
【縄文時代の青森②】土器が語る縄文人の暮らし…文様から見える交流の始まり
長い縄文時代は、土器の特徴によって細分化され、1万年の間を[草創期(そうそうき)][早期][前期][中期][後期][晩期]の6つに分けて考えるのが一般的です。さらに考古学では草創期以外期の中を前葉(ぜんよう)、中葉(ちゅうよう)、後葉(こうよう)と細分化していて、早期後葉、中期前葉などと使い分けられ、遺跡や土器紹介文の中でも見かけることがあります。
本稿では『世界遺産「北海道・東北の縄文遺跡群」公式ホームページ』に準じて時代分けし、『青森県史』に沿って縄文時代を期別及び期の中を前葉、中葉、後葉に細分化した時代分けを使用しています。
前葉、中葉、後葉の時代分けは以下の通りです。
| 縄文時代 | (年数はおおよそ) | |
| 草創期 | 16,000年~12,000年前 | |
| 早期 | 12,000年~ 7,000年前 | |
| 早期前葉 | 12,000年 ~ 9,500年前 | |
| 早期中葉 | 9,500年~ 8,000年前 | |
| 早期後葉 | 8,000年~ 7,000年前 | |
| 前期 | 7,000年~ 5,000年前 | |
| 前期前葉 | 7,000年~ 6,300年前 | |
| 前期中葉 | 6,300年~ 5,800年前 | |
| 前期後葉 | 5,800年~ 5,000年前 | |
| 中期 | 5,000年~ 4,000年前 | |
| 中期前葉 | 5,000年~ 4,700年前 | |
| 中期中葉 | 4,700年~ 4,300年前 | |
| 中期後葉 | 4,300年~ 4,000年前 | |
| 後期 | 4,000年~ 3,000年前 | |
| 後期前葉 | 4,000年~ 3,700年前 | |
| 後期中葉 | 3,700年~ 3,300年前 | |
| 後期後葉 | 3,300年~ 3,000年前 | |
| 晩期 | 3,000年~ 2,400年前 | |
| 晩期前葉 | 3,000年~ 2,900年前 | |
| 晩期中葉 | 2,900年~ 2,600年前 | |
| 晩期後葉 | 2,600年~ 2,400年前 |
縄文時代の時代分け・詳細(世界遺産「北海道・東北の縄文遺跡群」公式ホームページにより作成・諸説あります)
縄文時代の幕開けは津軽半島から
縄文時代の幕は、1万6500年前の土器が発見された津軽半島から開けられたと考えられています。
旧石器時代の終末期頃には乾燥した冬から、温暖化の影響で雪に閉ざされるようになった東北北部では、人間はそれまでの獲物を追いかける生活から、1か所にとどまって暮らす必要性が出てきました。

今のところ日本で最も古い土器が発見された遺跡は、津軽半島にある大平山元(おおだいやまもと)遺跡群(外ヶ浜町/世界遺産・国指定史跡)ですが、住居跡は見つかっていません。
しかし、定住生活、集団生活の訪れを予感させる、約2万年前の石で囲まれた炉(石囲炉=いしがこいろ)が発掘されました(大平山元Ⅱ遺跡)。
炉は、暖をとるため、また煮炊きをするためのもので、この頃はまだ定住してはいないけれど、移動中のテント生活で、ある程度長居をしていたのではないか、と考えられています。

