古代の東北はどんな土地だった?

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古代の東北はどんな土地だった?

東北には、中央から「蝦夷(エミシ)」と呼ばれた人々が暮らし、独自の文化や技術を育んできた歴史があります。

ヤマト王権との三十八年戦争や英雄アテルイの抵抗、前九年・後三年の役を経て、奥州の勢力図は大きく変化していきました。一方、多賀城や秋田城は政治・軍事、外交の拠点として栄え、エミシが用いた蕨手刀や舞草鍛冶の技術は、後の日本刀の発展にも影響を与えたと考えられています。

さらに各地には、起源不明の神・アラハバキを祀る社や伝承も残されています。本特集では、遺跡や刀剣、神社、戦乱の歴史をたどりながら、古代東北の知られざる姿と、現代へ受け継がれた文化の謎に迫ります。


日本刀誕生のミッシングリンク…エミシが振るった「蕨手刀」とは?

古代東北でエミシが用いた「蕨手刀」は、早蕨のように渦巻く柄頭を持つ独特な鉄刀です。

時代とともに衝撃を和らげる透かし柄や反りを獲得し、直刀から湾刀へと移り変わる日本刀誕生の“ミッシングリンク”になったと考えられています。

その発展を支えたのが、砂鉄や餅鉄など東北に恵まれた鉄資源と、エミシの戦闘技術でした。さらに、西日本に残る出土・伝世例からは、朝廷に従属したエミシ「俘囚」の移配との関係も浮かび上がります。

全3回を通して、蕨手刀の形状や素材、製法、強度、分布をたどり、日本刀の源流と古代東北の知られざる技術力に迫ります。


国内最古級の刀工集団…奥州「舞草鍛冶」とは?

現在の岩手県一関・平泉周辺を拠点とした「舞草鍛冶」は、日本最古級とされる刀工集団です。

東北に豊富な鉄資源と蕨手刀の技術を受け継ぎ、鋭い切れ味と実戦に耐える強靱さを備えた舞草刀を生み出したと考えられています。その名声は源氏の宝刀や『義経記』の伝承にも残り、刀工たちが各地へ移ったことで、後の日本刀を代表する五箇伝にも影響を与えた可能性があります。

全3回を通して、古文献に記された名工や古刀の失われた製法、発祥の地とされる儛草神社をたどり、日本刀の成立と発展を支えた奥州鍛冶の実像と謎に迫ります。


古代エミシの英雄アテルイと東北三十八年戦争とは?

古代東北でヤマト王権の支配に抵抗した「エミシ」と、その英雄として知られるアテルイ。

現在の岩手県奥州市周辺を拠点としたアテルイは、モレらとともに朝廷軍を苦しめ、789年の巣伏の戦いでは圧倒的な兵力差を覆したと伝えられています。

しかし、征夷大将軍・坂上田村麻呂との戦いを経て802年に降伏し、助命嘆願もかなわず河内国で処刑されました。

全3回を通して、ヤマトとエミシが衝突した背景や三十八年戦争の経緯、エミシの戦闘力、アテルイとモレの人物像、現在の大阪府に残る終焉の地の伝承までをたどります。


エミシが大和国に侵入するのを防ぐために設けられた三つの関所「奥州三関」

飛鳥時代~平安時代、大和朝廷がまだ支配できていなかった東北地方の蝦夷(エミシ)から支配地域(関東北陸地方以西)への侵攻を防ぐために設けられたとする関所があります。

山形県と新潟県の県境あたりにある鼠ヶ関(ねずがせき)と、福島県と栃木県の県境あたりにある白河関(しらかわのせき)、それに福島県と茨城県の県境あたりにあったといわれる勿来の関(なこそのせき)がこれにあたり、総称して「奥州三関(おうしゅうさんかん)」と呼ばれています。


古代東北地方の国府と鎮守府が置かれた北の都「多賀城」

奈良時代、蝦夷支配の拠点として築かれ、陸奥国の国府と軍事を担う鎮守府が置かれた「多賀城」。

その周辺には、多賀城廃寺跡や国司の邸宅とも考えられる館前遺跡、製鉄所跡が見つかった柏木遺跡など、“北の都”として栄えた歴史を物語る遺跡が残されています。

また、都人にとって憧れの地だった多賀城周辺は、壺碑、野田の玉川、興井、末の松山といった歌枕の舞台にもなり、後に松尾芭蕉もその足跡をたどりました。

本記事では、古代東北の政治・軍事を支えた多賀城の歴史と、和歌や『おくのほそ道』に刻まれた名所を巡ります。


「水洗トイレ」の遺構から発覚した「渤海国」との交易…古代秋田城の歴史

奈良時代、日本海側における蝦夷支配の最前線として築かれた古代秋田城は、行政や軍事だけでなく、海外との外交・交易を担った拠点でもありました。

発掘調査では、当時の日本では珍しい水洗トイレの遺構と、国内には存在しなかった寄生虫の卵が発見され、渤海使が滞在していた可能性を示す手がかりとして注目されています。

本記事では、復元された東門や政庁、秋田城跡歴史資料館の展示を通して“北の玄関口”の実像に迫るとともに、後世の安東氏(秋田氏)が築いた湊城から佐竹氏の久保田城へと移る、秋田市の歴史をたどります。


平安時代末期の奥羽戦役「前九年の役」と「後三年の役」

平安時代後期、陸奥・出羽を舞台に起きた「前九年の役」と「後三年の役」。

奥六郡を治める安倍氏と朝廷側の対立から始まった戦いは、源頼義・義家親子や出羽の清原氏を巻き込み、東北の勢力図を大きく変えていきました。

安倍氏滅亡後に奥六郡を得た清原氏も、複雑な血縁関係と家督争いによって内紛に陥り、再び奥羽は戦乱の時代を迎えます。

全7回を通して、二つの戦役の発端から安倍貞任らの抵抗、清原氏の参戦と内紛、金沢柵での決着までをたどり、奥州藤原氏の誕生と源氏・東国武士の結びつき、さらには鎌倉幕府成立へとつながる歴史の転換点を紐解きます。