
仙台の名刹群! 伊達氏が帰依した「北山五山」とは?【後編】|寺院の五山制度および伊達氏と禅宗の関係
そもそも「五山(ござん)」とは?
伊達政宗によって仙台城北方の北山に5つの臨済宗寺院を集中させ、「北山五山」として崇敬した経緯を前編・中編を通して見てきました。伊達家代々がこうした寺院を大切にしてきたことを示していますが、そもそも「五山」という括りにはどのような意味があるのでしょうか。
五山は本来、仏教を創始した釈迦の存命中に紀元前5~6世紀頃の古代インドに存在した5つの精舎(しょうじゃ:寺院や僧院のこと)を指した言葉といいます。
ちなみに『平家物語』の有名な冒頭文である、「祇園精舎の鐘の声」という一節で語られる「祇園精舎」もその一つとされています。
この故事をもとに12~13世紀の中国・南宋第四代皇帝である「寧宗(ねいそう)」が5つの寺を庇護して「五山」としたのが、制度としての始まりです。
これらが日本でも禅宗の普及とともに広まっていき、鎌倉時代には鎌倉および京都の寺院が「五山」の名で格付けされたことがわかっていますが、同時代の制度としては詳らかではありません。
これが南北朝時代になると足利将軍個人の采配によって五山の寺院を決めていくようになりますが、第三代・義満が至徳三年(北朝年号:1385年)に「鎌倉五山」と「京都五山」とに分割する大改革を行いました。
現在知られている両方の五山は、この時に決定された寺院であり、これらの上に「別格上位」として臨済宗南禅寺派の京都・南禅寺が位置する構成です。
以下、伊達五山や北山五山の元になった日本史上の五山を、「鎌倉」と「京都」という二つの重要地域から見ていきましょう。
鎌倉五山とは

先にも述べた通り、初期の鎌倉五山については不明な点が多くその全容は定かではありません。
しかしながら鎌倉幕府が新たにもたらされた禅宗を庇護したのには武人の道との親和性のみならず、従来の宗教勢力との対立を巧みに取り込んだ権益保持を企図した面も指摘されています。
特に当時の中国方面との貿易に関する利権には宗教勢力が深く関わっており、仏法の権威に加えて実利的な経済事情も絡んでいました。
以下、鎌倉五山の寺院の概要を見ておきましょう。
建長寺(けんちょうじ)
鎌倉五山第一位の寺。国宝に指定されている建長七年(1255年)製作の梵鐘には「建長禅寺」の銘文があり、「禅寺」の日本最古の用例と考えられています。
- 宗派…臨済宗建長寺派
- 山号…巨福山(こふくさん)
- 本尊…地蔵菩薩
- 創建…建長五年(1253年):北条時頼(第五代執権)
- 開山…蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)
- 現在の所在…神奈川県鎌倉市山ノ内
円覚寺(えんがくじ)
鎌倉五山第二位の寺で、ここでは元寇の際に命を落とした武士と元軍兵士がともに弔われているのが特徴です。
- 宗派…臨済宗円覚寺派
- 山号…瑞鹿山(ずいろくさん)
- 本尊…宝冠釈迦如来
- 創建…弘安五年(1282年):北条時宗(第八代執権)
- 開山…無学祖元(むがくそげん)
- 現在の所在…神奈川県鎌倉市山ノ内
寿福寺(じゅふくじ)
鎌倉五山第三位の寺です。この周辺地は源氏とのゆかりが深く、源頼朝の父である義朝の屋敷がかつてあったとされています。
また、鎌倉に入った頼朝が最初に館を建てようとしたのもこの地だったといいます。
- 宗派…臨済宗建長寺派
- 山号…亀谷山(きこくさん)
- 本尊…宝冠釈迦如来
- 創建…正治二年(1200年):北条政子
- 開山…明菴栄西(みょうあんえいさい)
- 現在の所在…神奈川県鎌倉市扇ヶ谷
浄智寺(じょうちじ)
鎌倉五山第四位の寺院で、この地方に独特な「やぐら」と呼ばれる横穴式の供養堂・納骨窟が多く残されています。
- 宗派…臨済宗円覚寺派
- 山号…金宝山(きんぽうざん)
- 本尊…阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来
- 創建…弘安四年(1281年):北条師時(第十代執権)
- 開山…南洲宏海(なんしゅうこうかい)・大休正念(だいきゅうしょうねん)・兀庵普寧(ごったんふねい)
- 現在の所在…神奈川県鎌倉市山ノ内
浄妙寺(じょうみょうじ)
鎌倉五山第五位で、室町時代にはこの寺の東側に足利公方邸が存在し、足利氏が居住していたといいます。
- 宗派…臨済宗建長寺派
- 山号…稲荷山(とうかざん)
- 本尊…釈迦如来
- 創建…文治四年(1188年):足利義兼(足利宗家第二代)