大平山元Ⅱ遺跡やⅢ遺跡からは、Ⅰ遺跡から出土したような土器は発見されていませんが、約2万年前に炉で煮炊きをしていたということは、今後の発掘調査でここから約2万年前の土器や住居跡が発見される期待が膨らみます。
大平山元遺跡群<Information>
- 名 称:大平山元遺跡群(大平山元Ⅰ遺跡・大平山元Ⅱ遺跡・大平山元Ⅲ遺跡)
- 住 所:青森県東津軽郡外ヶ浜町字蟹田大平山元
- 電話番号:0174-22-2577(大平山元遺跡展示施設むーもん館)
- 見 学:自由
- 指 定:世界文化遺産・国指定重要文化財・青森県指定県重宝・国指定史跡
- 公式URL:大平山元遺跡
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大平山元遺跡展示施設むーもん館<Information>
- 名 称:大平山元遺跡展示施設「むーもん館」
- 住 所:青森県東津軽郡外ヶ浜町蟹田大平沢辺46−4
- 電話番号:0174-22-2577
- 開館時間:9:00~16:00
- 入館料:一般(大学生以上)300円、高校生以下 無料
- 休館日:月曜日(祝休日の場合はその翌日)、12月29日~1月3日
- URL:むーもん館
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縄文時代草創期・早期にはさまざまな文様の土器が登場。その形は先が尖った逆円錐形
縄文時代は約1万2500年前に草創期が終わり、早期といわれる、人が本格的に定住生活を始めたといわれる時代に突入します。気候的には暖かくなってきたとはいえ、まだ最終氷河期にあり、相当寒かった時代です。定住はしても家族や親戚単位のせいぜい20数軒ですが、周辺の定住地との交流も広がっていきました。
青森県内の縄文時代早期の遺跡からもさまざまな形や文様の土器が見つかっています。時代や遺跡ごとに違っているのですが、周辺の遺跡から同じような文様の土器が出土することも多く、集落同士の交流があったことを物語っています。その後交流が広がるとともに大きな集団としてまとまり、多くの人々が暮らす集落へと発展していきました。縄文時代早期はその過渡期の時代なのです。
縄文時代草創期から早期の土器の特徴には共通する大きな特徴があります。「尖底土器(せんていどき)」と呼ばれる底の先が尖ったものです。これは当時まだ平らな床や台を作る技術がなく、土器を地面や砂地に突き刺したり、石を組んだ炉の中に立てたりして使用していたためと考えられています。
約1万5700年前の遺跡から粘土で凹凸が付けられた隆起線文土器が出土
六ヶ所村役場から南へ2.5kmに位置する標高20mほど海岸段丘上にある表舘(おもてだて)(1)遺跡から発見されたほぼ土器1個分の破片には、隆起線文土器特有の粘土で作られた細い紐を土器の外側に貼り付けて凹凸を出した文様が付いていました。

隆起線文土器は大平山元Ⅰ遺跡から発掘された縄文時代始まりを告げる無文土器に続く古い形式の土器で、約1万5700年から1万3200年前頃のものと考えられています。表舘(1)遺跡に隣接する発茶沢(はっちゃざわ)(1)遺跡からも隆起線文土器が見つかっています。
発茶沢(1)遺跡は、縄文時代草創期からそれに続く弥生時代、平安時代と非常に長い間人が暮らしていた痕跡が残る遺跡で、縄文時代草創期の住居跡は発見されていませんが、同じ遺跡の少し新しい地層からは、縄文時代早期中葉から後葉の竪穴式住居跡が23棟発掘されています。
表舘(1)遺跡からは、草創期の隆起線文土器のほか、中期中葉や後葉などに流行したさまざまな形式の土器が出土しています。その中には北海道からの搬入品の可能性が高い土器や北海道産の黒曜石を使った石器などもあり、1万年前近い昔に東北北部と北海道南部が交流していたことに驚かされます。
表舘遺跡や周辺の遺跡は、1970年代の「むつ小川原開発計画」により発掘調査が行われ、遺跡調査や発掘された出土品の保管等の事業が終了後はほとんどが取り崩され、原形をとどめていません。現在は上に核燃料サイクル事業の施設が建っています。
表舘遺跡(出土品展示施設)<Information>
- 名 称:六ヶ所村郷土館
- 住 所:青森県上北郡六ヶ所村大字尾駮字野附535
- 電話番号:0175-72-2306
- 開館時間:9:00~16:00
- 休 館:月曜日(月曜日が祝日の場合翌平日)、年末年始(12月27日~1月4日)
- 公式URL:六ヶ所村郷土館
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櫛引遺跡から見つかった1万5000年ほど前の竪穴住居跡と縄文の付いた土器
青森県八戸市の櫛引(くしびき)遺跡から約1万5000年前の竪穴式居跡が発見されています。
櫛引遺跡は、八戸市役所の南西6.5kmに位置し、馬淵川右岸標高20~110mの河岸段丘上に立地していて、縄文時代草創期から前期あたりまでの遺跡です。

縄文時代草創期の住居跡は竪穴式住居跡で、2棟が発見されそのうちの一棟は長径が6mの不正円形で、爪形文(つめがたもん)土器や多縄文系(たじょうもんけい)土器なども発見されました。
もう一棟は長径5.2mの楕円形に近い形で、多縄文系土器や石器類などが出土しています。

