
鉄道関連作品もあり!福島市出身の作曲家:古関裕而の事績【福島県】
福島県福島市出身の作曲家「古関裕而」(こせき・ゆうじ)(1909-1989)をご存知でしょうか?
古関が生涯で作曲した曲は、童謡、歌謡曲、校歌、社歌、応援歌、行進曲、交響曲など多岐にわたり、その数は約5,000曲といわれています。古関裕而という名前や、彼が福島市出身だということは知らなくても、多くの人がその曲を耳にしているはずです。
その生涯と作曲した曲の数々を、簡単にではありますが紹介します。
古関裕而の生涯
古関裕而は1909年8月11日に、福島県福島市にあった呉服店の長男として生まれました。なお「裕而」はペンネームであり、実名は「勇治」(読み同じ)でした。
作曲は10歳のときに独学で始めます。
1928年に福島商業学校を卒業すると銀行に就職するものの、作曲家の山田耕筰(やまだ・こうさく。童謡の「赤とんぼ」が有名な人です)のすすめで、1930年に上京して、レコード会社「コロムビア」の専属作曲家となります。
翌1931年にA面「福島行進曲」・B面「福島夜曲」(ふくしまセレナーデ)のレコードでデビューをすると、1935年には「船頭可愛や」が大ヒットして人気作曲家の仲間入りをします。
1937年の日中戦争勃発後は「露営の歌」などの戦意高揚を目的として作られた詞に曲をつけたという事績が見受けられるほか、作家や画家などと共に戦場への慰問を行いました。
古関の作った戦時下の曲は、兵士やその家族を励ますような、時には哀愁も漂う曲調であり、「軍歌」の一環とみなせるにしても、全く同一ともいえないものでした(「戦時歌謡」と呼ばれることもあるものの、これはどうも戦後に定着した言葉のようです。戦時中のコロムビアは、古関が作曲に携わった歌を「軍歌」に分類していました)。
とはいえ、自分の作った曲で戦地へと送られた兵士の多くが帰国できなかったことに、古関は心を痛めたとのことです。
戦後は、一転して明るい曲が見受けられるようになります。
- NHK連続ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』主題歌の「とんがり帽子」(1947年)
- 全国高等学校野球大会の歌「栄冠は君に輝く」(1948年)
- 歌謡曲の「高原列車は行く」(1954年)
などが好例でしょう。
また、1964年に開催された東京オリンピックで、選手入場の行進曲として使用された「オリンピック・マーチ」も古関の作曲です。古関裕而の曲が、世界各国の人々の耳に届いたのです。
1969年に紫綬褒章を受賞、1979年には福島市初の名誉市民となりました。
1986年に作曲家を引退。1988年には福島市内に古関裕而記念館が開館します。そして翌年の1989年8月18日に、神奈川県川崎市にある病院にて80歳で生涯を終えています。
参考サイト
古関裕而記念館
- 名 称:福島市 古関裕而記念館
- 住 所:〒960-8117 福島県福島市入江町1-1
- 電話番号:024‐531-3012
- 開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
- 休 館:年末年始(12月29日~翌年1月3日) ※臨時休館あり
- 公式URL:福島市古関裕而記念館
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古関裕而の没後
2009年に、古関裕而の生誕100年を記念して、JR福島駅の新幹線ホームでは「栄冠は君に輝く」が、在来線ホームでは「高原列車は行く」が、発車メロディーとして採用されました。
更に、福島駅の東口駅前広場には、古関が愛用していたハモンドオルガンを奏でる姿をかたどったモニュメントが設置されました。日中は1時間おきにメロディーが流れます。

西口駅前広場には1982年にモニュメントが設置されていましたが、このモニュメントからも、同様にメロディーが流れるようになりました。

2020年度の上期には、NHKの連続テレビ小説『エール』が放送されました。古関をモデルとした人物を主人公としたドラマでした。作中には、古関裕而が作曲した曲が多数登場しています。
また2020年9月より、福島市の中心市街地を循環する福島交通のバスに「メロディーバス」が投入されています。名前の通り、古関裕而が作曲した曲のメロディーが流れるバスです。

