日本で最初の公園、上野恩賜公園に残る江戸情緒を散策
明治時代に日本で最初の公園に指定された東京都台東区にある上野恩賜公園は、江戸時代には上野寛永寺の一部でした。現在は桜の名所であり、東京国立博物館や国立西洋美術館、国立科学博物館、動物園がある文化スポットでもあります。
今も残る上野公園の江戸情緒を散策してみませんか?
上野公園の歴史を伝える2つの供養塔
徳川幕府の第15代将軍・徳川慶喜は、鳥羽伏見の戦いに敗れて江戸へ戻り、上野の寛永寺に謹慎した後、水戸に移りました。
その後、新政府に不満をいだく徳川幕府の旗本たちは彰義隊と称し、今の上野公園にたてこもったのです。新政府軍は大村益次郎指揮のもとで上野を総攻撃しました。
写真の供養塔は、その時に亡くなった彰義隊の供養塔です。彰義隊は新政府への反逆者ということで、供養塔の碑には彰義隊と刻まれず、旧幕臣・山岡鉄舟の筆による「戦死之墓」の字が刻まれています。
今の上野公園は、江戸時代には寛永寺の敷地でした。この寛永寺を創建したのが天海僧正です。天海僧正は、実は明智光秀だったとも噂される徳川家康の側近であり、秀忠、家光にも仕え、108歳まで生きたと言われています。
寛永20年(1643年)に亡くなった後、日光山に葬られました後に、こちらに供養塔が建てられ毛髪を納めた塔も建てられました。
写真は天海僧正の毛髪塔で、彰義隊士の供養塔のすぐ近くにあります。
京都の清水寺に来た気分~寛永寺清水観音堂~
上野公園には、京都にある清水寺を小さくした寛永寺清水観音堂があります。こちらは国の重要文化財で、作られたのは寛永8年(1631年)です。
清水観音堂は上野戦争や、関東大震災、東京大空襲などでも被害を受けず、当時のまま現存しています。こちらの本尊は薬師如来です。
写真の真ん中に見えるのは、歌川広重の浮世絵の「名所江戸百景」でも有名な「月の松」です。
清水観音堂への舞台へと上がる石段の坂道が清水坂です。京都の清水寺の舞台と比べると小さくても、実は舞台の構造は京都の清水寺と同じ造りになっているのです。
清水観音堂です、手前はいわゆる清水の舞台です。観音堂に安置されている秘仏は京都清水寺から移されたものです。基本的に、一般に公開はされていません。
清水観音堂の舞台から「心願成就」の思いをこめて、願玉を投げて、舞台の下にある月の上に留めると願いが叶うと言われています。願い玉は5個セットで、お手玉のようなきれいな布に包まれてます。舞台に、白く足のマークがあります。そちらから投げます。
写真の真ん中に、白い石が敷かれた丸い器があります。こちらが月です。
さて、願い玉をこちらに無事に着地できますでしょうか?
江戸時代のまま今も残る上野東照宮
上野東照宮の大鳥居は、酒井忠世が寛永10年(1633年)に奉納したもので、国の重要文化財です。関東大震災でも傾くことがなかった頑丈さで知られています。
上野東照宮は、正式には「東照宮」あるがなのですが、他にもある東照宮との区別する意味で、上野東照宮と呼ばれています。こちらには徳川家康、徳川吉宗、徳川慶喜が祀られています。
上野東照宮は、寛永4年(1627年)に藤堂高虎が上野にある自身の屋敷に創建しされました。危篤状態の徳川家康が「わしの魂が末永く鎮まる所を作ってくれ」と高虎と天海に遺言したことから創られたとも言われています。
境内にある「ぼたん苑」が有名で、4月上旬~5月上旬には「ぼたん祭」が開かれています。
1651年(慶安4年)造営された上野東照宮唐門は、国の重要文化財です。屋根には徳川家の三つ葉葵の紋があります。左甚五郎作の昇り龍・降り龍の彫刻が柱内外の四額面にあります。この龍たちは、夜になると不忍池の水を飲みに行くという言い伝えがあります。
門の向こうに、今もある社殿は慶安4年(1651年)に徳川家光が改築したものです。関東大震災でも、第二次世界大戦でも消失することなく今に伝わりました。
その後、平成21年(2009年)1月~平成25年(2013年)にかけて修復工事が行われて、平成26年(2014年)から一般公開されていますが、社殿内は非公開となっています。
上野東照宮の境内には、諸大名から奉納されたあわせて48基の銅燈籠があります。これらすべて、国の重要文化財です。ちなみに、上野東照宮唐門の左右にある銅燈籠は、徳川御三家の紀州・水戸・尾張家から、それぞれ2基ずつ寄進されたものです。
あまりなじみはないかもしれませんが、かつて寛永寺には大仏殿がありました。その跡地にあるのが、大仏山パゴダです。昭和42年(1967年)の建立です。かつて上野東照宮本地堂の本尊であった薬師三尊像を祀っています。
写真の正面奥がパゴタで、右手にあるのがお守りやグッズなどを販売する場所です。
正面のパゴタの左側にあるのが、かつての上野大仏の顔です。上野大仏は寛永8年(1631年)に越後村上藩主の堀直寄の寄進で、この地に造られました。高さ6メートルほどの釈迦如来坐像でした。
その後、地震や火災で消失と再興が繰り返されましたが、関東大震災で頭部が落ちてからは、再建もままならず、壊れたまま保管されていましたたが、戦時中の金属供出で顔を残して失われてしまいます。昭和47年に、残った顔をレリーフとして元あった場所に設置されたのです。
上野公園は、日本で初めて作られた公園
写真は不忍池です。真ん中のビルの隣にあるのが、不忍池にある中島の弁天堂です。不忍池は、琵琶湖を見立てていて、中島の弁天堂は竹生島宝厳寺の弁才天を見立てています。
秋の不忍池は蓮が生い茂っていて、水面が全く見えませんが、蓮の葉の下は水面です。ここもまた寛永寺の敷地でした。
上野にたてこもった彰義隊と新政府軍の戦いで、一部の建物を除いて焼野原となりましたが、1873年に、かつての寛永寺の敷地は日本初の公園に指定され、今に至っています。
いかがでしたか?
上野公園といえば、お花見で大人気のスポットですが、元々は徳川家の聖地です。今も残る、江戸時代の貴重な重要文化財のほとんどが、拝観料なしでも楽しめますので、動物園ゆ博物館だけでなく、歴史散策スポットとしてもおすすめいたします。
INFORMATION
名称 | 上野恩賜公園 |
所在地 | 台東区上野公園・池之端三丁目 |
電話番号 | 03-3828-5644 |
公式URL | https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index038.html |
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