- 開山…退耕行勇(たいこうぎょうゆう)
- 現在の所在…神奈川県鎌倉市浄妙寺
京都五山とは

鎌倉が拠点であった鎌倉幕府に対して、室町幕府は関東に出先機関の「鎌倉公方」を置きつつ京都を本拠としていました。そのため京都の臨済宗寺院も庇護しており、時代によって変遷はあるものの当地での「五山」も制定されました。
ただしこの寺格はあくまでも足利氏の政治的思惑も絡むものであるため、鎌倉五山も含めて単にランキングしたものではない点に注意が必要です。
天龍寺(てんりゅうじ)
京都五山第一位の寺院で、現在は世界遺産「古都京都の文化財」の構成遺産の一つでもあります。
- 宗派…臨済宗天龍寺派
- 山号…霊亀山(れいぎざん)
- 本尊…釈迦三尊
- 創建…康永二年(北朝年号:1343年):足利尊氏(室町幕府初代将軍)
- 開山…夢窓疎石(むそうそせき)
- 現在の所在…京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町
相国寺(しょうこくじ)
京都五山第二位のお寺で、室町時代の画僧・雪舟を輩出したことでも有名です。また、よく知られる金閣寺・銀閣寺はこの相国寺の塔頭(たっちゅう)でもあります。
- 宗派…臨済宗相国寺派
- 山号…萬年山(まんねんざん)
- 本尊…釈迦如来
- 創建…永徳二年(北朝年号:1382年):足利義満(室町幕府第三代将軍)
- 開山…夢窓疎石(むそうそせき)
- 現在の所在…京都市上京区今出川通烏丸
建仁寺(けんにんじ)
京都五山第三位の寺で、国宝となっている俵屋宗達の「風神雷神図」を伝えていました。
なお、日本最古の禅寺といわれるのは誤りで、正確には福岡市博多区の臨済宗妙心寺派「聖福寺」が本邦初の禅宗寺院とされています。
- 宗派…臨済宗建仁寺派
- 山号…萬年山(まんねんざん)
- 本尊…十一面観音
- 創建…建仁二年(1202年):源頼家(鎌倉幕府第三代将軍)
- 開山…明菴栄西(みょうあんえいさい)
- 現在の所在…京都市東山区大和大路四条下る
東福寺(とうふくじ)
京都五山第四位の寺で、数々の名建築から「東福寺の伽藍面(がらんづら)」とその特徴を表すことがあります。
ちなみに別格上位の南禅寺は足利家に篤く信仰されたことから「武家面(ぶけづら)」、第二位の相国寺は美しいお経の唱和から「声明面(しょうみょうづら)」といわれます。
- 宗派…臨済宗東福寺派
- 山号…慧日山(えにちさん)
- 本尊…釈迦如来
- 創建…嘉禎二年(1236年):九条道家(鎌倉幕府第四代将軍・藤原頼経の父)
- 開山…円爾(えんに)
- 現在の所在…京都市東山区本町
万寿寺(まんじゅじ)
京都五山第五位の寺院が万寿寺です。御朱印はいただけるものの現在は非公開となっているため、一般拝観は叶わない点に注意が必要です。
- 宗派…臨済宗東福寺派
- 山号…慧日山(えにちさん)
- 本尊…阿弥陀如来
- 創建…永長元年(1096年):白河上皇
- 開山…十字覚空(じゅうじかくくう):東山湛照(とうざんたんしょう)
- 現在の所在…京都市東山区本町
まとめ:伊達氏と禅僧との深い関係
仙台藩・伊達氏が崇敬して庇護してきた5つの臨済宗寺院、「北山五山」について見てきました。
中国の制度を模して古く鎌倉~室町の時代に制定され、時代とともに変遷してきた「鎌倉五山」「京都五山」になぞらえたものといわれていますが、伊達氏は歴史的に禅宗と浅からぬ関係があったのです。
伊達五山を制定した伊達政依が深く仏教に帰依していたことはもちろんですが、伊達一門からも僧侶を輩出しています。たとえば伊達政宗の祖父・伊達稙宗(たねむね)の子の一人が六歳で出家し、伊達氏菩提寺で後に北山五山筆頭となる東昌寺の住職となっています。「大有康甫(だいゆうこうほ)」といい、稙宗の十三男で政宗にとっては大叔父にあたる人物です。
大有は臨済宗妙心寺派の「虎哉宗乙」を伊達政宗の父・輝宗に推薦しており、虎哉は後に移転して北山五山の一つとなる資福寺住職に就任し、政宗の学問の師となりました。また、政宗によって創建された北山五山の覚範寺の開基でもあり、伊達氏と禅僧の深いつながりの一端をうかがえます。
政治的な背景も含め、歴史的に禅宗が武家の支持を受けてきたことは周知の通りですが、伊達氏にとっての「五山」は精神的な支柱の一つになっていたといっても過言ではないといえるでしょう。
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