福島交通の歴史等について、以下の記事で解説しているので、ぜひご覧ください。
次章からは筆者の独断と偏見で、特に事績が目立つ分野をとりあげていきます。
福島県・東北地方の曲
古関裕而のデビューレコードが「福島行進曲」「福島夜曲」だったことをはじめとして、その作品には福島県に関連するものが多く存在します。該当する作品は例えば以下のようなものです。
- 「福島県スポーツの歌」
- 「ふくしま小唄」
- 「福島音頭」
- 「郡山市民の歌」
- 「二本松少年隊」
- 「阿武隈の歌」
- 「高原列車は行く」(福島県内に存在した沼尻鉄道を歌った曲)
- 福島商業高等学校校歌「若きこころ」
上のリストに、古関の母校である福島商業高校の校歌もありますが、古関は福島県内の学校のために101曲の校歌・応援歌を作曲しています。ただし、校歌作曲の事績も福島県にとどまっておらず、北海道から九州まで、全国各地の学校の校歌を作曲しています。
範囲を福島県以外の東北地方にも広げると、さらに多くの曲が出てきます。
- 「青森市民歌」
- 「ミス仙台」(通称:仙台小唄)
- 「釜石市民歌」
- 「塩竈市民歌」
- 「山形県スポーツ県民歌」
- 青森山田学園学園歌「意気と熱(まこと)に」
- 東北電力株式会社社歌
などが該当するでしょう。
スポーツに関する曲
既に、全国高等学校野球大会の歌「栄冠は君に輝く」や「オリンピック・マーチ」を紹介しましたが、NHKの高校野球などのスポーツ中継の冒頭で流れる「スポーツショー行進曲」も、聞いたことが全くないという人は少ないでしょう。
(もっとも、今の子どもや若い人の中には、テレビを全く見ない、そもそも家にテレビがないという人もいるのかもしれませんが……)
また「六甲おろし」こと「阪神タイガースの歌」も、プロ野球ファンであれば阪神ファンかどうかを問わず知っているのではないでしょうか。
もっとも、古関自身はスポーツが苦手で、プロ野球にもそれほど興味はなかったとのことです。そのためか、読売ジャイアンツの球団歌「野球の王者」「闘魂こめて」(東京都千代田区にあるJR水道橋駅の発車メロディーとなっています)をはじめ、中日ドラゴンズの「中日ドラゴンズの歌」、東映フライヤーズ(現:北海道日本ハムファイターズ)の「東映フライヤーズの歌」など、複数の球団の歌を作曲しています。
大学野球、都市対抗野球などに関連する作曲も盛んに行いました。音楽を通じて野球の振興に貢献した功績が評価され、2023年に野球殿堂顕彰者(特別表彰部門)に選出されています。
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乗り物に関する曲
既に紹介した曲「高原列車は行く」は、福島駅の発車メロディーにも選ばれるほどの、古関の代表曲の1つという位置づけになっています。作詞者は丘十四夫→丘灯至夫(おか・としお)です。なお、丘も福島県出身。田村郡小野新町、現在の小野町の生まれです。
丘は幼少時代に湯治のために福島県の会津地方をよく訪れて、沼尻鉄道という鉄道を利用していました。その沼尻鉄道を思い浮かべて「高原列車は行く」の歌詞を書いたとのことです。
福島県耶麻郡猪苗代町を走っていた沼尻鉄道(後の磐梯急行電鉄)については、解説記事があるのでこちらもぜひご覧ください。
古関は丘とのコンビで、乗り物に関する曲を他にも残しています。
- 「あこがれの郵便馬車」
- 「あこがれの航海」
- 「汽笛が消えてゆく港」
- 「登山電車で」
- 「みどりの馬車」
- 「人工衛星空を飛ぶ」(乗り物?)
- 「花嫁さんはロバで行く」
といった曲があります。なお、太字で示した曲は、歌唱も「高原列車は行く」と同じ岡本敦郎(おかもと・あつお)が担当した曲です。
作っていない乗り物シリーズは「乳母車」と「霊柩車」だけだねと、丘と古関の2人は冗談を言い合っていたとのことです。なお、古関の死後の2008年に、丘は「霊柩車はゆくよ」という歌を作詞し、翌2009年に病没しています。
また、古関は西武鉄道、相模鉄道、三重交通といった鉄道事業者やバス事業者の社歌も作曲しています。とはいえ、交通関係の企業の社歌が特別多いわけではなく、古関が社歌を作った企業の業種は、金融、食品、石油、自動車、電気、鉱業、小売、映画、新聞など、実に多岐にわたります。
また、ここまで紹介したように、そもそも古関裕而の作った曲があまりにも多く、そして分野の幅も広すぎることは否定のしようがありません。したがって、乗り物の曲が多いのではなく乗り物の曲「も」多いというべきでしょう。
おわりに
福島が生んだ大作曲家、古関裕而の作った曲は、このように実に多岐にわたり、そして今も聞き継がれ、歌い継がれています。
興味がわいた方は、福島を訪れたときに、ぜひ古関裕而ゆかりの地も訪ねてみてください。

























