
伊達政宗の忍集団?黒脛巾組の伝説とは【中編】|忍者が担った具体的な任務の数々
「忍者」が担った任務とは?
伊達政宗が創設したといわれる忍者集団、黒脛巾組(くろはばきぐみ)。
その名が初めて登場するのは江戸時代中期の歴史書であったり、政宗の時代の記録には一切確認されていなかったりすることなどから、それ自体は後世の付与であるとの見方が大勢です。
しかしながら忍びの者が実在したことは確実視されており、政宗の事績を記した信頼性の高い史料中でも「草」という奥州の軍事用語を用いて隠密の行動に言及しています。
これらは諜報員や工作員としての性質が強く、戦国の世においても陰ながらの情報戦で活躍したことを想像できるでしょう。
特に都から遠く離れた東北地方を本拠とした政宗のような武将にとって、他勢力や朝廷の動向は死活問題に直結する情報でした。
そのため、忍者たちにはいかに正確で新鮮な情報を迅速にもたらすかが求められたものと考えられます。
あるいは自国の機密を秘匿するためのさまざまな工作も担った可能性もあり、詳細が記録されなかったとしても無理からぬことでしょう。
そこで政宗の重臣が記した一代記である『政宗記』から、草(隠密)に求められた具体的な任務の内容をいくつかピックアップして解説します。
諜報活動

「黒脛巾組」という伝説でも示される政宗の忍者集団にとって、もっとも重要な任務の一つと考えられるのが「諜報」です。
つまり敵地や敵対勢力に近い地域に潜入、またはそうした人物に近付くなどして情報を入手し、本国に伝えるという任務を指します。
そのためには当然ながら忍者としての素性を隠し、相手にとっての敵対勢力に属する人間であることも秘匿しなくてはなりません。
諸国を漂泊する宗教者や芸能者など、その土地の者ではないことに合理性がある職業に擬態したとされるのはそのためで、おそらく言葉の訛りまでも細心の注意を払ったのではないでしょうか。
戦国時代当時のことですから通信手段は限られており、人間自体が口頭で伝えたり密書を携えたり、あるいは何らかの暗号を用いたりと情報のやりとりには独自の機密ルートが構築されていたものと考えられます。
殊に敵地へ直接潜入して諜報活動を行う場合は、正体が露見すると命の危険や機密漏洩のリスクにさらされることから高難度の任務であったことでしょう。
当然ながら敵対勢力にも同様の諜報・工作員がいたと考えるのが自然であり、水面下での見えざる戦いが戦国史の陰にあったのではないでしょうか。
攪乱

「攪乱」も忍者が担った重要な任務の一つでした。
例えば天正十三年(1585年)に伊達政宗と南奥羽の諸将連合とが激突した「人取橋の戦い」では、政宗の圧倒的な数的不利を隠密たちの攪乱によって切り抜けたという伝承があります。
この戦いはそもそも政宗の父である伊達輝宗が拉致・殺害されたことに対して、報復措置を名分とした軍事行動を起こしたことにあります。
しかし政宗軍約7,000に対して敵方には南奥羽の連合が加勢し、約30,000もの兵力となったのです。
政宗にとって籠城する敵を攻囲する戦いでしたが、攻城は3倍とも5倍ともいわれる数的優位が必須の戦法です。
そのため政宗軍は窮地に立たされ、通常であれば壊滅してもおかしくない死線となりました。
そこで敵方の連合軍に潜入していた政宗の忍たちが、南奥羽の将の中には実は伊達と内通している者がいるという流言飛語を用いたのです。
噂というのは何らかの根拠があって流れるものと考えるのが自然であり、連合軍内に生じた疑心暗鬼の念はやがて分断を煽ることになります。
おそらく完全に否定しきることもできない状況や事情もあったのでしょう、やがて南奥羽連合は退却し、政宗の軍は窮地を脱します。
これらは江戸中期に書かれた『伊達秘鑑』に書かれていることであるため、黒脛巾組が実在して活躍したかどうかは真偽不明です。しかしながら、忍者がこうした攪乱によって戦況を打破した事績もあったであろうことに思いを馳せるには、充分なエピソードともいえるでしょう。
情報操作

