![Aerial view of a historical village park with thatched huts and a tall wooden tower in the foreground, curving paths across green fields.]](https://jp.neft.asia/wp-content/uploads/2026/06/805113f5fa46b1d43f2abd41bf86437a-1200x800.jpg)
【縄文時代の青森①】日本最古の土器が見つかった青森県…縄文時代はここから始まった?
縄文時代(じょうもんじだい)とは、1万5000年ほど前に日本人が土器を使い始めてから、本格的な稲作が始まる弥生時代(やよいじだい)までの1万年以上の間続いた時代のことをいいます。
※縄文時代の始まりはいくつかの説がありますが、本稿では『青森県史』に従い、1万5000年ほど前としています。
青森では約1万6500年前に土器の使用が始まっていた

日本で初めて使われ出した土器は、青森県の大平山元Ⅰ遺跡から発掘された1万6500年前の土器片(本稿を書いている2026年6月現在日本最古の土器)で、模様(考古学では文様=もんようといいます)はありません。
その後、1万5000年前あたりからは、土器の表面に細い粘土のひもを貼り付けた隆起線文土器(りゅうきせんもんどき)や爪や貝殻などで文様を付けた爪形文土器(つめがたもんどき)などが全国各地から出土しています。
最も古いものは表舘(おもてだて)遺跡(六ヶ所村・遺跡は消滅)から出土した約1万5700年~1万3200年前とみられる細隆起線文土器(青森県重宝)です。

“縄文”、つまり縄で文様を付けた土器の出現は約1万1000年前で、櫛引遺跡(八戸市)からから見つかった多縄文系(たじょうもんけい)土器で、その形状から深鉢形(ふかばちがたどき)土器と呼ばれています。

縄文時代と呼ばれるようになったのは、発掘された土器にたまたま縄文があったから
縄文時代、縄文土器と呼ばれるようになったきっかけは、明治時代に行われた大森(おおもり)貝塚(東京都品川区)の調査です。
貝の研究をしていたアメリカの動物学者、エドワード・シルベスター・モース(1838年~1925年)が、1877年(明治10年)に研究のため来日した際に、横浜から東京に向かう車窓から大森付近の崖に貝が埋まっている層を発見しました。
これがきっかけとなり、日本で初めて遺跡の学術的な調査が行われたのです。

1877年、モース博士を中心に発掘調査が始まり、1879年(明治12年)には日本初の発掘調査書『Shell Mounds of Omori(大森介墟古物編)』が出版されました。
大森貝塚は約4400年~2300年前の人の生活跡ですが、その中には土器も多く出土しました。土器には縄の文様が付いたものが多数あり、その土器をモース博士は調査書の中でCord-marked pottery(コード・マークト・ポタリー)と紹介したのです。
Cord-marked potteryとは、直訳すると「紐の跡が付いた土器」という意味で、当初は索文土器(さくもんどき)や縄紋土器(じょうもんどき)などと訳されていたのですが、1930年代に日本の考古学の父とも称される山内清男博士(やまのうちすがお)の提唱した「縄文式土器」というのが学術的に定着し、第2次大戦後に「縄文土器」と呼ばれるようになったのです。
さらに、土器が使われ始めてから弥生時代へ移るまでの時代を、土器の特徴にかかわらず一括して「縄文時代」と呼ぶようになったのも、戦後になってからなのです。
縄文時代1万年間に起こった大きな気候の変化が、地球環境を大きく変動
縄文時代は約1万年も続いたのですが、その間の気候変動は大きく、土器が見つかった氷河期末期の1万6500年前と、縄文時代で一番温暖だった約6000年前では10度近くも気温差があったといわれています。また、縄文時代は人が狩猟生活から定住・集団生活へ移り変わる過渡期で、使われていた土器の特徴も変化しています。
5000年前頃からは再び気温が下がり始め、縄文時代の末期頃には最も高かった時代より4℃くらい下降し、現在の気温よりも2℃ほど低かったと考えられています。
1万年間続いた縄文時代は、大きく6つの期に分けられ、さらに細分化
長い縄文時代は、土器の特徴によって大きく分けられ、1万年の間を
- 草創期(そうそうき)
- 早期
- 前期
- 中期
- 後期
- 晩期
の6つに分けて考えるのが基本です。さらに草創期以外は期の中を[前葉][中葉][後葉]と細分化するのが一般的になっています。
草創期:約1万5000年~1万1000年前/土器を使い始めた時期で、まだ狩猟生活をしていました。文様のないものから隆起線文土器、爪形文土器などさまざまな文様がある土器が出土していますが、縄の文様の土器はまだ出現していません。
早期:約1万1000年~7000年前/定住生活が始まり、縄文の土器が使われ出しました。櫛引遺跡から出土した多縄文系土器(深鉢形土器)」(「青森県櫛引遺跡出土品」として国指定重要文化財)は、この時代を代表する土器です。
前期:約7000年~5000年前/縄文時代で一番気温が高かった時代で、寒冷地の氷が溶け出し、海水面が高くなりました(海進=かいしん)。
海水面は氷河期の最も低かった時より130m、現在より3mくらい高くなっていました。代表的な土器は、三内丸山遺跡(青森市)からも見つかっている底が平たく、筒状の円筒(えんとう)土器です。

中期:約5000年~4000年前/縄文文化の最盛期です。中期から続く三内丸山遺跡は、500人以上が生活していたという大規模なムラでした。それまでは集落は30人程度だったのでその規模の大きさがわかります。
集落周辺にはブナなどの落葉広葉樹の森があり、クリの栽培林が広がっていました。土器は円筒土器が多いのですが、手の込んださまざまな形の土器も多くなっています。

