
【後編】厳しい冬を乗り切る為の東北六県の「漬物」文化|東北各地の塩産地と漬物出現の歴史
漬物に必須! 東北地方における塩の産地・入手経路は?
東北地方では長く厳しい冬を乗り切る生活の知恵として、栄養源となる野菜類を保存する漬物の技術が非常によく発達したことは周知の通りです。

漬物や保存食のバリエーションは無数にありますが、その中でも不可欠な素材に「塩」が挙げられるでしょう。
塩蔵という方法によって食品を長期保存する技術の歴史は古く、組織的な製塩は既に縄文時代から行われていたことが全国の遺跡調査によって判明しています。
しかし塩そのものは生産に手間がかかる貴重品であり、近代以降の日本でも明治38(1905)年~平成9(1997)年までの92年間は国による「専売」が行われていました。
ここでは特に時代は設定せず、東北六県各地における漬物や保存食の発達に寄与したことが想像される、塩の産地や入手経路などを概観してみましょう。
青森県の塩
青森県では縄文時代の遺跡から製塩土器が出土するなど、非常に古くから塩づくりが行われていたことが判明しています。

海水から塩を生成するためにはいくつかの方法がありますが、青森の沿岸部は塩田に適した遠浅の浜が砂浜に恵まれていません。そのため、海水を直接火にかけて蒸発させることで塩を取り出すことが基本的な技術として受け継がれてきたのです。
この方法には燃料となる薪が大量に必要となり、海岸線すぐ近くの豊富な山林資源は「塩木」と呼ばれて近代まで直煮製塩が行われていました。
岩手県の塩
岩手県は歴史的に東北地方屈指の製塩地帯として知られてきました。
塩田に適した遠浅の砂浜は少ないものの、三陸海岸では豊富な林産資源を燃料とした海水直煮製塩が行われ、内陸部へと運ばれていったのです。

特に九戸郡の野田村は塩の産地として有名で、ここを拠点として他県にまでおよぶ内陸への「塩の道」が形成されました。
輸送は牛によって行われたため、牛の方言名から「野田ベコの道」と呼ばれ、塩を扱う行商人そのものも「野田ベコ」と愛称されることがあったといいます。
秋田県の塩
秋田県では積極的な製塩の事例は少なく、むしろ外部から確保するためのルートが発達したといえるでしょう。

江戸時代に国内の塩市場を席巻したのは瀬戸内海に面する10の国々で、明治時代になると「十州塩(じっしゅうえん)」と呼ばれるようになりました。
近世以降ではこの塩が海路で秋田へと運ばれたり、あるいは前項で述べた岩手・野田村の塩が峠越えの経路で秋田へともたらされたりしたといいます。
宮城県の塩
宮城県は古より製塩の地として知られ、その名も「塩竈(しおがま)」なる地が残ることが証の一つといえるでしょう。

江戸時代には塩田を開発して産業としての製塩にも成功していますが、古代の遺風を伝えるのが「鹽竈(しおがま)神社」です。
ここでは神事として製塩を行う祭礼があり、万葉歌にもその名が見える「藻塩焼き(もしおやき)」という技法が用いられます。
正確には藻塩焼きがどういった技術であったのかは諸説ありますが、有力なものとしてはホンダワラという海藻に繰り返し海水をかけて塩の結晶を析出し、それを海水に溶かして得た高濃度の塩水を直煮で蒸発させる方法が挙げられます。
山形県の塩
山形県は日本海側に面しているものの海水を用いた塩づくりの記録は多くありません。
その代わりに、珍しい陸地での製塩方法が工夫されたといいます。
一つには「カツノ木」「シホヂの樹の実」といった植物を煮詰めて塩を得る方法です。

樹木の中には吸塩の性質を持つものがあり、上記の植物が何にあたるのかは定かではありませんが、たとえば白膠木(ヌルデ)の木の実には塩分を含んだ白い粉が付着します。
また、温泉地の塩泉を用いて製塩する方法なども開発されるなどさまざまな工夫が凝らされました。
ただしこうした方法でつくられた塩は非常に高価であり、江戸時代に広く流通した赤穂の塩と比べるとおよそ20倍もの価格になったともいいます。
福島県の塩
福島県は宮城県同様に古くから製塩が盛んな地域でしたが、17世紀に千葉県の行徳から潮の干満によって海水を導く「入浜式塩田」の技術を導入しました。

これによって会津藩内の塩需要はほぼ内製分で満たすことができたといいますが、海路で安価な瀬戸内地方の塩ももたらされていたのです。
これらの塩は内陸部へと流通し、そのルートはやはり塩の道として整備されていきました。
会津藩では塩業統制の「塩方」や「塩場奉行」といった専門の役人が置かれ、密売を取り締まるなどいわば専売公社のような形式をとっていました。
漬物出現の歴史
縄文時代からすでに人為的な製塩が行われていたことはこれまでに述べてきた通りで、塩の持つ食品の保存効果についても経験的によく知られていたことが予想されます。
そういった意味では塩を用いた漬物は有史以前から存在した可能性もありますが、確実な記録としての初出はいつのことなのでしょうか。
答えは8世紀、奈良時代の天平年間で、遺跡から出土した木簡に漬物を意味する言葉が記されていたのです。
東北地方ほどの豪雪地帯ではないにしろ、古代の奈良の都周辺も冬季は生鮮野菜が不足したであろうことは想像に難くありません。漬物をはじめとした保存食は必須の備えとして工夫が重ねられてきたと考えられます。

同時代には塩漬けだけではなく、すでに醤(ひしお)漬けや糟漬けなどさまざまなバリエーションが存在していました。
漬物の神様を祀る神社
最後に、東北地方のことではありませんが日本で唯一といわれる、漬物に関わる神社をご紹介して締めくくりましょう。

それは愛知県あま市の「萱津神社(かやづじんじゃ)」です。創建年代は不明ですが神話上の英雄であるヤマトタケルが参拝したとも伝わっていることから、非常に長い歴史を持つ神社であると考えられます。
御祭神は「鹿屋野比売(カヤノヒメ)」という草を司る女神で、伝承によると神前に供えられた野菜類と塩を一緒に甕に入れたところ、自然に塩蔵品となったことが漬物のはじまりであると説明されています。

このことから当社は「漬物の神社」とされ、毎年8月21日に催行される「香の物祭」には全国から多くの漬物業者が参拝に訪れるそうです。
おわりに
雪に閉ざされた過酷な季節と対峙せねばならない東北地方。そこでは歴史的に、長く厳しい冬場を乗り切るための食料保存法が発達してきました。
漬物はその最たるものの一つですが、東北の食文化の豊かさを象徴するかのように百花繚乱の様相を呈しています。
他の土地の者にとっては珍しい逸品も多々あることから、東北旅行の際にはぜひとも小皿で存在感を放つお漬物にも注目してみてください。