前記の「攪乱」にも通じることですが、「情報操作」もまた忍者らしい任務といえます。
何らかの誤認を引き起こしたり意図的に正確ではない情報を流したり、あるいは真実の一部を改ざんしてわざと漏洩させたりすることにより、敵方の行動や意思決定を阻害する作戦と言い換えられるかもしれません。
こうした情報操作では「まことしやか」であること、つまりもたらされた内容に信憑性が高いと感じさせることが重要です。
たとえばどうでしょう、「戦時には前線となる可能性が高く、緊張が高まっている地域の村で例年より早く稲刈りが始まった」という噂が流れたとします。
その近辺を往来する行商人や境界付近の村人たちもその様子を見聞きしており、街道沿いに情報が広まっていくとどうでしょうか。
早い刈り入れを行った村が所属する勢力が戦闘に備えて、敵方に強奪されないよう兵糧の確保に動いたという疑念が生じても不思議ではありません。
これは武力衝突の可能性という緊張要因があり、それを裏付けるかのような常とは異なる行動を複数の目が確認している事実が信憑性を高めているからです。
こうなると真偽はともかくとして、その地域への監視体制や不測の事態への備えを強化せざるを得なくなるのがセオリーでしょう。
仮に村に潜伏している忍者たちがこうした工作を行い、敵勢力の軍事的リソースを分散させたうえで本国の部隊が本命の作戦行動を起こすといった連携も想定できます。
また、敵の中枢に近いポジションにまで潜入を成功させた場合、相手方の密書を改ざんしたり偽造したりといった直接的な工作も可能かもしれません。
これらは誇張した仮定ではありますが、情報の持つ強さと怖さを巧みに利用するのも忍者の技能といえるでしょう。
忍者が擬態した職能者の例
忍者が作戦行動に従事する際、本来の身分を隠してさまざまな職業に擬態することは周知の通りです。
それにはいくつかのパターンがありますが、敵対し合う勢力圏に潜入したり自在に行き来したりするための合理性が担保された職である必要性によるものでした。
そんな忍者が擬態するのに適した職能者の例を、以下で見ていきましょう。
山伏

山伏は忍者のみならず、敵地への潜入や移動の際によく選ばれる職の代表格といえます。
山伏とは日本独自の山岳信仰である修験道(しゅげんどう)の行者のことであり、別名を修験者(しゅげんじゃ)ともいいます。
修験道では峻険な山を登りながら祈るという修行法をとることから、全国各地の霊山を巡礼することが行われました。そういう山は国や勢力の境界であることも多く、つまり山伏は異なる勢力間を往来できる職能者の一つでもあったのです。
それゆえ情報をもたらす隠密としては適任であり、さまざまな戦国武将が山伏を抱えることで忍者のような役割を期待したといいます。
東北地方でいえば出羽三山の羽黒修験が著名であり、伊達政宗もこのような山伏たちからもたらされる情報を重宝していたとしても不思議はありません。
僧侶

僧侶も忍者にとっての隠れ蓑に適した職業でした。
それというのも「出家」という言葉があるように仏の弟子となった僧侶は建前上、俗世の論理からは離れた場所にある存在とされていたためです。
現実には俗世の事柄と不可分であり、政治にも軍事にも影響したことは周知の通りですが、ここで重要なのは上記のような超越的な立場そのものといえるでしょう。
俗世の者ではない=中立的な存在という位置付けにより、僧侶はしばしば「使僧」として異なる勢力間の停戦や和睦といった交渉を担うことがありました。
また、戦場で亡くなった人の供養や負傷者の救護を行った「金創医(きんそうい)」は、浄土系教団である時宗の僧侶が始祖ともいわれています。
さらに伊達政宗の師である臨済宗妙心寺派の虎哉宗乙(こさいそういつ)がそうであったように、僧侶は学問を担う研究者といった側面も持っていました。
このようなことから僧も諸国を巡礼したり移動したりすることが珍しくなく、忍者が擬態するのに適した性質を備えた職であったのです。
旅芸人

合理的に異なる勢力間を移動するためには、旅芸人も忍者にとってはうってつけの職でした。
文字通り各地を巡業しながらさまざまな芸を披露して生活する芸能者集団であり、歌舞伎の原点とされるかぶき踊りを創始した出雲阿国(いずものおくに)もそうでした。
舞踊をはじめとして能楽の源流となった「猿楽(さるがく)」や、操り人形で芸を見せる「傀儡師(くぐつし)」等々、多くの旅芸人が存在していたといいます。
彼らは一座を組織して集団行動することから忍者にとっても身を隠しやすく、さらに貴人や有力者の前で芸を披露することもあったため重要な情報源に触れる可能性もあったと考えられます。
また女性の芸能者も多かったことから、いわばくノ一のような諜報活動を行った者もいたかもしれません。
行商人

行商人は読んで字のごとく、移動しながら商品を取り扱う商人のことです。
たとえば内陸の山間部に海の魚や塩をもたらすなど、その土地では入手できないものを仲介する物流のスペシャリストともいえるでしょう。
こうした性質からさまざまなルートと人脈に自然とアクセスすることができ、忍者が担った任務には非常に適した職業であったと考えられます。
行商人同士のネットワークや、取引先の人々とのコミュニケーションによって新鮮な情報を手に入れることができたと思われ、相当数の忍がこれに擬態したか、あるいは本職の行商人が自然と諜報員のような役割を果たしたこともあったのではないでしょうか。
伊達政宗が本拠とした東北地方には、特に都方面の動向情報に対する大きな需要があったと考えられます。
行商人であれば、一定ルートをつなぎ合わせてリレー式に情報を伝達することもできたと思われ、重要な諜報活動をこなしたのではないでしょうか。
NEFTの記事づくりを応援してください!
NEFTでは東北各地の歴史・文化・観光情報等を取材し記事として発信しています。
この記事を楽しんでいただけましたら、今後の取材や記事制作、サイト運営へのご支援を検討いただけますと幸いです。
※「チップ」をクリックすると外部サービス「codoc」のチップ送付画面が開きます。