多縄文系土器は、表面に縄を転がしたり押しつけたりして文様を付けるもので、縄文時代に初期に登場するはじめての縄文付きの土器です。爪形文土器は、綱ではなく爪や工具で三日月型やハの字型などの文様を付けています。
櫛引遺跡(出土品展示施設)<Information>
- 名 称:八戸市博物館
- 住 所:青森県八戸市根城東構35−1
- 電話番号:0178-44-8111 ※館内リニューアルのため2027年9月まで閉館中
- 公式URL:八戸市博物館
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多彩な文様が付いた縄文早期の土器
縄文時代も早期になると遺跡ごとや、地域によってさまざまな文様が付けられた土器が見つかっています。その代表的なものとして、日計式(ひばかり)土器、根井沼式(ねいぬましき)土器、赤御堂(あかみどう)式土器、物見台式(ものみだいしき)土器などが知られています。
押型文の早期最古の土器・日計式土器
日計式土器は、八戸市役所の北4.8kmに位置し、3つの川に挟まれた標高25~30mの段丘上にある前期前葉の日計遺跡から発見された土器です。土器は、何かの道具を押し当てて模様を付けた押型文(おしがたもん)が特徴で、現在縄文時代早期最古の土器と位置づけられています。
日計式土器は、日計遺跡のみならず、太平洋側に多く分布し、東北北部のみならず、福島県や関東北部の遺跡からも出土しています。
貝殻を押しつけて文様にした根井沼式土器
根井沼式土器は、下北半島の付け根ある湖、小川原湖に隣接する根井沼にある根井沼(1)遺跡(三沢市)から発見された土器で、早期前葉のものです。貝殻の縁を押しつけて描いた沈線文が特徴で、その後に続く東北縄文文化の流れに非常に重要な土器形式と位置づけられています。

根井沼(1)遺跡からは、この土器に伴って北日本最古の土偶が出土しており、精神文化の始まりを知る上でも極めて重要な型式です。画像は牛ヶ沢(うしがさわ)(4)遺跡(八戸市)から出土した根井沼式土器です。
土器の表と裏に縄文が施された赤御堂式土器
赤御堂式土器は、八戸市役所の南東4.5kmに位置し、2つの川に挟まれた標高7~14mの緩斜面上に立地する赤御堂遺跡で発見された早期後葉の土器と考えられています。その特徴は粘土には植物などの繊維質を練り込んでおらず、土器の表裏に縄文が施されていることです。

赤御堂遺跡からは、早期後葉期の竪穴式住居が1か所見つかり、竪穴住居跡には厚さが60cmにも達する貝層が堆積されていました。この貝塚からは多量の魚骨なども出土しています。また、少し離れたところの貝塚からは幼児の頭蓋骨などの人骨も発掘されました。画像は長七谷地(ちょうしちやち)7号遺跡(八戸市)から出土した赤御堂式土器です。
二枚貝を使ってさまざまな文様を描いた物見台式土器
物見台式土器は、下北半島東部にある東通村役場の北東約18km,尻屋埼灯台から1.1km南西の津軽海峡に面した標高約15mの海岸段丘上にある物見台遺跡から発掘されました。

特徴は、貝殻腹縁文(かいがらふくえんもん)土器といわれるように、2枚貝のフチ(腹縁)のギザギザ を粘土に押し当てたり、引きずったりして文様が描かれています。この土器は早期中葉において、東北地方北部を中心に広く分布し、流行の土器だったようです。
物見台遺跡は隣接して2か所調査されています。物見台(1)遺跡からは土器が発見されず、旧石器時代の遺跡に分類されています。物見台(2)遺跡は、この貝殻腹縁文土器が発見されたため、縄文時代の遺跡です。
両遺跡からは住居跡や化石類は発見されていませんが、周辺の下北半島からは、ナウマンゾウやヒグマ、ヤベノオオツノジカなどの大型の哺乳類の化石が大量に出土していて、2026年1月にはトラとしていたものがライオン(ホラアナライオン)の化石だったという報告もありました。
画像の土器は田面木平(たものきたい)(1)遺跡(八戸市)から出土した物見台式土器です。
縄文時代は前期に突入します。縄文時代の青森③では、三内丸山遺跡に代表される縄文時代の全盛期をご紹介します。



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