晩期:約3000年前~2400年前/稲作が伝わり始めた弥生時代への過渡期です。気温の下降が顕著で、食糧難といわれ生活は厳しくなっていました。
反面土器製作技術は芸術的といえるほど向上し、究極に薄く、漆(うるし)によって赤や黒に色づけされたものが登場しています。代表的な土器に亀ヶ岡式土器(かめがおかしきどき)があり、亀ヶ岡石器時代遺跡(つがる市)から出土したものです。

亀ヶ岡石器時代遺跡からは遮光器土偶(しゃこうきどぐう)と呼ばれる人型の土偶が出土し、その完成度、美しさから左足が欠けているにもかかわらず国の重要文化財に指定されています。
是川(これかわ)石器時代遺跡からは3000年も前のものとは思えない鮮やかな色をした漆を重ね塗りした土器や木器が発掘されました。
縄文時代の時代分け・詳細
| 縄文時代 | (年数はおおよそ) | |
| 草創期 | 16,000年~12,000年前 | |
| 早期 | 12,000年~ 7,000年前 | |
| 早期前葉 | 12,000年 ~ 9,500年前 | |
| 早期中葉 | 9,500年~ 8,000年前 | |
| 早期後葉 | 8,000年~ 7,000年前 | |
| 前期 | 7,000年~ 5,000年前 | |
| 前期前葉 | 7,000年~ 6,300年前 | |
| 前期中葉 | 6,300年~ 5,800年前 | |
| 前期後葉 | 5,800年~ 5,000年前 | |
| 中期 | 5,000年~ 4,000年前 | |
| 中期前葉 | 5,000年~ 4,700年前 | |
| 中期中葉 | 4,700年~ 4,300年前 | |
| 中期後葉 | 4,300年~ 4,000年前 | |
| 後期 | 4,000年~ 3,000年前 | |
| 後期前葉 | 4,000年~ 3,700年前 | |
| 後期中葉 | 3,700年~ 3,300年前 | |
| 後期後葉 | 3,300年~ 3,000年前 | |
| 晩期 | 3,000年~ 2,400年前 | |
| 晩期前葉 | 3,000年~ 2,900年前 | |
| 晩期中葉 | 2,900年~ 2,600年前 | |
| 晩期後葉 | 2,600年~ 2,400年前 |
(世界遺産「北海道・東北の縄文遺跡群」公式ホームページにより作成・諸説あります)
青森で土器が使われ始めた時代は、ヨーロッパや中東地域では旧石器時代真っ只中
縄文時代を世界史の中で見てみましょう。縄文時代、つまり日本で土器が使われ始めたのは今のところ1万6500年前頃と判明しているのですが、日本を含む東アジア地域(中国では約2万年前の土器が発見されている)以外では、最も早くから農耕生活が始まった中東地域で約1万年前、ヨーロッパでは8000年ほど前といわれています。
日本で土器が作られ煮炊きや食料の保存に使われ出し、定住生活が始まった頃は、中東やヨーロッパでは旧石器時代で、新石器時代へ続く過渡期の石器中心時代で、人は小さな集団での狩猟生活だったのです。そのため日本以外では縄文時代と同じ意味で使う時代はありません。縄文時代は日本独特の時代区分として使われているのです。
縄文時代は東北北部から始まり、徐々に南下、日本全土に広がる
縄文時代は、土器の出土状態から東北北部から始まり、全国に広がっていったと考えられています。そして1万年という長い年月をかけて発展していきました。発展の過程も東北地方が先んじて花を開かせました。
氷河期、といっても東北北部全土が氷に覆われていたわけではありません。陸地部分は山岳を除いてトドマツやエゾマツ、カラマツなどの亜寒帯針葉樹林か草原となっていました。
しかし、北アメリカなどに厚さ3000メートルにもなる氷河が形成されたため、海水が少なくなり、河水面は現在より120メートル以上も低くなっていました。氷結していたともいわれています。そのため東北北部を含むシベリア東部やアラスカは乾燥していました。
青森県、特に日本海側は積雪量の多い雪国なのですが、当時は海に水がないため雪を作る湿気がなく、雪は降りません。寒さに強い大きな動物たちが生息し、人は動物を追いかけ、狩りをしながら移動して生活していました。
青森県に雪が降るようになったのは8000年ほど前のこと
氷河時代が終わりに近づき、地球がだんだん温暖化してきます。縄文時代草創期で最終氷期最盛期より5℃ほど気温が高くなっていたといわれています。
温暖化で氷河や氷結していた海水が溶け出し、海水面は上昇してきます。日本の太平洋側には黒潮、日本海側には対馬海流という暖流が北上していますが、対馬海流は海水面が低い分、対馬海峡あたりにある海底山脈によってせき止められて、日本海には流れ込んでいませんでした。
海水面が上昇するにつれて、山脈になっている部分が海水面より下になったため、対馬海流が日本海に流れ込み、それが青森付近まで流れ込みました。
周りの気温より温かい海水は蒸発し、偏西風に乗って日本の山々にぶつかります。この頃から日本海側に雪が降り始めたのです。
人間は水辺に居を構え、定住生活が始まる
青森県でも温暖化とともに雪が降り、冬の食料が確保できなくなり、温暖化に対応できない大型の動物たちが絶滅していきました。
人間もそれまで追いかけていた動物たちが減り、新たな食料を探さなくては生きていけません。幸いなことに青森県には海や川があり、そこには魚や海獣、貝などが豊富にあり、小動物たちも野山を駆けまわっていたのです。
魚や小動物たちを捕らえて食料にしていたのですが、やがて煮炊きして食べるようになり、土器はますます重要な道具となりました。
縄文時代の青森②では、縄文時代の草創期から早期に登場した、さまざまな文様の土器をいくつか紹介します。

















