべ)...

「奥州十二年合戦」とも呼ばれ、平安時代末期に陸奥(むつ)と出羽(でわ)、現在の岩手県と秋田県が戦場となったこの戦いは、ただの局地戦ではなく鎌倉時代への架け橋とな...